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【邦画】『ウェディング・ハイ』ネタバレ感想レビュー--バカリズムの持ち味は「伏線を駆使した構成の妙」ではない

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監督:大九明子/脚本:バカリズム
配給:松竹/上映時間:117分/公開:2022年3月12日
出演:篠原涼子、中村倫也、関水渚、岩田剛典、中尾明慶、浅利陽介、前野朋哉、泉澤祐希、佐藤晴美、宮尾俊太郎、六角精児、尾美としのり、池田鉄洋、臼田あさ美、片桐はいり、皆川猿時、向井理、高橋克実

 

注意:文中で終盤の展開に触れていますので、未見の方はネタバレにご注意ください。

 

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映画『ウェディング・ハイ』の売りは何なのだろうか。予告編などの印象では、結婚式披露宴で次々と起こるトラブルに敏腕のウェディングプランナーが解決していくコメディタッチの作品と捉えられがちである。優香主演でNHKでドラマ化された辻村深月小説『本日は大安なり』とよく似た作品のようだが、実際に観てみると、どうもそうとも言い切れない。

映画の構成を大雑把にまとめてみる。まずは、式を行う前までの準備に明け暮れる新郎新婦(演:中村倫也関水渚)を追った前日譚が、尺のおおよそ3~4割を占める。ここで、式当日の展開のための伏線をいくつか張るとともに、テーブルクロスなどの色決めとか誰を招待するしないかとか、披露宴の準備にありがちな光景を一歩引いた視点で提示し、軽くツッコミを入れていく。まあ、脚本を担当したバカリズムのお家芸である。

さて、式当日。スピーチを頼まれた新郎の上司(演:高橋克実)や、2人の馴れ初めビデオの作成を頼まれた後輩(演:中尾明慶)などの出席者に順番にスポットが当たり、そのたびに回想が入っては「いかに自分は、この披露宴という舞台にかけているか」が熱く語られる。つまり本来は披露宴を盛り上げるための脇役の視点がフューチャーされるわけで、これもまたバカリズムらしい「ある事象を別の視点で捉え直す」パターンの一種である。

そして、披露宴の中盤。ここで時間が60分押しだと判明する。しかし新郎新婦からは予定のキャンセルはしないでほしいと言われ、ウェディングプランナー(演:篠原涼子)の奮闘が始まる。上映時間も7割ほど過ぎたあたりで、ようやくウェディングプランナーの視点となるのである。これでは、彼女を本作の主人公とは呼べないだろう。

で、時間を巻くための解決法だが、料理を大皿で同時に出したり、ケーキカットを3分で終わらせたりなど、そんなに奇抜なアイデアが出てくるわけでもない。せいぜい奇抜と言えるのは、和太鼓やマグロの解体ショーなど4つの余興を同時に行わせるところくらいで、確かにそのシーンはシュールな盛り上がりはあるのだが、まあその程度である。

しかも、時間が押すというトラブル発生から解決までが、映画の構成上ではひとつの短いブロックに収まっているのだ。まるで、これだけで独立した短編のようである。そう、この映画は始めから終わりまで、主人公が異なる短編が順番に並んでいるような構成なのだ。視点人物が何度も切り替わるグランドホテル形式ですらない。

新郎新婦が結婚式の準備をする前半、式の参加者の回想が主となる中盤、ウェディングプランナーが難題に立ち向かう後半、それぞれ完全に別種の話なのである。ひとつのシチュエーション(今回は披露宴)からタイプの違う話をいくつも創作するのは、バカリズムの類い稀なる才能であろう。

だが、ひとつの作品の中に全く別のテーマを持った物語が3つも入っているので、何を最も見せたいのか中心が解らず、本作の売りが不明瞭になってしまっている。当然と言えば当然だが、バカリズム自身は長い物語を創るのは不得手かもしれない。それならば、別の誰かが軸を明確にしたうえでまとめるべきであったろう。

そうでなければ、いっそ割り切って散文的(同じくバカリズム脚本の『架空OL日記』がそうだった)にしてしまえば、まだ格好がついたかもしれないが、本作では変に伏線を入れ込んでそれぞれの話を無理に繋げているせいで、余計に歪さが悪目立ちしてしまっている。

これは、昨今の"伏線至上主義"の弊害かもしれない。たとえば錦鯉の漫才ネタに伏線があるだけで賞賛されるなど、とりあえず伏線があれば良いという謎の風潮が、ここ最近では加速している。その分野における天才である宮藤官九郎と比較するのは可哀想にしても、本作の伏線は今の邦画の平均レベルまで達していない。それが如実に表れているのが、最後に付け加えられるサイドストーリーの部分である。

無事に披露宴が終わるが、いくつかの未解決事項が残されている。そして、実は披露宴が行われている同時刻に別の事件が発生していたというサイドストーリーが、伏線回収とばかりに語られる。この構成自体は良い。ただこのサイドストーリー、たいして本編と絡みが無いのね。一応、新郎のお色直しの衣装が紛失する一件があるが、それによって本編に何か影響が出るわけではない。ほかにも何度か、無理やり本編と交差させようとした瞬間があるけど、別にそれが無くても両方とも話は成立している。画面の後ろのほうに見切れるのは伏線ではないし。はっきりと、伏線の扱いが下手なのである。

バカリズムの持ち味は、伏線を駆使した構成の妙ではなく、当然とされる事象を別の視点からシニカルに捉えておかしさを指摘する悪意にある。『架空OL日記』『秘密の花園』では、"OL"をひとつの生態と捉えて、悪意たっぷり描写していた。だが本作には、そのような悪意が感じられない。上司の笑いに特化したスピーチも、後輩のタルコフスキー風の映像も、現場では賞賛されるので、そこには悪意ではなく登場人物に対する愛がある。王道のパターン通りにスベるのを期待していると、肩透かしを食らうのだ。だがそれは、悪意を期待する観客に対する裏切りであり、これこそがバカリズム最大の悪意だったのかもしれないが。

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