ヤガンEX

映画とか漫画とか似顔絵とか

【邦画】『ぬけろ、メビウス!!』ネタバレあり感想レビュー--学歴どころか「大学受験すること」自体が個人を形成するアイデンティティとなる


監督:加藤慶吾/脚本:村上かのん
配給:deep water & moonlight/上映時間:93分/公開:2023年2月3日
出演:坂ノ上茜、藤田朋子、細田善彦、田中偉登、松原菜野花、棚橋ナッツ、吉岡そんれい、加藤貴子、寺脇康文

 

注意:文中で中盤以降の内容に触れていますので、未見の方はネタバレにご注意ください。

 

スポンサードリンク
 

 

パンフレットに書かれている、公式のあらすじ。

《建築会社の契約社員として働く櫻川優子は、通称「5年ルール」が原因で正社員になる前に雇い止めを宣告される。優子はかつて諦めた教員になる夢を叶えるべく、24歳にして大学進学に向けて突っ走り始める。》

このあらすじを読んで、まず浮かぶ疑問だが、これで1本の映画になるのか? 24歳の女性が大学受験するだけだよ。大学に対する「若者しか通ってはいけない」みたいな日本の悪しき風潮に一石を投じるにしても、24歳では成立しづらいだろう。

この内容で93分の上映時間を手っ取り早く埋めるには、『ドラゴン桜』『ビリギャル』みたいに、斬新な勉強方法の例をいくつも挙げて、受験のハウツー指南のようにするのが妥当だ。しかるに本作、実は受験勉強をしているシーンが驚くほど少ないし、具体的にどんな勉強をしているのかさっぱり解らない。ファミレスや喫茶店で参考書を読んでノートに何か書いているだけの雰囲気描写ばかり。

根本として、それまでロクに勉強してこなかった人による独学は、間違いなく非効率もしくは無意味なのである。「勉強の仕方」ってのは経験値が必要不可欠だから。劇中の時間経過がいまいち掴めないが、おそらく受験日までの実質的な期間は(途中で相当サボっているので)半年程度であろう。受験するのが架空の大学なので偏差値や試験内容というか科目すら不明だが、それにしたって、こんなんで受かるのならば世間を舐めている。

とまあ、映画を未見の方がこの文章をここまで読む限りでは、物凄い駄作だと思われてしまいそうだが、実はそうではない。本作の主題は、大学受験ではないからだ。この映画は、ひとりの女性が母親からの呪縛から抜け出して個のアイデンティティを掴み取ろうとする話なのである。タイトルの『ぬけろ、メビウス!!』も、一応そういう意味が込められている。

優子(演:坂ノ上茜)は、静岡県の某都市で小料理屋を営む母親と2人暮らし。高校卒業時に大学進学を諦めて専門学校に通ったのも、今の会社に非正規で勤めているのも、ほぼ婚約者同様の彼氏・太一(演:細田善彦)も、全て母親に押し付けられたのだと思っているし、事実そうである。それらが女の幸せだと屈託なく信じ切ってニコニコしている母親を演じる藤田朋子の「何を言っても通じない感じ」は、なかなかの恐怖だ。最近の藤田朋子、どんな作品にも出るスタンスを含め、邦画に欠かせない役者になりつつある。

さて、会社から雇い止めを宣告された優子は、宅建の勉強を始める親友・菜月(演:松原菜野花)に触発され、今からでも大学受験をしようと思い立つ。さっそく東京大学の10年前の赤本を古本屋で買ってくるが、母親と太一には嘲笑されるだけで、本気だとは受け止められない。で、馬鹿にするなと優子は猛勉強を始め・・・ないんだよな、これが

優子はたまたま出会ったイケメン御曹司の瑛人(演:田中偉登)と浮気し、結婚を前提に付き合うようになる。急に何を言っているんだと思うかもしれないが、そういう展開なのだから仕方ない。なんと本作の中盤は、優子が瑛人と浮気するシーンに大部分を費やされるのだ。なんでもない景色を見て「まるでシャガールの絵のようだ」とか言うヤバ目のイケメンにゾッコンとなる優子。瑛人の別荘で似非セレブみたいな緩い会話をする両親(演じる寺脇康文加藤貴子が、その胡散臭さを存分に発揮している)とバーベキューを楽しみ有頂天になり、大学受験のことなんか、すっかりどうでもよくなる。

瑛人とその両親は上流階級なので、「大卒ではない人間」という存在自体が理解できない。優子は大卒だと偽っているが(ついでに名前も「優奈」と偽っている。本当に結婚するときどうするんだ?)、短大卒だと本当のことを伝えた親友の菜月を「あの子は良くない」と悪気なく言う瑛人を相手にして、ついに相手の薄っぺらさと自分の愚かさに気づき、コップの水をぶっかける。だが時すでに遅し、太一にも浮気がバレ、「彼女の婚約者です。30秒くらい前までは」と言われる始末。そして全てを失った優子は、改めて大学受験の勉強を再開するのである。

優子が瑛人と浮気したのは、勝手に太一という恋人を押し付けてきた母親への当てつけである。つまり、大学受験も、イケメンとの浮気も、「母親の呪縛からの抵抗」という意味で、優子の中では同列なのね。これ凄くない? ちょっとぶっ飛んでいるというか、行動原理があまりにラジカルである。後半で優子は「たぶん今だから。ここから抜け出すなら、今だから」「じゃないと私、全部お母さんのせいにしちゃう」と叫ぶ(これ自体はズシンとくる素晴らしいセリフだと思う)が、大学受験も浮気も荒療治に過ぎる。

優子は、強いて言えば教育学部というだけで、「東京の大学ならどこでもいい」とはっきり明言している。大学に入って何を学びたいか、ではなく、大学に入ること自体が目的化している。その考え方は確かに、今の日本社会を実直に表しているとも言える。

いや、本作の場合、大学に受かるかどうかすら重要ではなく、大学受験それ自体が目的であり、優子にとって確立すべきアイデンティティなのだ。実際、母親の呪縛は大学受験によって抜け出せているし、破局した太一や一度は絶縁した菜月との関係性も、大学受験によって変化の兆しを見せる。再度強調するが、大学に受かったから、ではなく、大学を受験するから、周囲との変化が起きているのだよ

「学歴=アイデンティティ」という結果を尊重する現実と、「大学受験=アイデンティティ」という行為を尊重する本作。どちらが健全なのかは難しいところだが、少なくとも学歴に個人の能力としての絶対的な意味が見いだせなくなってきている昨今においては、本作の結論は「学歴=アイデンティティ」とする現実への痛烈なカウンターであると言えなくもない。「え、ここで終わらせるの?」と誰しもが感じるであろう、エンドロールの流れ出す瞬間は、日本社会に対する痛烈な皮肉になっているとも言えよう。
-----

-----

【お知らせ】

・邦画レビュー本「邦画の値打ち2022」の通販を開始しました。既刊本もあります。

yagan.base.shop

-----

 

スポンサードリンク