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【邦画】『白鍵と黒鍵の間に』レビュー—冨永昌敬監督は、ひとつの時代を現実から切り離して閉じ込める


監督:冨永昌敬/脚本:冨永昌敬、高橋知由/原作:南博
配給:東京テアトル/上映時間:94分/公開:2023年10月6日
出演:池松壮亮、仲里依紗、森田剛、クリスタル・ケイ、松丸契、川瀬陽太、杉山ひこひこ、中山来未、佐野史郎、洞口依子、松尾貴史、高橋和也

 

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冨永昌敬監督は、いつも映画の舞台を現実から切り離す。末井昭の自伝的エッセイを原作とした『素敵なダイナマイトスキャンダル』では、実話を元にしており過去に実際にあった出来事にも関わらず、劇中のハチャメチャぶりが今の現実と全く繋がっていないファンタジーのようになっており、困惑した。もっとも、それはただ単に、70~80年代のエロ雑誌の編集部という舞台と、末井昭という人物自体が、殊更に特殊だったからかもしれない。

だが本作『白鍵と黒鍵の間に』においても、やはり冨永監督は劇中の時間と空間を、我々のいる現実から切り離そうとしている。こちらもまた原作はピアニスト・南博による自伝的エッセイであり、個々のエピソードは基本的に原作準拠だそうだ。だがそれらを一夜の出来事としてまとめ、さらには構成自体にも壮大なカラクリを仕込むことで、虚構性を増幅させている。

 

公式がアピールポイントとしているので先に言ってしまうと、本作では敏腕ピアニスト・南とピアニスト志望の青年・博の両方を、池松壮亮が一人二役で演じている。一晩の物語であるし南と博が同じ場所にいる瞬間も序盤にあるので、別人であることは明白だ。だが、片方が名前のみでもう片方が苗字のみで呼ばれていたり、あるいはセリフで言及される南の3年前の様子が博に極似しているなど、要所で2人のピアニストは同一人物であって2つの時制(「現在」と「3年前」)が交互に描かれているかのように錯覚させようとしている。

昭和63年の銀座(時と場所だけで禍々しさを感じるわけだが)。ジャズピアニスト志望の博(演:池松壮亮)は、その日も安いキャバレーで酔っ払いを相手にピアノを演奏していた。そこにふらりと現れたチンピラ風の”あいつ”(という役名、演:森田剛)から、『ゴッドファーザー 愛のテーマ』をリクエストされる。店長は「それだけは駄目だ」と止めようとするも、”あいつ”に殴られて気を失う。そして博が『ゴッドファーザー』を演奏しようとする瞬間にシーンは切り変わる。

注意:このあとの自由課金部分(払わなくてもOK)で終盤の展開に触れていますので、未見の方はネタバレにご注意ください。

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