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【邦画】『さんかく窓の外側は夜』ネタバレあり感想レビュー--大袈裟なヴィジュアルで創り込まれた空間のほうが、心霊ホラーは成立しやすいのかも

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監督:森ガキ侑大/脚本:相沢友子/原作:ヤマシタトモコ
配給:松竹/上映時間:102分/公開:2021年01月22日
出演:岡田将生、志尊淳、平手友梨奈、滝藤賢一、筒井道隆、マキタスポーツ、新納慎也、桜井ユキ、和久井映見、北川景子

 

注意:文中で終盤の展開に触れていますので、未見の方はネタバレにご注意ください。

 

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先に結論を言ってしまうと、けっこう満足感を得た作品なのである。これから不平不満も多く並べるけれど、普段どうしても心霊ホラーにノれない自分にしては、「ああ、この方法を取ってくれれば心霊ホラーも充分に面白がれるかな」と思えたのは事実だ。もっとも、本作は(特に日本の)心霊ホラー作品としては変化球ではあるのだけれど。

さんかく窓の外側は夜 1 (クロフネコミックス)

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少年時代の短い回想シーンのあと、舞台は都会のスクランブル交差点から始まる。書店アルバイトの三角康介(演:志尊淳)は、行き交う人混みのなかに彷徨う霊の姿を視てしまい、慌ててその場を立ち去る。その様子を少し離れたところから見つめて薄く笑う冷川理人(演:岡田将生)。なかなか巧みに不穏感を煽る冒頭である。

で、この冒頭からして異様なのは、主演の2人のみならず、数多い通行人の全員が黒づくめの服装だったのである。パンフレットによるとBabymixという名前のスタイリストのアイデアだそうだが、映画全体を通して、出てくる人物の9割が黒系の服で統一されていて圧巻だった。主要な登場人物の中で白系の服で通していたのが「母もしくは妻として家庭に属する女性」2人だけなのは意図的であろう。

このシーンの少し後にOP曲とともに「大量の死体が無造作に転がる建物内」のイメージショットが流れ、タイトルが出る。この映像が何なのかは後半で明かされるものの、いきなり説明なしでの強烈な残酷描写には面食らう。この映画、全体を通してヴィジュアル面で何かと大袈裟なのである。ちょっとやり過ぎじゃないかというポイントを突いてきて、明らかに我々のいる日常とは別の異質な世界であると強調される。

心霊ホラーとして変化球なのはここで、通常は「日常に潜む恐怖」を演出したいがために、ここは現実世界なんですよと強調する導入が多い。だが現実設定なのにルール無用で何でもありの心霊現象を出されると、途端に醒めてしまう。だが逆に、大袈裟なヴィジュアル重視で創り込まれた空間にすると、心霊現象の非論理性はさほど気にならなくなる。不条理劇は人工的な空間のほうが映えるのだ。

さて、物語に話を戻す。三角ははっきり霊が視えるのだが、それが嫌で普段は眼鏡をかけている。除霊を生業としている冷川は、霊を祓うのはできるのだが、ぼんやりとしか視ることができない。しかし冷川は三角の身体に触れて共鳴することで霊をはっきり視ることができて、仕事の効率が上がるため、助手として雇うことにする。

霊に関しては、それなりにロジカルな設定が創り込まれている。ただこの設定によって、霊を視て怯える志尊淳に「大丈夫ですよ」と優しく声をかけながらバックハグして胸のあたりに手を置き、ゆっくり眼鏡を外してあげる岡田将生、という特定方面へのアピール然とした状況が生まれるわけではあるが。一連の動作には全て理由があるのであって邪な狙いなんて無いですよ、という言い訳のための設定としか思えないが、考えすぎだろうか。

まあそれを含めて、ダウナーな空気感を纏った役者による、動きが少ないからこそ存在感のある演技は悪くない。無表情で人を呪い殺す非浦英莉可を演じる平手友梨奈はラスボス感たっぷりだし、話を転がすためだけの脇役然としていた刑事役の滝藤賢一が実は重要な能力を持っていると明かされたところは良い意味で裏切られた。大袈裟なヴィジュアル空間だからこそ成立するキャラクターショーとして充分に楽しめたし、それにより心霊描写にも不自然さが気にならなくなっていた。

ただ、ここから苦言モードに入るのだけれど、どうも中盤以降で登場人物のキャラ設定に唐突な変化が何度も訪れて、観客は取り残されてしまうのである。主人公の三角を導く立ち位置の冷川がサイコパス気味になるのは意外性の範疇かもしれないが、さっきまで平気で人を呪い殺していた非浦が急に罪悪感に悩む女子高生になっていたのには「おい、ちょっと待て」と言いたくなった。おまえ、ラスボスじゃないのかよ。

鑑賞後に原作漫画を読んでみたところ、原作では丁寧に積み上げられた微妙な性格設定や関係性を、映画では解りやすい定型のキャラクターに変更していたと解った。それは2時間弱の尺に収めるには必要な措置であろう。特に非浦英莉可なんて、原作では指示されるがまま呪い行為をやっているだけで、表向きはノンシャランとして軽口を叩くような女子高生なのである。そんな明るい役を平手友梨奈ができるわけもなく(悪口じゃないですよ、念のため)、キャスティングの時点で大幅な変更をする前提なのだ。

中盤以降の唐突なキャラクターの変更は、原作漫画9巻分(現時点で)に及ぶ流れを圧縮したことによるものであろう。その無理を押し通すための、過剰なヴィジュアルを重視した人工的な空間だったのかもしれない。成功しているかどうかは別として、手段として間違ってはいない。もっとも重要視されているのは役者のキャラクター演技で、それを盛り立てるための過剰なヴィジュアル空間が用意されていて、物語内容の優先順位は高くない、という感じか。

で、肝心のクライマックス。部屋中に黒い紐みたいなのが張り巡らされていて、よく見ると「死ね死ね死ね」って文字になっているという、ちょっと笑ってしまうくらい過剰な空間で主人公たちと呪いの塊が対決する。だがここで邦画の悪い癖が出てしまう。「過去のトラウマと向き合い精査することで全ての解決とする」というお決まりの展開だが、それによる「主人公たちが過去に入り込むシーン」がとにかく長い。邪悪な呪いの塊との一進一退の攻防をしているはずなのに、のんびりし過ぎで緊迫感が全く無くなるのである。

こういう感動演出自体は、個人の好き嫌いかもしれない。でも脚本上の問題として、ゆったりした回想モードに入るのなら、その前にタイムリミットが迫っている描写はノイズになるだけなのでやめてほしい。本作の場合、ご丁寧にタイムリミットが2つもあるんだよ。しかも、過去の中だけで全てが解決していて、呪いが消える描写とか、タイムリミットを必死に伸ばそうとしている人たちが最後どうなったのか、ちゃんと教えてくれない。単純に観客に対する不義理であろう。

とまあ、クライマックスは尻すぼみだったけど、心霊ホラーとしては珍しいアプローチだったので、楽しかったのは事実です。原作通りではあるけど、滝藤賢一の「信じないから呪われない」設定は斬新で、今後の作品にも流用できそう。
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 映画版のノベライズ

 

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