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【邦画】『花束みたいな恋をした』ネタバレあり感想レビュー--「自分語り発生装置」によって観客に共感させることだけを目的としたヒットメーカー・坂本裕二の渾身の一撃

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監督:土井裕泰/脚本:坂本裕二
配給:/上映時間:124分/公開:2021年1月29日
出演:菅田将暉、有村架純、清原果耶、細田佳央太、韓英恵、中崎敏、小久保寿人、瀧内公美、森優作、古川琴音、篠原悠伸、八木アリサ、押井守、PORINA、atagi、モリシー、佐藤寛太、岡部たかし、オダギリジョー、戸田恵子、岩松了、小林薫

 

注意:文中で終盤の展開に触れていますので、未見の方はネタバレにご注意ください。

 

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映画監督よりも先に名前の挙がる脚本家は今の日本では宮藤官九郎くらいかと思っていたが、坂本裕二もそのひとりであるようだ。宣伝媒体では「『それでも、生きていく』『最高の離婚』の名脚本家が手掛けた」と売り文句に利用され、監督の土井裕泰は「坂本裕二と『カルテット』などでタッグを組んだ」と、添え物みたいな紹介しかされない。『罪の声』を撮った人なのに。

そんな、特にTVドラマでは押しも押されもせぬヒットメーカーの坂本裕二だが、菅田将暉がパンフのインタビューで「共感大喜利の達人みたいな方」と例えていた。ここまで完璧に坂本裕二作品の特徴を言い表した言葉も無いだろう。本作『花束みたいな恋をした』は、観客の共感を得ることに全力を注いだ作品であると、制作陣がはっきり明言している。恋愛モノは全てそうであるとも言えるが、様々な方向から観客の共感を煽ってくる坂本裕二の手腕は、たしかに目を見張るものがある。

劇中で描かれる20代カップルの5年間に及ぶ一挙手一投足から、観客は過去の記憶を脳内から引き出され、恋愛エピソードだとか恋愛観とか、自分語りを始めてしまうのは至極当然である。制作陣が「観客に共感されること」を念頭に置いているのだから、それが正しい鑑賞方法だ。脚本がこうだ演出がどうだとのたまっている輩なぞは、観客として想定すらされていない。

観客から共感を得ることを最大の目的とした作品を「自分語り発生装置」と勝手に呼んでいるが、本作の場合はそのための手段として、いかにもドラマティックなエピソードを避けており、それによって平凡な日常を送る観客の最大公約数を狙っている。たまたま終電に乗り遅れたことによる出会いはギリギリ日常の範疇だろうし、同じ靴を履いているのも読んでいる小説が似通ったラインナップなのも、当人はともかく傍から見れば運命と言い切るには弱い。

主人公である麦(演:菅田将暉)と絹(演:有村架純)のカップルは、今村夏子や滝口悠生といった小説家など、好きなカルチャーが共通していることで意気投合していく。そこから先の恋愛模様や2人の関係性も、小説、漫画、映画、演劇、ゲームなど、実在する固有名詞を通して表現される。

麦と絹を結びつけるのが「共通のカルチャー」なため、そのカルチャーとの距離感が変化することで、2人の関係性も変わっていく。かつてはイラストレーターを夢見ていた麦は、2人の生活のために就職して深夜まで働くことで考え方に変化が起きて、好きだったカルチャーから距離が生じる。一方の絹は、あくまで自分の「好き」を守り、仕事もエンタメ方面へ進む。

お互いの些細な変化からくるズレが、月日を追ううちに徐々に大きくなり、やがて恋愛関係に終止符を打つ。それはとても普遍的な構図で、観客の共感を誘う手段としては最善の一手だ。しかもそれを、『ゴールデン・カムイ』を読んだ巻数の差で表すのは、「共感大喜利の達人」の名に相応しい渾身の一撃である。普遍的な恋愛模様を実在の固有名詞によって特徴的に表現することで、観客の似たような過去の一幕にも彩りを与える。見事としか言いようがない。

ラスト間際、ファミレスでの別れ話にて、麦と絹は恋人関係になる前のエピソードを互いに持ち出す。麦は、ミイラ展でテンションが上がっていた絹に引いていたと暴露し、一方の絹は、麦の作った「劇場版 ガスタンク」を見て眠くなった(というか寝ていた)と白状していた。つまり、最初から「何から何まで同じものが好きなわけではなかった」と明かされるが、このことを付き合う前に認識していたら、また違った結末になったかもしれない。って、そんなことを考え始めると、自分語りに繋がってしまい、制作陣の術中にハマる危険があるのだが。

最後に。普段のブログレビューではなるべく避けているのだが、本作に触れる以上は自分語りをせねばならない。「爆弾やゾンビより身近なもの」として恋愛をテーマにしたと制作陣は言うが、日常からの距離感においては、恋愛とゾンビとで大して変わらない自分にとっては、この手の作品への接し方に戸惑う。まあ、ショッピングモールでゾンビに襲われる自分を想像するのと同じように、「ここで恋人からこう言われたら自分ならどう返すか」とシミュレーションするのが正解かもしれない。でもそれ、虚しいだけなんだよなあ。

街中で自分と全く同じ趣味の有村架純と偶然知り合うのと、街中で平手友梨奈に呪いをかけられるのと、自分の人生で起こる可能性が高いのは後者である。そういう人にとって、普遍的な恋愛を既に経験している最大公約数の人たちへ向けられた「自分語り発生装置」は、手に余る存在であり、どう処理していいか解らない。まあこれは、圧倒的マイノリティによる愚痴なのだが。本作に絶賛の声が多数挙がっているのは、みんな何かしらの恋愛経験を既にしていることの証左なわけで、それは喜ばしいことであろう。
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