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【邦画】『本能寺ホテル』--タイムスリップにリアリティを持たせたために失ったもの

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監督:鈴木雅之/脚本:相沢友子
配給:東宝/公開:2017年1月14日/上映時間:120分
出演:綾瀬はるか、堤真一、濱田岳、平山浩行、風間杜夫

 

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57点
映画『本能寺ホテル』は、現代の人間が意志とは無関係にタイムスリップして歴史的な事件の場に行ってしまうという、よくあるストーリーである。だが、この手の話には必ずあるはずの、重要なシーンが抜けている。それは「何らかのきっかけにより自分がいるのが過去だと気づいて驚愕する」というシーン。綾瀬はるかは、周囲の雰囲気からここが過去であると「なんとなく、そうじゃないかと思ってました」と、いつの間にか気づいている。「過去だと気づく」シーンって、ちょっとた工夫でエンタメ的な盛り上げに最適な箇所なのに、ハナから放棄しているとは。

(その代わり、その場所が本能寺であると気づくのは、異様に遅いのだが)

でも、よくよく考えてみると、リアリティに即しているとも言える。ホテルの地上階からエレベーターで上昇し、扉が開いたら古い建物の半屋外だったわけだ。もし自分がそういう状況に陥ったら、と想像してみてほしい。とりあえず夢であることを疑うか、そうでなければSF的な何かが起こったと考えるのが普通ではないか。周囲の状況から「あ、戦国時代あたりにタイムスリップしたな」という結論を導くのは難しくない。綾瀬はるかという「タイムスリップを純粋に受け入れそう」な配役もリアリティに拍車をかける。

この手の映画では「主人公が歴史のことを何にも知らないバカ」という安易な設定を採用することがよく見受けられる。それこそ本能寺の変すら聞いたことないとか、いくらバカ設定でもリアリティに欠けるだろうし、エグスプロージョンのやってきたことは何だったという話だ。その点、今回の綾瀬はるかは、森蘭丸という名前が即座に出る程度には知識がある。観光パンフでチラッと見ただけの「天正10年6月2日未明」という日付も正確に覚えていられるし(観光パンフを過去に持って行って、信長に見せるとかうっかり見ちゃうというのが普通の脚本なんだけど、この映画はちょいちょい王道を外してくる)。教員免許を持っているというのも一応は伏線だったのかとあとで気づいた。

さて、「タイムスリップしたことになんとなく気づく」「主人公に平均的一般人程度の歴史の知識がある」といったリアリティを入れ込んだ結果、どうなったか。SFファンがイラつくポイントを少しは削除しているのだが、その代わりにタイムスリップ映画としての醍醐味も同時に失われているのだ。先に述べた「過去だと気づいて驚愕」もそうだし、価値観の違う者同士がトラブルを乗り越え互いを認め合っていく「時空を超えた異文化交流」という側面も削られてしまう。歴史を知らないバカでないと、「お互いに価値観が違うことに最初は気づかない」という初期設定が使えないのだから。この映画の場合、綾瀬はるかという「日本国民が認めたド天然」を配役することによって、別の方法で異文化交流をさせているのだが。ほら、綾瀬はるかが相手じゃ、信長だろうが誰だろうが、異文化交流になっちゃうでしょ。どんな突飛な行動したって「まあ、綾瀬はるかならありえるか」って思っちゃうわけだから。

まあ、そんな万能カードである綾瀬はるかだけど、あんまり安易に使わないでほしいなあ、とは思う。あと、タイムスリップに関しては『君の名は。』よりは辻褄が合っていた本作だけど、それとは別に大きな違和感があった。これ、一日が長すぎやしないか。現代のほうだけでも「ホテルを探して歩き回る」→「結婚相手の父親の店で食事」→「結婚相手の友人夫婦と会席」→「結婚相手の父親の金婚式」→「ホテルのバーで2次会」と、これだけのイベントがある。さらに描写から考えれば、タイムスリップしている時は現代のほうも同じだけ時間が進んでいると思われるので、同じ一日の合間に「茶会への参加」「信長とともに町をお忍び」「本能寺の変に巻き込まれる」といったイベントも挟まってくる。この「1日でこれだけのことできるか?」という気持ちは、『もやもやさまぁ~ず2』を見ていて感じるのと同じだ。

 

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