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【邦画】『キャラクター』ネタバレあり感想レビュー--最後の最後で長崎尚志の抑えきれない衝動が爆発したかのよう

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監督:永井聡/脚本:長崎尚志、川原杏奈、永井聡/原案:長崎尚志
配給:東宝/上映時間:125分/公開:2021年6月11日
出演:菅田将暉、Fukase、高畑充希、中村獅童、小栗旬、中尾明慶、松田洋治、宮崎吐夢、岡部たかし、橋爪淳、小島聖、三上愛、テイ龍進、小木茂光


 

注意:文中で終盤の展開に触れていますので、未見の方はネタバレにご注意ください。

 

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漫画家・浦沢直樹の盟友であり『20世紀少年』など多くのヒット作のストーリー共同制作者である長崎尚志が10年前から温めていたオリジナル脚本を映画化。監督は『帝一の國』『恋は雨上がりのように』など映像センスに定評のある永井聡だが、なぜかパンフレットにはインタビューが掲載されていない。公式ガイドブックのほうには監督インタビューもあるが、どうも監督よりも脚本家の名前が先立っている。『花束みたいな恋をした』もそうだったが、最近の邦画の傾向だろうか。

パンフや公式ガイドブックには、長崎尚志とプロデューサー・村瀬健による対談が掲載されている。そこでは、10年間に渡って脚本は何度も稿を重ね、そのたびに様々な人のアイデアが取り込まれ、撮影に入ってからも現場で何度も変更を重ねたと語られている。まあ、脚本家が公式の取材中に「あれ考えたの俺なんですよ、すげーでしょ」って言うわけがないので、これは皆で作られた物語だと主張するのは、多分に謙遜も含まれているだろうが。

ただ、インタビュー記事を丹念に読んだうえでの結論としては、脚本の大まかな骨格は長崎尚志によるものであろう。と、ここまで脚本の創作過程について長々と説明したのは、この話の根本的な"突飛さ"の原因は長崎尚志にあるのだと最初に明らかにしておきたかったから。これ、残虐な連続殺人鬼を追うミステリ仕立ての話なのに、まったくもってミステリではないのである。

 

主人公は漫画家アシスタントの山城圭吾(演:菅田将暉)。絵はメチャクチャ巧いがキャラクターに厚みが無いと、新人賞や持ち込みでは評価されずにいる。師匠の本庄(演:宮崎吐夢)からは「あいつは良い奴なので、悪人の気持ちが解らない」と言われる始末。のっけから「作品は作者を映す鏡である」理論が発動される。作者の内面に無いものは作品には描けないという、いつものあれだ。

本庄から頼まれて、夜中の閑静な住宅地で「幸せそうな家族の住む豪邸」のスケッチをする山城。天才的なスケッチ能力を発揮させていると、玄関が開くのが見える。いろいろあって、勝手に室内に侵入する山城。そこでは、血溜まりの中で一家4人が椅子に縛られて殺されている凄惨な光景があった。そして窓の外には、薄く笑いながらこちらを見ているピンク髪で童顔の男(演:Fukase)の姿があったのだった。

刑事の清田(演:小栗旬)と真壁(演:中村獅童)からの事情聴取では、犯人を見ていないと嘘をついてしまう山城。そのあとすぐに、前科持ちの男・辺見(演:松田洋治)が自供したので、あっさりと事件は収束。しかし山城はニュースに映る辺見の顔を見て「違う」と呟く。

場面は変わって、とある山中の車道。森の中に墜落した車の中から、これまた一家4人の惨殺死体が発見される。管轄でもないのにしゃしゃり出てきた清田は、車の天井の内側から血のついたナイフを発見する。なぜすぐに解ったかというと、山城の人気漫画『34』(どうでもいいが、巻数と紛らわしいので、漫画のタイトルとしてはどうかと思う)の第3巻に、まったく同じ描写があったからである。模倣犯か、あるいは山城が事件に関わっているのではないかと疑う清田。

ここでいきなり山城が人気漫画家になっているので、かなり戸惑う。公式のあらすじでは一年後の場面だというが、そんなの劇中では教えてくれないから。しかもこのあと、清田は山城の自宅兼仕事場を訪ねるが、それまで安アパートに夫婦で住んでいたのが、セキュリティが3か所もある超高級デザイナーズマンションに引っ越しているのだ。デビュー作の単行本が3巻出ているだけの漫画家のリアリティとして正しいのかは長崎尚志に聞かないと解らないが、山城の急激な変化には呆気にとられる。

この映画、注釈なしでいきなり時制が飛ぶことが何度もあって、理解を困難にしている。年月日をテロップで入れてほしいと、何度思ったことか。ともかく、山城は、第一発見者となった最初の事件をリアルにトレースして、目撃した犯人そっくりのキャラクターを登場させた漫画でデビューし、大ヒットしていたのだ。しかし次の、山城が漫画の中で創作した殺人事件とまるっきり同じ事件が起きてしまった、というわけ。

しかも山城が飲み屋のカウンターにいると、いきなり隣に目撃した犯人の男が座っている。「先生が描いたとおりにしておきました」とヘラヘラ口調で言う男は両角と名乗り、漫画中に出したナイフを後にどうすればいいかを山城に耳打ちする。そしていつの間にか両角は消えており、目の前にいたマスターですら姿を目撃していない。両角のアイデア通りに漫画の続きを描く山城。すると、実際の事件も同じ展開を辿っていた。

大抵の観客はこの辺りで、いや、予告映像を見ていた時から、あるひとつのオチを予想するであろう。すなわち両角は山城の別人格であり、実際に殺人を行っているのも山城なのだと。テンプレートなサイコキラー像をなぞり、山城の前に神出鬼没に現れたり消えたりする両角は、いかにもな別人格描写だ。序盤の「作品は作者を映す鏡である」理論により、山城の内面に宿る両角を出したから漫画がヒットしたという推理と重ね合わせれば、両角別人格説を更に強固にする。

でも、このすぐあと、山城の妻・夏美(演:高畑充希)が、山城と両角を同時に認識しているのだ。これにより両角別人格説は消えてしまう(まあ実は、最初の事件のあとで「山城にはアリバイがある」という刑事の発言もあるのだけれど)。ここ、まだ映画の前半だからね。さらに中盤、作劇上のターニングポイントとして、山城は清田に全てを告白する。この段階で、この映画には謎らしい謎は消滅してしまうのだ。

つまり、別人格説が消えて両角が実在する殺人鬼だと判明した瞬間、観客に対して隠されている要素は何も残らない。さらに清田が山城の告白によって全ての情報を共有すれば、主要な登場人物の全員が状況を把握していることになり、劇中でも謎と呼べるものは無くなってしまう。山城の漫画の通りに模倣犯の両角が実行していて、それを刑事が捜査するだけの単調な話だ。謎がひとつも無い話をミステリとは呼べないし、謎がひとつも無い中で物語を引っ張るのは至難の業である。

このあとは、両角の過去に関するとってつけた新要素が出たりするが、捕獲のためのヒントにはなっていない。実在する人間なのに超人的な能力で急に現れたり消えたりする両角を清田らが追う話になるが、謎がひとつも無いのに謎めいた犯人像のままなので、どうにも飲み込むのが難しい。そこを補うために、子供まで殺されて血の海となった凄惨な殺人事件現場とか、写真や新聞記事が壁中に貼り付けられた定型のサイコキラーの部屋とか、絵的な描写によって物語に推進力を持たせようとしている。だがそれらは、瞬間的なインパクトに過ぎない。クライマックス前に主要キャストが死ぬ衝撃も、同じく瞬間的だ。

長崎尚志によると、両角役がFukaseになりそうになった段階で、脚本を大幅に書き直したという。無垢で中性的な顔立ちの人物を配役したことで、両角がテンプレートに沿ったありがちなサイコキラー像になってしまい、それゆえ別人格説という不必要なミスリードが強まり、ノイズになってしまったのかもしれない。おそらくこの映画、山城と両角の類似性とか、自己の内面を曝け出す表現者の苦悩とか、そういう狙いがあったと思われるのだけれど、どうにもそこまで辿り着けていない。

浦沢直樹作品でよく言われるのが「風呂敷を広げるのは巧いが、畳むことができない」という評価だ。長崎尚志が普段どのくらい浦沢作品の物語に関わっているのかは知らないが、本作『キャラクター』に関しては謎が一切無く、風呂敷を広げなさすぎて物足りない。クライマックスもまた絵的なインパクトと役者の熱演によって興奮しないでもないが、前フリとなるお膳立てが少ないので両角をおびき寄せるアイデアには唐突な印象を受ける。

だがこの映画、クライマックスも終わってまとめに入った段階で、急に思い出したかのように風呂敷を広げ始めるのである。複数のラスト案の中からグッドともバッドとも言えない案を選んだというが、それにしたって観客に放り投げすぎ。というか、わざわざ観客に放り投げるために新たな風呂敷を用意している。なんだろう、このバランスの悪さ。浦沢作品にも感じるのだが、奇麗に着地させることへの拒絶こそが、長崎尚志の抑えきれない作家性なのだろうか。
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