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【邦画】『アイスクリームフィーバー』感想レビュー—なぜ、広告出身の監督による映画は、どれも似通っているのか?(※ 後半有料)


監督:千原徹也/脚本:清水匡/原案:川上未映子
配給:パルコ/上映時間:103分/公開:2023年7月15日
出演:吉岡里帆、モトーラ世理奈、詩羽、安達祐実、南琴奈、後藤淳平、はっとり、コムアイ、新井郁、もも、藤原麻里菜、ナツ・サマー、MEGUMI、片桐はいり、松本まりか

 

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なぜ、広告出身の監督による映画は、どれも似通っているのか? いや、この前提が乱暴であることは自覚している。まず、「広告出身」の定義が曖昧で、どこまでを含めればいいのかも難しいし。CMプランナーとかアートディレクターとか、こういう横文字の肩書きの人たちの具体的な仕事内容を正確に把握していないせいもあり、それっぽい人を一緒くたに「広告出身」の枠に放り込んでいるせいもある。それでも、事前情報ゼロで観た映画に対して「あ、この監督は広告出身だな」と感じた時、大抵は正解なのだが。

広告出身の監督の作品によく見られる傾向をいくつか挙げてみる。ヴィヴィッド調あるいはパステル調などの振り切った色調整、手持ちカメラにより大袈裟にグラグラと揺れる画面、オシャレ雑貨で統一された自宅部屋や普段着とは思えない服装といった生活感の取り払われた美術や衣装、街角や小物のスナップ写真を並べているつなぎのショットetc. これらに共通するのは、作品の表層をイメージで装飾することにより雰囲気で印象操作している点で、まさしく広告の手法そのものである。

広告出身の監督が広告の手法を用いるのは当たり前では無いかという意見もあろう。だが、他の異業種出身の監督は、自分の所属する分野の手法をそのまま持ち込んできているだろうか。演劇出身の監督は演劇ではできない表現を追い求めているし、芸人出身の監督は笑いを排除しようとする。いや、もちろん反例は多くあるけど、大まかな傾向として。いずれも、自分の持っている常識は通用しないだろうという、未知のジャンルに対する敬意と謙遜がある。だが、広告出身者は、なんの衒いもなく広告の手法を映画に持ち込む。傲慢とまではいかないまでも、映画であれなんであれ広告にしてしまうのが一番良いのだという、その揺るぎなき自信には驚異すら感じる。

本作『アイスクリームフィーバー』で初メガホンを取った千原徹也監督の肩書きはアートディレクターであり、広告の分野ではH&Mや日清カップヌードルなどに関わった人物らしい。その一方で、WEB上で見つかるインタビューなどでは、子供の頃から映画に対する並々ならぬ興味があったと語っている。パンフレットのインタビューでも、本作を撮るうえで影響を受けた映画として『パルフ・フィクション』『恋する惑星』を挙げたりと、映画への偏愛を喧伝している。

パンフのインタビューによると、元々は製作委員会方式だったのが中断し、千原監督が個人的に付き合いのある企業に出資をお願いした経緯があるという。それはいいのだが、出資を頼む際には《僕は初監督だし、製作委員会のようにお金でリターンを作ることはできないけど、一緒に楽しんでくれませんか》と提案したそうだ。なるほど、完全に内輪ノリなのか。こういう場合、往々にしてその内輪に観客は含まれていないことが多い。この時点で本来の意味での映画ではないのだが、《映画のセオリーに関係なく自分の培ったやり方でやろうと決めました》と、広告の手法で映画を壊すのは本作における主たる狙いだとも宣言されている。なので、そこを責めたところで「知っていてやってますけど、何か?」と返されるだけで、意味が無い。映画冒頭のテロップで「私たちは叫ぶ "映画では無い"と」(記憶が曖昧だが、こんな意味の文言)って出てくるわけだし。

 

注意:有料部分で終盤の展開に軽く触れていますので、未見の方はネタバレにご注意ください。

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