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【邦画】『炎上する君』感想レビュー—未成熟な社会への啓蒙は、自らも未成熟にならなければ伝わらないというジレンマ(※ 後半有料)


監督&脚本:ふくだももこ/原作:西加奈子
配給:レプロエンタテインメント/上映時間:42分/公開:2023年8月4日
出演:うらじぬの、ファーストサマーウイカ、齊藤広大、中井友望、南久松真奈、大下ヒロト

 

 

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ふくだももこ監督が、ジェンダー問題に対して真摯に向き合い、社会から抑圧されている性を解放せんと高い志を持っているのは間違いない。だが同時に、そのために問題提起している具体例が、「まだそんなレベルの話をしているの?」と言いたくなるような初歩的な内容であるのもまた事実だ。これは別にふくだ監督の見識が浅いわけではなく、そんな初歩の話からしないといけないくらいに、ジェンダー問題における日本社会の現状が未成熟だからであろう。

ふくだ監督の過去作でいうと、映画『ずっと独身でいるつもり?』田中みなみ演じる独身女性の話は、ジェンダー問題に対してど真ん中から切り込んでいる。付き合っている相手の男性が、「結婚したら女は仕事を辞めるのが当然」など男尊女卑丸出しの旧態依然な価値観の持ち主だと解り、主人公が困惑していく話だ。たしかにこれは「まだそんなレベル?」の範疇だが、そんな低レベルなジェンダー観の持ち主が少なくない現実があるのだから仕方ない。

ただ、そんな旧態依然な価値観の男の趣味が「空の写真ばかり撮る」「スパイスからカレーを作る」であり、「こういうタイプの男はヤバいんだよ」と暗に示しているのは、どうなのか。別に写真もカレーも悪いことではない。これでは「アニメ好きな男は犯罪者予備軍」と同じ差別的な偏見ではないか。原作があるからだろうが、それにしたって古臭いイメージに囚われているという意味では、劇中の男とどっこいどっこいである。どんな趣味であれ馬鹿にしないのも、多様性のひとつであるはずなのに。

ふくだ監督自身の小説を映画化した『君が世界のはじまり』が持つテーマの深さと比べると、やはりジェンダーが大きく絡む時は作品のレベルをあえて下げているように思える。それは、あまりに未成熟な社会に訴えかけるためには、発信者のレベルも同じように下げなくては伝わらないからではある。ただ、その時にジェンダーとは別の部分までレベルを下げてしまい、結果として自らも旧態依然な価値観に陥ってしまっているようなのが引っかかる。

映画『炎上する君』は、今は亡き高円寺のガード下から始まる。エスニック風の衣装に身を包んだ2人の女性が一心不乱に踊りまくり、周囲に群がる人たちが熱狂している。女性が脇毛を大胆に見せた時に、その盛り上がりは最高潮に達する。たまたま通りかかった通行人が持っていた鞄を放り投げて群衆の輪の中に入っていくような、かなり戯画的に誇張された演出表現となっている。

脇毛を「女性の性からの解放」と位置付けているのを含めて、女性が激しく踊るのを社会への怒りとする辺り、ジェンダー問題をきわめて解りやすく単純化しており、言ってしまえば寓話である。単純化された啓蒙が、もれなく寓話となるのは、当然の理だ。

 

注意:このあとの有料部分でラストの展開に触れていますので、未見の方はネタバレにご注意ください。

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