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【邦画】『ブラックナイトパレード』ネタバレあり感想レビュー--福田雄一の辞書に「辻褄」の文字は無い


監督&脚本:福田雄一/原作:中村光
配給:東宝/上映時間:108分/公開:2022年12月23日
出演:吉沢亮、橋本環奈、中川大志、渡邊圭祐、若月佑美、藤井美菜、山田裕貴、佐藤二朗、玉木宏

 

注意:文中でクライマックスの内容に触れていますので、未見の方はネタバレにご注意ください。

 

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中村光の漫画の中で最も有名で人気なのは『聖☆お兄さん』で間違いないのだが、個人的には『荒川アンダーザブリッジ』と、本作の原作である『ブラックナイトパレード』が大好きなのである。単に好みの問題も含まれるのだが、『聖☆お兄さん』は「日常の中に異物を置いて、そのズレを面白がる」という極めて古典的な笑いの手法である。題材がアンタッチャブルという独特の利点もそれほど生かされておらず、数多の同じ構図のギャグ漫画と比べて飛び抜けているわけではない。

『荒川アンダーザブリッジ』と『ブラックナイトパレード』は逆の構造で、「日常の人物が不条理な世界に入り込む」という話である。この2作は不条理な世界そのものに中村光による独自性があり、それゆえ繰り広げられるギャグも当然の如く突拍子の無いものとなる。ギャグ自体は日常においてはベタの範疇でも、不条理な空間の中で繰り広げた途端に唯一無二のものとなるのだ。

そして、『荒川~』『ブラック~』が、『聖☆お兄さん』と最も異なる点として、これらは一応は長編のストーリー漫画なのである。おそらく中村光の作家性なののだが、長編となるとやたらと伏線らしきものを張り、あちらこちらに風呂敷を広げ、あれよあれよという間に話が壮大になっていく。回収されないままの伏線らしきものも数多く残されているが、長期連載の漫画であれば、それもひとつの味であろう。そう納得してしまうほどに、中村光の「不条理な世界の拡販」という名の暴走行為には不思議な魅力が伴っている。

 

さて、そんな中村光の漫画を実写化した映画『ブラックナイトパレード』であるが、福田雄一にしてはプロットが整っていた。念のため強調するけど、福田雄一にしては、だからね。まず、話の意味が解る。そんなところを褒めている時点でどうかと思うが。

映画は、原作における3巻までの話を、非常に刈り込んだ形にして提示している。あらすじを簡単に説明すると、大学受験にも就職にも失敗してコンビニでバイトしている22歳の青年・日野三春(演:吉沢亮)が主人公。ブラックな職場と使えない同僚バイトに疲弊しきっていたクリスマスの夜、黒いサンタ服を着た男・クネヒト(声:玉木宏)の持つ袋に飲み込まれ、北極にある会社「サンタクロースハウス」へと拉致される。いくつかのやり取りがあり、世界中の子供にプレゼントを配るという業務を行う「サンタクロースハウス」に就職することになる。

このように、日常から不条理な世界へと主人公が入り込むくだりが映画の前半で、「サンタクロースハウス」の具体的な業務内容がギャグタッチで描写される。そして、コンビニバイト時代の使えない同僚・田中皇帝(演:中川大志)が「サンタクロースハウス」社員として再登場するのが物語上のフックとなり、子供たちにプレゼントを配る「トナカイ」と呼ばれる花形部署へ異動するための試験に挑戦する後半の展開に繋がっていく。

うん、福田雄一にしてはプロットがちゃんとしている。それは原作のプロットをそのままなぞっているからなのだが。原作では登場人物それぞれが大きな秘密を抱えており、序盤から大量の伏線が張られているのだが、映画ではほぼ全てを省略している。もっとも、主人公と両親絡みについての伏線は半端に残っちゃっていて、まったく整理されずに放ったらかされているけど。まあ、福田雄一の辞書に辻褄なんて単語は載っていないので仕方ない。

ともかく、物語を大きく刈り込んだプロット、つまり原作からの引き算に関しては、そこまで悪くないのである。では原作には無く福田雄一が付け加えた足し算の部分はどうであったか。別にもったいぶるのも意味が無いので先に言うが、いや~最悪でしたね。毎回同じことを言うのも嫌になってくるけど、まず価値観を現代にアップデートしてくれないか。

いちいち挙げていくとキリが無いので倫理的にマズいシーンをひとつ。三春とともに「サンタクロースハウス」で働く北条志乃(演:橋本環奈)という女性がいる。相談事がある三春は志乃の部屋をノックする(「サンタクロースハウス」は全寮制)が返事が無いので、躊躇することも無く勝手に入る。はい、この時点でアウト。そして家主のいない隙にベッドや枕に貌を埋めて「女子の匂いだ~」とはしゃぐ。はい、ツーアウト。そこに志乃が現れたので慌てて隠れるが、すぐに見つかる。志乃は勝手に自分の部屋に入ってきた男に対して怒るでも怖がるでもなく「三春君、来てたんだ」と普通に受け入れる。はい、男にとって都合の良すぎる聖母キャラですね。スリーアウト

原作では、三春は志乃の部屋に入らざるを得ない状況下にあった。そして、ベッドや枕の匂いを嗅ぐなんてことはしていないので、これは福田雄一が面白いと思って付け加えた足し算の部分だ。こういうギャグのセンスが前近代的なんだよなあ。価値観が古いというより、単にチキンなので新しい笑いとか怖くて手を出せず、昔にウケたことしかできないのだろう。

この先は原作と同じだが、三春の前に現れた志乃は坊主頭であった(普段はウイッグを付けている)。よく知る女性が坊主頭ってだけでも焦るのに、ベッドの上に仏像を見つけ、ますます三春は混乱する。

これ、原作での志乃は寺の娘であり、それゆえの坊主頭に仏像なのである。志乃の重い過去を示唆する伏線でもあるが、映画では「寺の娘」という部分を引き算により完全に削除している。するとどうなるかというと、坊主頭と仏像は単なる「シュールなギャグ」でしかなくなっているわけである。百歩譲って仏像には目を瞑ろう。しかし「若い女性の坊主頭」を「シュールなギャグ」にするのは、相当マズいぞ。何がマズいのかも福田雄一は理解できないだろうけど。

以上は倫理的な問題点だが、それ以前に福田雄一には物語を創作する能力がないという例を挙げる。映画のクライマックスは、三春たちが「トナカイ」になるための最終試験の際に起きる。最終試験は、実際に夜中の東京を訪れ、寝ている子供たちにプレゼントを配る実技だ。詳しくは端折るが、三春はクリスマスを嫌う存在によって抹殺の対象とされており、最後の配達をしようとした際にそいつの手下である大量のネズミに襲われることになる。

ここは映画上の物語を終わらせるための、原作にはないオリジナルの部分だ。つまり福田雄一の創作能力が如実に表れるわけで、結論から言うと、まあ酷かった。他が原作準拠なために最低限の体裁が整っている分、その駄目さが際立っていたし。最終試験のシーン自体は原作にもあるが、こちらは会社が用意したパラレルワールドみたいな人のいない空間で行われる。原作通りにすると空間の説明が大変なのはわかるが、しかし現実世界で、サンタが鍵穴に針金を突っ込んで玄関の鍵を開けてるのはどうなんだ。それも面白いギャグのつもりか。

最後のプレゼントを渡す子供は高層マンションの上階に住んでいる。オートロックだから鍵は開けられないと、マンションの外壁をのぼる三春。いや、窓の鍵だって開いてないと思うけど。普通マンションの窓はクレッシェンド錠なので、針金も使えないし。窓を割る気か。

そこに突然現れるネズミの大群に襲われ、一度は地上まで墜落する三春。だが、何があってもプレゼントを渡すのがサンタだと再び壁を登る。そこでコンピューターの天才である志乃は、屋上から屋内に入る扉をハッキングして鍵を開けようとする。それができるなら玄関のオートロックも開けられるんじゃないのかなあ。三春は苦労して屋上まで登るも、そこには大量のネズミが。そこに颯爽と現れる、仲間の古平鉄平(演:渡邊圭祐)。いや、さっきまで地上にいたはずの彼はどうやって瞬時に屋上に現れることができたの? そこをまったく説明しないって何?

屋上でネズミの大群と闘う三春たちの元に、志乃からの無線で、扉の鍵が開くまでのカウントダウンが始まる。3・2・1という切迫したカウントを耳にしながら、大量のネズミを振り切りながら扉を目指す三春。えーと、もう一度言うね。"扉の鍵が開くまでのカウントダウン"だよ。カウントが終わったら扉が閉まるんじゃないよ。むしろカウント前に扉に到達しても開かないんだよ。何これ? 映画でこんな謎のシーンを観たの、生まれて初めてだ。

ネズミの造形はリアルで不気味だし、クライマックスに相応しい派手なアクションのつもりなんだけどさ、あらゆる辻褄がひとつも合っておらず、人物たちの行動原理も具体的な状況も何もかもが意味不明なので、観客は緊迫感に手に汗握るとかの遥か手前で呆然とするしかないのね。話が原作から離れた途端にこれかよ。結論としては、福田雄一が余計に何かを付け足したところを全て剥ぎ取ればマトモになる作品ってことでした。あんまり個人攻撃めいたことはしたくないけど、さすがに無理だ。
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