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【邦画】『KAPPEI カッペイ』ネタバレ感想レビュー--コロナ禍を完全無視しておいて「平和な世の中」を前提とする欺瞞

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監督:平野隆/脚本:徳永友一/原作:若杉公徳
配給:東宝/上映時間:118分/公開:2022年3月19日
出演:伊藤英明、上白石萌歌、西畑大吾、大貫勇輔、古田新太、森永悠希、浅川梨奈、倉悠貴、橋本じゅん、関口メンディー、鈴木福、かなで、岡崎体育、山本耕史、小澤征悦、アントニー、大トニー

 

注意:文中で終盤の展開に少しだけ触れていますので、未見の方はネタバレにご注意ください。

 

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1999年に世界は滅亡するというノストラダムスの大予言を信じて、来たるべき乱世の救世主となるべく幼き頃から孤島に隔離されて、日々の特訓により鍛え上げられた勝平(演:伊藤英明)ら「終末の戦士」たち。だが、時は2022年。いくら待っても終末は訪れないので、師範(演:古田新太)は「終末の戦士」に解散を命じる。戦闘服のはずだった珍奇な格好で渋谷に降り立った勝平は、悪のいない平和な世の中に戸惑う。

日常の中に一般常識を持たない存在を置くことで、当たり前とされている事象に予想外の視点を発生させて、そのズレを笑いとする。藤子・F・不二雄の系譜に連なった、ギャグ漫画では定番のフォーマットである。で、たしかに若杉公徳の原作漫画は、そのフォーマットに忠実なのだが、実写映画化した際の無理が今回も生じている。これから、ギャグ漫画の実写化のたびに指摘してきたことを今回も繰り返しますが、ご了承ください。

原作は基本的に1話完結型であり、ある話のオチが、次の話にそのまま繋がるわけではない。勝平が送っている日々の中から、一部を抜き出して漫画にしているという体だ。漫画を読んでいる限りでは読者はエピソードの間にある時の流れを把握できるが、それらを深く考えずに一つの物語として繋げてしまうと、時間の経過が非常に把握しづらくなってしまうのである。実際、映画ではシーンの間にどれだけの日数が経過しているのか、よく解らない。

テロップを入れるなり季節を感じる描写を入れるなりすれば済む話なのだが、それすらしていない。「終末の戦士」たちが解散して日本各地に降り立ったのは全員が同時のはずである。勝平が渋谷に降り立ったのは解散直後で、物語はそこから始まるが、その後に再開する「終末の戦士」たちは徒党を組んでいたりバイトしていたりと、すでに解散から数ヶ月は経っている模様である。時間の経過を示す描写が皆無なので、観ている側は脳内の処理が追い付かない。

さらには、一般常識が無いはずの勝平が、他の「終末の戦士」に対してはツッコミ役になっているのである。尾崎豊に心酔してグレた中学生たちとつるんで校舎の窓ガラスを割って回っている正義(演:山本耕史)には「お前、45歳だろ」とツッコミを入れるが、ついさっきまで世間を知らなかった勝平が、いつの間に「45歳が中学生みたいなことをしている」という状況の"面白さ"を瞬時に理解してツッコミまでできるようになったのか。

あと、恋した人と同じバイト先に勤めている英雄(演:小澤征悦)には「それはストーカーだ」って言ってたし。ストーカーの概念なんて、いつ知った? 勝平、ストーカーが何たるか理解できるのなら、「一般常識が無いゆえに初めての恋心に対して頓珍漢な行動をする」という本作におけるメインのギャグの根本が崩れてしまうだろうに。それもこれも、時間の経過がはっきりと把握できる創りならば、まだ許容できたのかもしれないのだが。

さて、いつもの指摘をしたところで、やっと本題に。最初にも触れたが、本作は「2022年まで粘ってみたが、終末は来なかった」というところから始まる。それで平和な世の中に「終末の戦士」が降り立ったわけだが、いや、2022年現在って、今まさに終末になりかけてる真っただ中じゃん。さっさとロシアに行って核のボタンをぶっ壊してくれよ。あとついでに台湾も頼むよ。もちろんこれは揚げ足取りであり、何年も前から企画されていた映画に対して、公開時点での世界情勢と絡めた文句を言うのは間違っているのは承知の上であるが。

※ ちなみに、原作漫画の舞台は2011年であった。これもまた日本は終末の予感が漂う大変な年であったので、つくづくタイミングが悪い。

ただ、2022年を舞台にしながら、街中で誰もマスクをしていない。今のところ、2020年以降を舞台にした日本映画は、新型コロナウィルスは存在しなかったとしているのが9割以上だ。それ自体は仕方ない。時代を切り取るのが主目的でなければ、もしかしたら一過性かもしれないコロナ禍の様子を取り入れるのは賭けであるし、何よりマスクをしたままでの演技プランなんて誰もまだ確立できていない。

問題なのは、コロナ禍を無視しておきながら、今は「平和な世の中」ですよと言われても、欺瞞としか思えない点だ。これは本作が悪いというより、「平和な世の中」を前提としたギャグが成立しないことが如実になったことの表れであろう。もはや「平和な世の中」を成立させるには、コロナ禍を無視するなどファンタジーにしなければいけなくなった。いや、ずっと前からそうしなければいけなかったのをコロナ禍が気づかせてくれた、というのが正確かもしれない。そんな時代を我々は生きている。
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