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【邦画】『幕が下りたら会いましょう』ネタバレ感想レビュー--松井玲奈の顔が体現する「死者のような生者」が、本当の生者となるまで

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監督:前田聖来/脚本:大野大輔、前田聖来
配給:SPOTTED PRODUCTIONS/上映時間:94分/公開:2021年11月26日
出演:松井玲奈、筧美和子、しゅはまはるみ、日高七海、江野沢愛美、木口健太、大塚萌香、目次立樹、丘みどり、袴田吉彦

 

注意:文中で終盤とエンドロール後の内容に触れていますので、未見の方はネタバレにご注意ください。

 

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売れない劇団を主宰しつつ実家の美容室を手伝う麻奈美(演:松井玲奈)の元に、東京の会社で働いている妹の尚(演:筧美和子)が死んだとの連絡が入る。葬儀のときに実は尚とは母親が違うと知ってしまった麻奈美。また、かつて麻奈美が賞を受賞した舞台は、尚が書いた脚本を盗作したものであった。いくつものわだかまりを残したまま死んでしまった妹との関係を清算するため、麻奈美は行動を始める。

というわけで、相手が死者であるゆえ修復できなくなってしまった関係性を、別の方法によって折り合いをつけるパターンの話である。この構造自体はありがちだが、何度も言っている通り、ベタが悪いわけではない。麻奈美は、遺品整理のために上京した際に知り合った新山(演:木口健太)からの提案で、かつて自分のものと偽った尚の脚本による舞台の再上演を行うことにする。

つい最近では『ドライブ・マイ・カー』など、演劇などのフィクションの力を借りて現実世界を更新しようとする解決法は昔から多いが、本作の場合はこの段階でひとつ大きなフックが用意されており、ここが一番のオリジナリティかもしれない。死者の残した表現とは、演劇の脚本にしろ小説や絵にしろ、世に出せば少なからず話題性がある点で、当事者でなければ金の成る木として扱われてしまう。そんな圧倒的な現実が、麻奈美に突きつけられる。

麻奈美役の松井玲奈の顔が、そんな非情な現実を突き付けられる役に適任だ。新宿武蔵野館のロビーでは劇中での衣装の展示がされており、服の上に松井玲奈の顔写真を切り抜いたパネルが取り付けられていた。この写真が異様に白い顔で、ライティングの効果もあって少し怖かったのだが、映画を観たところ本当に松井玲奈の顔って白さが際立っているのである。

松井玲奈の顔は、顔が白く頬が細いために元々大きな黒目(白目の面積が少ないのもポイント)が更に目立ち、言い方が悪くて申し訳ないが、すでに死んでいるかのような雰囲気がある。これは和製ホラーによくある「白い顔に大きな黒目」という定番の幽霊の造形に近いからであろう。特に映画の中盤、覇気が無く周囲に流されている状態の松井玲奈は、物語上は生き残った者という立ち位置なのに、すでに死者のようだ。

死者である尚の役に生気に溢れた筧美和子を配役しているのも、対比として松井玲奈の死者っぽさを強調する。そんな生ける死者のような雰囲気の麻奈美(=松井玲奈)は、劇中の後半で非情な現実を破壊し、改めてフィクションの力による死者との清算を行おうとする。その転換する瞬間が劇中では描かれない(いつの間にか、その後の時制になっている)のは物足りなく感じるが、その前段となる電話での短い会話シーンに説明を集約させたのは挑戦的かもしれない。

死者のような生者が、生者のような死者との関係を清算することで、本当の生者として生まれ変わる。そのために演劇というフィクションを利用する。フィクションの力を信じることで救われる話であり、この映画もまた(当たり前だが)フィクションである以上、観客もまた救いの一部を受け取れる。よくある手法だが、松井玲奈が漂わせる死者のような生者のような存在感が効果を倍増させる。

尚が脚本の舞台を中止したうえで麻奈美が最後に行う演劇の内容も、これまたありがちではあるが、確かに示唆的だ。死者の残したものを蘇らせる自己満足よりも、たまたまこの世に留まってしまった生者に目を向ける自己満足のほうが、同じ自己満足だとしても、よほど健康的であろう。エンドロールのあと、麻奈美がラーメンをすするシーンがある。ラーメンをすするという生気に溢れた行為は、死者はもちろん、死者のような生者にもできない。ここで初めて麻奈美は、完全な生者となったのである。
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