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【邦画】『犬も食わねどチャーリーは笑う』感想レビュー--香取慎吾は「映画の枠に収められない」最後のTVスター


監督&脚本:市井昌秀
配給:キノフィルムズ/上映時間:107分/公開:2022年9月23日
出演:香取慎吾、岸井ゆきの、井之脇海、中田青渚、小篠恵奈、松岡依都美、田村健太郎、森下能幸、的場浩司、眞島秀和、きたろう、浅田美代子、余貴美子

 

注意:文中で終盤の展開に触れていますので、未見の方はネタバレにご注意ください。

 

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映画『容疑者Xの献身』が公開された当時、福山雅治は映画向きではないと本気で言われていた。TVにおけるスターが満を持して映画に出演すると、こう言われがちな時代があったのだ。TVより映画は上位だという無根拠な選民思想も少なからずあるかもしれないが、どちらが上かはともかく映画とTVでは演者の振る舞い方が決定的に異なるのは確かだ。今回は詳しく論考しないが、TVと同じままで映画に出たため違和感が発生する事案は過去にいくつもある。

是枝裕和監督による調教を経た現在の福山雅治は、映画での振る舞いを完璧に捉えている。『容疑者Xの献身』と同じドラマシリーズの劇場版である最新作『沈黙のパレード』では、最良の形でのTVから映画への変換が行われており、見応えがあった。ただ同時に、映画の枠に収められないTVスターの喪失には少しの寂しさも伴う。そんな福山雅治が映画に陥落(?)した現在、映画の枠に収められない最後のTVスターが香取慎吾ではないだろうか。

SMAPの元メンバーの中で最も自己演出に意識的なのが、意外にも香取慎吾である。かつて木村拓哉は「何やってもキムタク」と揶揄されていたが、それ以上に香取慎吾は「何やっても慎吾くん」なのだ。だが「何やっても慎吾くん」と言われないのが、自己演出が完璧すぎるからに他ならない。特にバラエティ番組では、香取慎吾は常に香取慎吾というスターを演じている。どうだろう、香取慎吾の完全な素をTVで見た記憶があるか。最近よくモノマネされるような首から上を小刻みに左右に振ってちょっと高めの声で喋る、あの作られた香取像しか思い出せないのではないか。

※注 もちろん本来は熱心なファンが目撃しているであろうコンサートや舞台などでの香取慎吾も考慮するのが筋である。ただ今回は、特にファンではない外野が認識している範囲であるTV、映画における香取慎吾とは何かという論考に留めた。筆者がそれ以上の深淵にアクセスできないのが主たる理由だが、一般論にするにはそうするしかないのもある。

さらに香取慎吾は、バラエティ番組においては非常に積極的に笑いを取りに行く。『笑っていいとも』レギュラー時は、中居正広草彅剛は素の部分を露呈して周囲からツッコミを入れられる(天然)ボケ側の立ち位置を確保していたが、香取慎吾の笑いは自発的だ。中居正広は私服がダサいと周囲からいじられるが、香取慎吾は奇抜な衣装を着て周囲からいじられるように仕向ける、などのように。素の部分を笑いのネタにしないのは、自分の考えるTVスターとしての美学から外れないためであろう。

そんな、おそらくは堂本剛以上に笑いに対して自意識のある香取慎吾が、TVと同じまま映画に出るとどうなるか。香取慎吾は芸歴にしては出演映画は少ないほうだが、いずれも基本的には香取慎吾のままで出ている。『凪待ち』のように完全なる別人格を与えられる場合は別だが、コメディではどうしても役柄よりもTVスター・香取慎吾が勝ってしまう。猿の扮装をしようと眉毛を繋げようと、いくら外見を変えても香取慎吾は香取慎吾のままだ。

本作『犬も食わねどチャーリーは笑う』は、田村裕次郎(演:香取慎吾)と日和(演:岸井ゆきの)という夫婦が主人公。表面上は仲睦まじく理想の夫婦に見えるが、実は日和はネットサイト「旦那デスノート」に裕次郎への愚痴を延々と書き込んでおり、裕次郎はそれを知ってしまいショックを受ける、という話である。自分では良き夫のつもりが妻には負担をかけているというマッチョイズムの構図は、持ち前の筋肉も相まって、香取慎吾との愛称は悪くない。他者に対して上からいくために披露されるのが雑学(海上自衛隊は金曜日にカレーを食べるとか、そのレベル)なのも、裕次郎の薄っぺらさを巧く表している。

だが、この話のコメディとしての核となるのは、妻の裏側を知ってしまった裕次郎がどうしていいか解らず苦悶する部分である。TVスター・香取慎吾による「自発的な笑いの提供者」という立ち位置は、その場をコントロールできる優位性を備えている。そのため、いじられて相手より下の立ち位置になる経験に乏しいので、やり込められたり、翻弄されたりといったシーンになると、TVスター・香取慎吾との不整合によって大きく違和感を発生させる。喋り方とか、TVとそのままだからなあ。

あとこれは脚本の問題なのだが、どうもこの映画は物語上の重要な転換点があっさりしているので、演者の対応が難しいところがある。「妻の書き込みを夫が知る」「妻の書き込みを夫が知っているのを妻が知る」「妻の書き込みを知っているのを夫が妻に知らせる」など夫婦の関係性がガラッと変わる転換点が、数秒のさらっとしたシーンで済まされているのだ。盛り上がるべきところで盛り上がらないので、物語の流れに沿った演技の切り替えが難しい。香取慎吾だけでなく、演技力には定評のある岸井ゆきのも対応に苦慮しているのかずっと顔が硬かったし。

映画の後半、色々あったものの部下の披露宴で互いに繋がっていると確認してわだかまりが一旦は解けた夫婦は、散らかった自宅を無言で片づけ始める。ここは深田晃司監督『歓待』のラストを思い出させる素晴らしいシーンで、このままエンドロールが流れれば充分に満足できたかもしれない。でもこの後、それまでの積み重ねを無理やりリセットして、別のシチュエーションでもう一度夫婦関係の破綻と回復を短い尺で行うのだ。最後に別の短編をくっつけているみたいで、ひとつの映画としては完全に蛇足。『台風家族』の時にも少し感じたが、どうにも市井昌秀監督はプロットの段階で変なことをやりがち。それら不安定な物語構築のせいで、おそらく本作の主題である夫婦という社会システムへの問題提起は、あまり巧くいっていない。

ともあれ、香取慎吾が映画の枠に収まりきらないTVスターであることが確認できたのは、ある意味では収穫である。ちょっとTVで売れれば簡単に映画にも出演できるようになった昨今、TVの中だけで純粋培養されたスターは今後は現れることは無いだろう。その意味で、最後のTVスターという貴重な存在であり、これからも映画に出演しては、映画の枠に収まりきらない存在感を見せつけてほしい。それはTVとの差異を失いかけている現在の映画にとっても有益なのだから。
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