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【邦画】『恋する寄生虫』感想レビュー--この寄生虫の生態、無理がありすぎじゃないか?

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監督:柿本ケンサク/脚本:山室有紀子/原案:三秋縋
配給:KADOKAWA/上映時間:99分/公開:2021年11月12日
出演:林遣都、小松菜奈、井浦新、石橋凌

 

注意:文中で終盤の内容に触れていますので、未見の方はネタバレにご注意ください。

 

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映画はまず、2人の登場人物の紹介から始まる。自宅アパートでコンピューターウィルスの作成に励んでいる青年・高坂賢吾(演:林遣都)は、極度の潔癖症。他者に触れられるとそこから自分の皮膚が赤黒く染まっていくような描写によって、精神的な病である高坂の脳内イメージが観客にも視覚的に示される。一方、女子高校生の佐薙ひじり(演:小松菜奈)は、他人から見られることに恐怖を感じる視線恐怖症。こちらもまた、周囲の人物の目を極端にアップにするなどの映像処理によって、佐薙の脳内イメージを映像化している。

精神的な病気を抱えた人物の主観を、生理的な嫌悪感を伴うショッキングな視覚効果によって感覚的に伝えている。柿本ケンサク監督はCMやMVを主戦場としているだけあって、ある種のドラッグムービーのようなイメージ映像が得意なようだ。中島哲也監督の系統というか。ただ本作で気になるのは、かなり大胆な冒頭のイメージ描写を超える映像処理が、これから先に一度もなく、ハンバーガーからミミズみたいなものが飛び出ている程度の半端なものばかりになるのである。

突然自宅の中に入り込んでいた謎の男・和泉(演:井浦新)から、高坂は「ガキの面倒を見てくれ。でないとおまえの犯罪行為(コンピューターウィルスの件)をばらす」と脅される。指定された場所に行くと佐薙がいた。そこから年の離れた男女2人の交流が始まり、その過程で2人の症状は軽減されていき、互いに恋愛感情を抱くようになる。だがそれは、実はすべて仕組まれたものであった。

佐薙による冒頭のナレーションは、「私の頭の中には虫がいる」という一言から始まる。そしてその虫の習性を簡単に述べ始めるのだが、実はこれが比喩ではなく、本当に頭の中に寄生虫がいるのだと、中盤で明かされる。この寄生虫は人間の脳に巣食って、他者との関わりを避けるように仕向ける。和泉曰く、「ひきこもり、パニック障害、潔癖症、視線恐怖症など、いわゆる社会不適合者」の多くが、この寄生虫の感染者なんだそうだ。ひきこもりと他の病気を同列に扱っちゃいけない気もするが。

寄生虫は繁殖のために、他の感染者を見つけないといけない。その第一段階として、(感染者を潔癖症などにして)感染者以外との触れ合いを避けさせる。そして感染者を見つけると、脳を操って互いに恋愛感情を起こさせる。その際、ちゃんとデートとかさせるために精神的な症状は徐々に抑えられていく。そして感染者同士がキスなりセックスなりすると、寄生虫も接合し、人間の中に卵を産む。そして卵を産んだ寄生虫は、人間を内側から食い荒らし、自殺に追い込むのだ。

寄生虫の生態について長々と説明してしまったが、正直、映画を1回観ただけでは理解できなかった。原案の小説を読んだうえで映画を2回鑑賞して、やっとここまで理解できた。そして、それでもまだ意味が解らないことがある。そもそも最初に感染者を社会不適合者にしてしまったら、他の感染者と出会う確率だってぐっと減ってしまうではないか。あと、卵を植え付けた人間を殺しちゃったら、その卵はどうやって次の人間に寄生するのか。食人の文化でも無ければ無理だろう。

本作の問題は、こういう理論的なツッコミを観客に思い起こさせてしまうところにある。寄生虫の設定が半端にロジカルなせいで、逆に細かい矛盾が目立ってしまう結果になってしまっているのだ。もっとぼんやりした話にして寄生虫の存在すら曖昧にしてしまえば、理論的なツッコミは無意味になっただろう。さらに(それこそ中島哲也のように)過剰な映像表現で作品全体を覆ってごまかしてしまえば、細かい点は気にならなかったかもしれない。

イメージ映像表現も、寄生虫の設定も、あるいは13組のミュージシャンを起用した劇伴も、半端に過剰でいずれかが際立つことがなく、却ってまとまりを無くし、互いの未熟な部分を際立たせてしまっているようだ。そこに「恋愛感情が自分自身とは別の要因であるがゆえの葛藤」という、これまた半端に過剰なテーマがくっついてくる。いや、このテーマ自体はSF的にも面白くなりそうだが、脳は支配されても心は自分のものだとかそんな浅い結論にしてしまうのは、やっぱり半端だよなあ。

あと、寄生虫によって恋愛関係にされる小松菜奈と林遣都、劇中の設定では20歳くらい年が離れていると思われるが、役者の実年齢では6歳しか違わない。林遣都は頑張って老け顔になっていたが、さすがに「現代日本では認められにくい恋愛関係」だと印象付けるのは難しく、何らかの配慮を感じ取ってしまった。『恋は雨上がりのように』もそうだったが、女子高校生と中年男性による恋愛模様を描くのに、人間的な生々しさの少ない小松菜奈を女子高校生役に起用するのは、たしかに安全策ではある。
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原案小説は、寄生虫の説明を何度も長々と書き連ねることで説得力を持たせようとしていた。それもひとつの手段。

 

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