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【邦画】『太陽は動かない』ネタバレあり感想レビュー--現在と過去を繋ぐ斬新なカットバックと、ありえないエンドロールは、もはや映画の革命なのかもしれない

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監督:羽角英一郎/脚本:林民夫/原作:吉田修一
配給:ワーナー・ブラザース/上映時間:110分/公開:2021年3月5日
出演:藤原竜也、竹内涼真、ハン・ヒョジュ、ビョン・ヨハン、市原隼人、南沙良、日向亘、加藤清史郎、横田栄司、翁華栄、八木アリサ、勝野洋、宮崎美子、鶴見辰吾、佐藤浩市

 

注意:文中で終盤の展開に触れていますので、未見の方はネタバレにご注意ください。

 

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表向きは小さなニュース配信会社であるAN通信。実は企業の極秘情報を密かに手に入れて競合他社に売りつけ、報酬として大金を頂く超大規模なスパイ組織だった。スパイ行為を行う所属エージェントたちの胸には爆弾が埋め込まれていて、24時間ごとの定期連絡を一度でも怠ると、敵に寝返ったと見做されて自動的に爆発するのだ。

この前提だけでいくつもの疑問が頭に浮かぶが、実際に映画を鑑賞すると、さらに謎は増す。まずこの定期連絡、どこかに電話(自分の電話である必要は無く、その辺の公衆電話でも構わない)をかけてから、自動音声案内に従ってパスワードを入力して爆弾を解除するのが一連の流れ。だとすれば、誰かにやってもらうのも可能じゃないか。パスワードを知られたからといって危険が増すわけでもないし。

そもそも、なぜ定期連絡が無いだけで敵に寝返ったと判断されるのか。本当に寝返ったのなら、敵側に事情を伝えて定期連絡させてもらえばいいだけだし。連絡が無いのなら、電話すらできないほどの窮地に追い込まれていると考えるのが自然ではないか。実際、劇中ではそんなシーンばかり。しかも、秘密組織の割には誰もが爆弾の件を知っているので、相手に利用されまくりだし。

原作者の吉田修一は純文学畑の人なので、劇中ではさも重要なセリフとして発せられる「明日のことは考えなくていい! 今を生きろ」を観念的に具現化しただけかもしれない。もっとも原作小説は、本気でハードボイルドやろうとしたけど慣れておらず右往左往している、はっきりと巧くない作品なので、そこまで考えている感じでもないが。

ともかく、胸の爆弾のせいで何度もピンチになるのだが、AN通信の自業自得としか思えないのがなあ。そんなんでサスペンスが盛り上がるわけがない。ついでに、定期連絡できなかったエージェントは街中とかでいきなり胸から血を噴き出して死ぬので当然パニックが起こるのだが、秘密組織としてそれはどうなんだろう。

太陽は動かない

太陽は動かない

  • 作者:吉田修一
  • 発売日: 2014/08/07
  • メディア: Kindle版
 

 

物語に入る前の設定にツッコミを入れているだけで長々と書いてしまった。主人公はAN通信のエージェント・鷹野一彦(演:藤原竜也)。相棒である新人エージェントの田岡亮一(演:竹内涼真)とともに、太陽光発電の画期的な技術を追い求める。しかし韓国の産業スパイ・デイヴィッド・キム(ビョン・ヨハン)や謎の女・AYAKO(ハン・ヒョジュ)が入り乱れて、小田部教授(演:勝野洋)の頭の中にだけある技術情報を巡る攻防が世界各地で続く。

めんどくさいので超適当に書いたあらすじだが、まあ映画を観ただけで内容を理解するのは大変だし、理解できなくてもたいして問題ない。パンフレットに詳細なあらすじが載っているので、気になる方はご覧ください。さらに原作を読むと、端折り方が豪快なのが解って笑えますよ。映画では、並行して高校生時代の鷹野(演:日向亘)の回想も描かれている。この回想が特に前半はけっこうな長尺で、どうにもバランスが悪い。

いろいろあって中国の巨大エネルギー企業の本社ビルに忍び込み機密データをパソコンからメモリにコピーする現在の鷹野。一方、組織の一員になるための最終試験として、どこかの豪邸に忍び込み機密データをパソコンからメモリにコピーする過去の鷹野。そこに現在と過去の両方に突如として現れるデイヴィッド・キム。非常によく似た状況下で、現在と過去それぞれでメモリを奪い合うアクションが繰り広げられる。

この構成、斬新すぎないか。現在と過去のよく似た状況のシーンがカットバックで何度も切り替わるんだよ。一般的にカットバックは同じ時間に別の場所で起きているシーンを繋げるための手法で、現在と過去を繋げるなんて、ちょっと過去の映画では思い当たらないんだけど、あるんだろうか。普通は過去のシーンが事前にあって、よく似た状況のシーンになると過去のカットが軽く挿入されて「あの時と同じ状況じゃないか」って対比させるのだけれど。現在と過去のシーンに主従関係がなく、並列に扱われているのは異例だ。

現在と過去の似たシーンをカットバックで同時に見せる手法は、終盤にもう一度出てくるので、羽角英一郎監督のお気に入りなのかもしれない。でもこれ、せっかくのアクションが細切れに分断されるだけで、何の効果も無いんだよね。観客にとっては、現在と過去のどちらも初見なのだから、たとえば鷹野の「あの時と同じ状況じゃないか」などの内心を共有できなかったりとか、何かと不都合が多い。過去に例を見ないのは、ちゃんと理由があるのだ。

物語内容にいちいち文句を言っていたらキリが無いので、根本的な大問題をひとつ。この映画、結局のところ何を主軸として見せたいのか解らない。いや、鷹野の過去に長尺を使っているのだから、鷹野の半生を見せたいのだろう。でも、それにしては鷹野以外の人物描写が中途半端に目立つ。たとえば宮崎美子が「過去に幼い息子を失って心が壊れた母親」役を怪演していてインパクトあるのだが、全く本筋と関係ない余計な情報だったりするし。

一方で、現在の鷹野の相棒である田岡については、何もバックボーンが語られない。最後まで素性が謎の存在なのに、鷹野と信頼し合ったバディ感を出しているから困惑する。この映画、完全な脇役については妙に描写が丹念なのに、主人公と大きく関わる主要な登場人物はあまりに説明が不足しているのだ。これが、映画の主軸が解らなくなっている一番の理由である。小田部教授の娘(演:八木アリサ)も、もっと丹念に描くか、もしくは完全に削るか、どちらかにしてくれないと悪目立ちでしかない。

そしてエンドロール。スクリーンの向かって右側にスタッフロールが流れ、左側は小窓によって本編のシーンが流れる、よくあるやつだ。と、そこに記憶に無いシーンが登場する。石橋蓮司とか多部未華子とか吉田鋼太郎とか、本編には出てこなかった人たちが次々と現れる。まさかこれ、映画の前に「今ならWOWWOWで無料」って宣伝されていたドラマ版の映像か。え、それをここで流すの? 映画とは別の話なのに?

百歩譲って、この映画がドラマの大ヒットを受けて制作が決まった劇場版なら、ファンサービスの一環と捉えていいのかもしれない。でもこれ、諸々の事情で劇場公開が大幅に遅れたのだが、本来は映画とドラマの公開はほぼ同じタイミングだったはず。映画館に足を運んだ観客の多くはドラマ版を未見の状態だと容易に推察できる。とすればこのエンドロールは、ドラマ版の宣伝を兼ねているのだろう。そんなことが許されるのか?

『名もなき世界のエンドロール』では、映画終了後にWEBドラマの宣伝が入って脱力したが、今回はエンドロールに宣伝を入れているのだ。エンドロールって、映画の一部だよ。そこで別の作品の宣伝やっているんだよ。もはやこれは映画の革命かもしれない。めちゃくちゃ悪い意味で。
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