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【邦画】『THE LEGEND & BUTTERFLY』感想レビュー--信長の半生とラブロマンスという2つの「王道」を組み合わせるテクニック


監督:大友啓史/脚本:古沢良太
配給:東映/上映時間:168分/公開:2023年1月27日
出演:木村拓哉、綾瀬はるか、宮沢氷魚、市川染五郎、和田正人、高橋努、増田修一朗、斎藤工、北大路欣也、本田博太郎、尾美としのり、池内万作、橋本じゅん、音尾琢真、伊藤英明、中谷美紀

 

注意:文中で中盤以降の内容に触れていますので、未見の方はネタバレにご注意ください。

 

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『ワンピース』『スラムダンク』のおかげで突然の好景気に沸いている東映による次なる一手である。東宝の独り勝ち状態は業界にとっては不健全であるので、ここからの東映の巻き返しには大いに期待したいし、そういう意味でも本作『THE LEGEND & BUTTERFLY』の動向は注目せざるを得ない。

で、そんな『THE LEGEND & BUTTERFLY』だが、極めて真っ当なラブロマンスを描いていて驚いた。良く言えば王道、悪く言えば保守的で挑戦していないとも言える。だが、織田信長の半生なんていうこれもまた日本人の多くが一般常識として知っている王道の展開に、王道のラブロマンスを重ねてひとつの話にする技量は、脚本・古沢良太の類まれなる才覚が無ければ難しいことではあろう。

関係者のインタビューなどでは「新しい信長像」と言われているが、木村拓哉の演じる信長は、さして珍しいタイプではない。尾張の大うつけ者から自称魔王となっていく様は、むしろ信長に従来からあるイメージの通りであるし、実は何者かが裏で操っていたという設定も類例は多い。というより、あらゆるパターンがやり尽くされた信長に、もはや新しい像など残っていないのかもしれない。それより個人的には「新しい坂本龍馬像」が観たいのだけれど。創作物に出てくる竜馬って、全部同じじゃん。ああ、罪深き、武田鉄矢

一方の綾瀬はるか演じる濃姫は、信長に嫁入りして以降の消息がほとんど史料に残っていない。そのためどうとでもできるのだが、こちらもまた従来のイメージと変わらない「信長と対等に渡り合う気の強い女」となっていた。大河ドラマ『麒麟が来る』では沢尻エリカが当初演じる予定だったし、これまで濃姫を演じた俳優も「気の強い女」タイプばかりである。もちろん綾瀬はるかも、その系譜に連なる。

武芸に秀でており、接近戦でも弓矢でも信長を圧倒する濃姫。知略にも長け、嵐に乗じて桶狭間で今川軍を討てと進言するし、『敦盛』を踊ることすら濃姫の提案だ。そもそもが政略結婚であり、信長を利用して父・斎藤道三(演:北大路欣也)の野望を受け継がんとする濃姫だが、次第に別の感情が芽生えてくる。一方の信長も、表向きは反抗的な程度を取るが、たとえば濃姫が海を見た時などのふとした素の表情が気になり始めている。

話の流れを簡単に書き出してみる。「政略結婚により男を利用しようとする女」→「互いに恋愛感情が芽生え、自覚する」→「ひとときの相思相愛」→「男が暴走し始め、女には制御できなくなる」→「このまま一緒にいては駄目だと離縁する」→「失って初めて、大切なものが何か気づく」→「関係を戻そうとするが、事態は既に取り返しのつかないことになっていた」。いや、改めて古沢良太は凄いな。こんな王道のラブロマンスを濃姫と信長を使って、史実のほうも破綻させずにやり通しているのだから。

第一級の人気者を主演にした、日本中のシネコンのスクリーンを埋める時代劇大作である。時代劇を一般層にアピールするためには、一昔前とは違い現在では「観客の前知識」をどう見積もるのかの算段が重要になってくる。岡田准一主演の『燃えよ剣は重厚で力の入った時代劇だったが、新撰組の変遷という知識を観客が持っていることが大前提の造りだったため、幕末に詳しくない観客は置いていかれた。今どき、藤堂平助や伊東甲子太郎を知らなくたって無知と嘲笑われることなどないが、それは原田眞人監督の感覚ではなかったのだろう。

翻って本作だが、信長に対する事前知識はほとんど必要ない。さすがに戦国時代がどういう状況なのかくらいは知っている必要があるが、信長個人に対しては「明智光秀に裏切られて本能寺で自害する」という知識だけで事足りる。いや、実はそれすら本当は必要ない。知っていれば、より深く物語を楽しめる、という感じ。この辺りの、観客の知識に対するバランス感覚は考え抜かれている。

なんせ本作、役名のテロップ表記が一切出ない。もちろんセリフの中で名前が出るので、誰が前田利家で丹羽信秀なのかは注意深く聞いていれば解るが、そこはスルーしても鑑賞には何ら問題ない。この顔の人がこんな性格かとだけ、鑑賞中に押さえておけば済む(そのため、信長の家来には覚えやすい顔の役者を揃えているし、メイクも特徴的だ)。木下藤吉郎(豊臣秀吉)ですら、存在を把握させるつもりがない。だって、信長と濃姫のラブロマンスには秀吉なぞ必要ないのだから。

家来の中では例外として、物語上で重要な役割のある明智光秀だけは存在を認識する必要があるが、そこは身長184センチで端正な顔立ちの宮沢氷魚という時代劇においては異質の存在感を持つ役者を配しているので問題ない。配役だけでも、かなりこだわりがあるのが解る。

さらに本作、実は合戦のシーンが少ない。桶狭間も長篠も前後だけで合戦そのものは全カット。これはラブロマンスを優先させるためには目障りとなる情報を廃しているのだろう。劇中で大規模な合戦シーンが描かれているのは、延暦寺の焼き討ちと、最後の本能寺の変の2つだけだ。だがこの2つのシーンは、大友啓史監督らしく重厚かつ壮絶である。本能寺は当然として、それ以外には延暦寺"だけ"を取り上げているのは感心するとともに戦慄する。信長が変わってしまい濃姫の手に負えなくなったことを示すために、女子供を火炙りにするシーンを入れるのは必須であるとの判断だ。ラブロマンスと戦国時代を繋げるための覚悟がある。

本能寺の変をラブロマンスの一部として取り込むのもまた難しいが、古沢良太はやってのける。通常であれば、明智光秀の謀反と濃姫とは何ら関係が無いとするのが簡単である。大局的な歴史に流される形で男女の今生の別れが無慈悲に訪れる、とすればラブロマンスとしてもそれなりに座りが良い。だが古沢良太は、本能寺の変すらも濃姫の存在が間接的に関与している、という話にしてしまう。

そのためのお膳立てとして、徳川家康という誰でも知っている有名人が登場するエピソード(これ自体は史実かどうか疑わしいらしいが)を完全オリジナルの話に変換して、光秀が謀反に至る胸中への伏線としている。もう少し詳しく説明すると、光秀が信長に見切りをつけたのは濃姫と寄りを戻したのが遠因であるとしている。本能寺の変ですら、濃姫と信長によるラブロマンスの一幕であるとしてしまうのだ。

そのため、家康はこのワンシーンしか出てこない。戦国時代の知識が多少でもある者からすれば、信長の半生を描くうえでは不自然極まりないが、ラブロマンスのための一瞬のインパクトを優先している。斎藤工がわざわざタヌキオヤジ風に特殊メイクして、インパクトを更に強烈にしているし。確固たる目的があれば、史実を大胆に改変するのは構わないわけであり、はなから事前知識を必要としない本作であれば違和感も抑えられる。

そんなこんなで、今の時代に一般向けの時代劇を撮るにはどうすればいいかのアイデアが無数に詰まっており、戦国時代でありながら王道のラブロマンスを成立させているのである。東映の力の入り具合がよく解る、撮影の芹澤明子を始めとするトップクラスのスタッフ陣も素晴らしい仕事をしている。やっぱり時代劇は、撮影と照明と美術に関しては手を抜いていてはいけないのだな。いや、本当に多くの、特に時代劇だからと躊躇している人に観てほしい作品である。この映画がヒットして方法論が波及すれば、時代劇大作の未来にも一筋の希望が出てくるはず。
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