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【洋画】『イントゥ・ザ・ウッズ』--ジャックが100%悪い!

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※ けっこうネタバレしてます。

 

おとぎ話というものは、古くから繰り返し言い伝えられて現在まで残っているという客観的事実から、当たり前のように「正しい話」とされている。ディズニー制作の最新作『イントゥ・ザ・ウッズ』は、そんなおとぎ話が本当に「正しい話」なのか言及しようとしている。その行為は、おとぎ話のプロットを繰り返し用いてきたディズニーによる自己批評でもある。『アナと雪の女王』も過去のディズニー的なものを否定する要素があったし、ディズニー急にどうしたのだろうか。とはいっても、『イントゥ・ザ・ウッズ』の場合、そもそものストーリーがおかしなところだらけで、壮大なテーマにまでたどり着けないのだが。

まず前半は、シンデレラ、赤ずきん、ジャックと豆の木ラプンツェルといったおとぎ話の内容をなぞるのだが、いやみんな知ってる話を今さらされても。しかもミュージカルなので、何かというと歌い出すもんだから、なかなか話が進まない。あと、半端に原典に沿ってるもんで、話に矛盾が生じている。例えば、シャルル・ペローじゃなくてグリムのほうを元にした思われるシンデレラの場合、ドレスを与えるのは魔女じゃないため、12時に魔法が溶けるとかそういう話は出てこない。でも途中で舞踏会を抜け出すんだよ。なんで?

本作のメインの話を受け持つのは、どのおとぎ話とも関係のないパン屋の夫婦である。この夫婦の役割は、個別のおとぎ話の主人公たちを一つにまとめるための「つなぎ」、ただそれだけである。子宝に恵まれないという呪いを魔女にかけられていて、解くためには「赤いずきん、金の靴(グリム童話の場合、ガラスの靴ではない)、白い牛(ジャックが豆と交換する)、トウモロコシのような髪の毛」を集めてこいと言われるのだが、この4つのモノに、各おとぎ話を一つの話にまとめるため以上の意味はない。そして、このパン屋夫婦によるオリジナルの話が超絶に意味不明。牛が死んだり生き返ったり、トウモロコシのような髪の毛で魔法がダメだったからトウモロコシで試してみたら上手くいったりとか。わけがわからないよ。

そんなこんなで赤ずきんはオオカミを倒し、ジャックは豆の木を登って雲の上に住む巨人から宝を盗み出した上に殺し、シンデレラは王子と結婚し、ラプンツェルは放ったらかしで、ひとまず「めでたしめでたし」となる。で、ここからやっと本作のテーマに入る。宝を盗まれ夫を殺されたために怒り狂った女巨人が地上に降りてきて、皆の住む地上を壊そうと暴れるのだ。ここでおとぎ話の主人公たちは、お互いに責任を擦り付けあったあと、自分たちの行為が正しかったのか悩みだす。シンデレラが「本当に王子様と結婚してよかったのかしら」とか。シンデレラや赤ずきんによる「正しい話」にするための行為が、女巨人が暴れるという悲劇をもたらしたという構図を示すことによって、おとぎ話が本当に「正しい話」なのかという批評的言及を掲げているつもりなのだろう。でもさあ、この件に関しては悪いのは100%ジャックだからな。巨人宅へ泥棒を繰り返したうえに夫を殺してるんだもん(ちなみにコイツ、死体から身につけているものを剥ぎ取るという『羅生門』の下人なみの悪行も働いている)。でも、なんかよくわからない理屈でみんなで団結(ラプンツェルを除く)して女巨人を殺すのだ。

あと、パン屋の夫とラプンツェルは生き別れの兄妹なんだけど、お互いに知らないまま、一度も会うことすらせずに終わるんだよ。そんな感じでストーリーテリングの基本があちこち間違っている話じゃ、おとぎ話が「正しい話」かなんてテーマを訴えられても、まともに対応できるわけがない。

まあ、いくらおとぎ話を見つめ直し、解体したところで、どう頑張ってもドリームワークスの『シュレック』になるだけだとも思うが。『シュレック』が公開されたの14年前だぞ。