ヤガンEX

映画とか漫画とか似顔絵とか

【邦画】『コンビニエンス・ストーリー』感想レビュー--三木聡監督の新たなる挑戦は素直に嬉しいが、遅すぎるという感も否めない


監督&脚本:三木聡/原案:マーク・シリング
配給:東映ビデオ/上映時間:97分/公開:2022年8月5日
出演:成田凌、前田敦子、六角精児、片山友希、岩松了、渋川清彦、ふせえり、松浦裕也、BIGZAM、藤間爽子、小田ゆりえ、影山徹、ガシャラ・ラジマ

 

注意:文中で終盤の展開に軽く触れていますので、未見の方はネタバレにご注意ください。

 

スポンサードリンク
 

 

『大怪獣のあとしまつ』の公開時、三木聡監督の過去作品を観返して当ブログでまとめたことがある。そこでも触れた三木作品の構造を改めて短くまとめると、第一にナンセンスなギャグがシーン単位で羅列されており、その無意味なシーンをくっつけるためだけの物語だったり、唐突なギャグからくる違和感を減らすための虚構的な空間演出に、多くの労力が注がれている。主目的のギャグよりも、そのための手段(物語、空間演出)のほうがクオリティが高いという本末転倒なことが起きているのだが、実はそれこそが三木監督の作家性である。

yagan.hatenablog.com

 

さて本作『コンビニエンス・ストーリー』だが、三木監督の新たなる挑戦と言い切っていい。何より、これまでの三木作品では主目的としていた、笑わせるタイプのギャグが非常に少ない。しかも、三木作品の常連でありギャグ担当の岩松了ふせえりは、メインストーリーからは完全に切り離されている。メインを張る成田凌前田敦子は三木作品には初出演だし、なんとなく三木ワールドっぽい六角精児も、実はドラマ『時効警察はじめました』と『大怪獣のあとしまつ』の2作しか三木作品には出演していない。配役だけでも過去作からの脱却を狙っているかのようで、かなり挑戦的なのである。

では、だいぶ端折ったあらすじ。脚本家の加藤(演:成田凌)は、人里離れた草原の中にポツンと佇むコンビニエンスストアで、店員の恵子(演:前田敦子)と出会う。なぜか車が消失したため帰れなくなった加藤は、恵子とその夫・南雲(演:六角精児)が暮らす一軒家に居候させてもらうことになる。実はこの時点で加藤は異世界に迷い込んでいるのだが、本人は気づいていない。

南雲は、森の中でスピーカーをオーケストラ楽団のように並べてクラシックを流し、ひとりで指揮棒を振るのを日課としている。これまでの三木作品であれば、これもまたナンセンスなギャグとして捉えられるところであるが、表面上は温和なようでいて内に潜む猟奇性を垣間見せる六角精児の抑圧された怪演のため、むしろ背筋が凍るような恐怖を感じる。六角精児は、その見た目とバラエティ番組でのコミカルさからギャグ要員と見做されがちだが、役者としての本領は別にあるのではないか。

三木監督が『郵便配達は二度ベルを鳴らす』をオマージュ作品のひとつと挙げている通り恵子は加藤を誘惑して不倫関係に陥り、情事を重ねるようになる。さすがに観客には裸体を見せないが、バスタオルをはだけてゆっくり抱きついてからの濃厚なキスというファム・ファタールぶりを見せる前田敦子は、これまでの出演作をはるかにしのぐ過去最高の妖艶さである。廣木隆一黒沢清も成し遂げられなかった、前田敦子の"映画での最適な起用法"を見出したのが三木聡というのは驚きだ。

本作は、これまでの三木作品のようなヴィヴィッドな色彩の空間演出とは対照的で、赤や黄色など原色が強いが彩度を極端に落とした色調整が行われている。これにより、異世界(ほぼ最初から判明しているのだが、つまりは死後の世界)という空間が強固になっている。どこか魂の抜けたような前田敦子と六角精児の佇まいも、夫婦間が冷え切っているからなのか、それとも別の理由からなのかが判然とせず、異世界の住人としての絶妙なバランスを漂わせている。

このように三木監督お得意の空間演出は、本作にとっての最良の形で進化させられている。同様に、もうひとつの得意技である雑多なシーンを繋ぐためだけに腐心された物語展開も、論理性を廃して如何様にも推察が可能な物語の構築のために、見事に転用されている。「謎は謎だから謎であり、全ての謎は解けてしまえば謎ではない」という本作のコピーがまったく誇張ではない。さらに言えば、ただのナンセンスなギャグのようでありスルーしがちな序盤のあるシーンが、実は物語上最も重要なシーンだったと終盤で明かされる構造は、過去の三木作品をフリに使っているようでいて、ちょっと感心した。

かように、これまで三木作品ではギャグのための手段として用いられていた物語展開や虚構的な空間演出が、ギャグ以外に向けられたことで新しい可能性を見出しているのが、本作『コンビニエンス・ストーリー』なのである。このスタイルは三木作品では『俺俺』と共通するが、『俺俺』の場合は原作を映像化するための手段として三木監督の特性が活かされていたわけである。本作の場合は三木監督のオリジナル脚本(原案はアメリカの映画評論家・マーク・シリング)である点が重要であろう。ギャグの羅列に腐心していた今までとは違う、三木監督の新たなる挑戦と言っていい。

もっとも、その新たな挑戦の結果が、洋画名作を露骨にオマージュした1990年代のミニシアター邦画のような懐かしいものに仕上がっているのは、三木監督の年齢とキャリアを考えれば遅すぎる気がしないでもない。原案では最大のポイントだったはずの、日本のコンビニが異世界と表現できてしまうほどの特殊性がある点についての言及が少ないのも物足りなさを感じる。この話、舞台がコンビニである必要性があまりないんだよね。

あと、「謎は謎のまま」というコンセプトとは別に、ちょっと詰めが甘いと感じるところも多々ある。成田凌の演じる加藤は観客視点であり基本的には常識人の感覚を持っているのだが、草原の中にポツンとある廃墟にしか見えないコンビニに入ろうとして自動ドアにぶつかるのはどうなんだ。いつものナンセンスなギャグなら許容できても、本作における加藤の立ち位置としては変である。そういう引っかかる箇所がちらほらあるのが勿体なく感じた。ギャグを廃することに慣れていないのだろうか。

ちなみに余談だが、俳優を「ビショビショ」「ベチョベチョ」の状態にしたいという三木監督のフェティシズムだけは削れなかったらしく、本作にも何度か挿入されている、たとえば、前田敦子がガソリンまみれでビショビショになるシーンも、待ってましたとばかりに登場する。ただ、勢いよくガソリンを浴びる前田敦子を慌てて助けにいく成田凌が咥え煙草をしている(でも、引火しない)辺りに、やっぱり詰めの甘さを感じ取ってしまうわけだが。
-----

 

【お知らせ】

邦画レビュー本「邦画の値打ち」シリーズなどの同人誌を通販しています。

yagan.base.shop

-----

 

スポンサードリンク