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【洋画】『ビッグ・アイズ』--芸術の周りから、いくつもの「物語」を排除した結果残ったのは・・・

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1960年代にアメリカで売れまくった画家ウォルター・キーンだが、実の作者は妻のマーガレットだったという実話を元にしているため、日本では昨年のゴーストライター騒動と絡めて紹介されがちな作品である。


 日本のゴーストライター騒動と本作を比べてみると、はっきりと違う点がある。「絵(音楽)が売れた理由」だ。日本の場合、奇抜な出で立ちの「作者」による聴覚障害だの被爆三世だのといった安易な「物語」に感動した人が、作品の善し悪しを吟味することなく賞賛したのではないかと、騒動時には主要な議論となった。一方、映画での偽の「作者」であるウォルターは口先達者で喋りまくるが、単にその場しのぎなだけで「物語」を創ることはしない。TV出演時に戦争体験(もちろん嘘)を滔々と語り、絵を描く動機だと熱弁するシーンはあるが、絵が爆発的に売れた後であり、やっぱりその場しのぎでしかない。


 実は映画の中で、絵が売れた理由は明示されない。さらに本作は、絵に関する「物語」をいくつも排除している。実際の作者であるマーガレットの「物語」も例外ではない。


 ストーリーだけ追えば、マーガレットがウォルターの嘘を世間に暴く、「真実は最後に勝つ」という「物語」のはずだ。マーガレットは、秘密を守るために旧来の友人とも絶縁させられ、子供にを嘘をつくことを強制させられる。一方のウォルターは巨万の富を得て、派手に遊んでいる。そんな陰と陽の対比で示される2人の関係が、最後の裁判所のシーンにおいて真実が露になることで逆転する。しかし、実際に本作を観ると、この逆転劇には、スカっとするような爽快感は全く無い。鑑賞後に記憶に残るのは勝ったマーガレットではなく、キャンパスを前に筆を全く動かすことのできない哀れな男の姿だ。


 芸術の周りにある無数の「物語」を排除した結果、残ったのはひとりの狂った男の「物語」であった。芸術にとって「作者」の「物語」なんて不要なもので、どれだけ人を狂わせ破滅させたかで、芸術の真の価値は決まるということだろうか。「ビッグ・アイズ」の影響を受けまくったティム・バートン監督が言うのだから、説得力がある。