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【邦画】『愚行録』--なぜ回想シーンに、語り手の知らないことまで出てくるのか

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監督:石川慶/脚本:向井康介/原作:貫井徳郎
配給:ワーナー=オフィス北野/公開:2017年2月18日/上映時間:120分
出演:妻夫木聡、満島ひかり、小出恵介、松本若菜、臼田あさ美

 

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48点
単刀直入に言って、失敗している映画であった。例えば、画面の奥に映るエキストラの動きが不自然である。明らかに演出がおかしい。重厚なサスペンスなんだからと、「それっぽい画」を撮りたいというのが優先してしまい、映画における基本的ないろんなものが崩れているようだ。その画が絶対に必要なんだという熱い何かがあるわけでもないし。手持ちカメラも多用されるが意図は不明で、やっぱり「それっぽい画」のためになんとなく採用している。

演出において何も考えていないと確信したのは、後半の鈍器による撲殺シーン。今どき2時間ドラマだって、あんなちゃちな演出しないよ。一応ストーリー上は最重要なシーンなのに、なんでコントみたいなことするのか。リアリティあふれる殺しの画を撮るのが不可能なら、カットを割ってその瞬間だけ飛ばすとか、演者がフレームアウトするとか、いくらでも基本的な演出方法はあるだろうに。頭を殴っているのに多すぎる返り血の量とか、稚拙なアリバイ工作とか(警察を舐めるなよ)、何も考えていないことがわかる。

あと、これは本作に限った事ではないのだけれど、最近の邦画でよくあるので、ひとつ気になることを。本作は、雑誌記者である主人公が、とある殺人事件による被害者の関係者に話を聞いて回るというのがメインストーリーである。その関係者たちの話が回想として挿入されていくという、ありがちな構成だ。当然この回想シーンは、語り手による視点で語られる。なのに、語り手が知らない部分まで回想シーンに含まれるのは、どういうことなんだ。具体的には、語り手となる人物がその場から去ったあとの、残された人の表情がアップでスクリーンに映ったりとか(これ、当たり前のように何回もあった)。その表情は、記者に取材受けているその人は見てないはずじゃん。入れちゃダメじゃん。映画を撮る上で「このシーンは誰の視点なのか」って重要なことだと思うんだがなあ。

これもまた「2人の人間がひと悶着あって片方が去ったあとの、もう片方の表情をカメラが抜く」という「それっぽい画」をなんとなく優先させてるからなんだと思うが、しかしなあ。せめて「多人数が過去を振り返ることで事件の輪郭が露になってくる」系の話だったら、視点には気を使って欲しい。

 

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原作

愚行録 (創元推理文庫)

愚行録 (創元推理文庫)

 

 

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