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【邦画】『メランコリック』ネタバレ感想レビュー--リアルの枠から踏み外さないギリギリを狙った役者の顔が素晴らしい

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監督&脚本:田中征爾
配給:アップリンク=神宮前プロデュース/上映時間:114分/公開:2019年8月3日
出演: 皆川暢二、磯崎義知、吉田芽吹、羽田真、矢田政伸、浜谷康幸、山下ケイジ、新海ひろ子、大久保裕太、ステファニー・アリエン、蒲池貴範

 

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64点
言いたいことはたくさんある。あらすじを追いながら気になった箇所を指摘していくスタイルの文章であったら、文句だらけになってしまうかもしれない。だが、まずはこの低予算の自主制作映画が確固たる魅力を備えていることは前提として明言しておかなければならない。その最大の理由が、主役から数回しか出演していない脇役に至るまで、役者全員が見せてくる顔である。

とにかく表情が良い。変にコミカルなキャラクター性もなくリアルに留めているのに、それでいて一見してなるほどと思ってしまう強烈な個性は備わっている。主人公は「東大を出ていながらきちんと就職せず実家ニート暮らし」というある意味解りやすい設定であり、御多分に漏れず手入れされていない毛髪やオシャレとは程遠い眼鏡といったベタな要素を加えているが、リアルの枠から踏み外さないギリギリのラインを保っている。演じているのは本作のプロデューサーでもある皆川暢二だが、パンフレットに載っているイケメン顔からの変化具合から判断すれば、かなりの計算の跡が見て取れる。

しかも、シーンごとに様々なパターンの表情を要求されているのだが、これらもまた記号的になる直前ギリギリで止めているのだ。恐怖とか怯えといった負の表情は、もちろん現実に殺人死体を目撃する機会などそうはないのでオーバーになっても構わないのだが、それでも良い塩梅に抑えている。そして、注目は喜び系の表情である。予想外の大金を手に入れて一人でにやつく表情も良かったし、相手が童貞と解るや急に優越感に浸る顔から感じる「むしろ愛おしくなってしまう気持ち悪さ」とか、もう完璧。

他にも、金髪で若さをアピールしているが時折見せる老け顔から尋常じゃない修羅場体験を思わせる殺し屋とか、平穏を求める小市民の性分ゆえにかりそめの愛想の良さが顔に張り付いてしまって逆に心の内が読めない銭湯の主人とか、役者の魅力をひとりづつ挙げ始めたらキリがない感じは『カメラを止めるな!』と通じる。あと、実質のヒロインである吉田芽吹の、何かを企んでいるようでいて実は空っぽな感じが、やっぱり顔のアップから伝わってくる。出演者の中では例外的に表情パターンが極めて少ないのだが、それゆえ異質のヤバさを感じる。総合的に見て、結局この人が一番狂っていたし。

もうひとつ魅力を挙げると、たぶんこの手の映画はロケハンで苦労すると思うんだけど、単純に撮影場所が素晴らしい。物語の中心となる銭湯も、本棚の一番下に「ハリー・ポッター」シリーズが並ぶ主人公の自宅も、大物ヤクザの自室も、数回しか登場しない「いかにも成功した実業家が同窓会を開きそうな場所」も、いずれも日常と繋がっている説得力がある。役者もロケ場所もだが、「だって低予算だから仕方ないじゃん」って言い訳しているみたいな映画はよくあるし、別にそれを全否定しているわけでもないけど、そういう類が本作には全く感じられないのは驚きである。

というわけで本作の魅力を存分に語ってきたので、ここから一応は軽くストーリーにも触れますが、ちょっと苦言が混じります。ニート状態の主人公・鍋岡(皆川暢二)は、たまたま入った銭湯で高校の同級生・百合(吉田芽吹)と出会う。鍋岡が東大卒であることを知っていた百合は遠回しにアプローチしてきて、鍋岡も冴えない男にありがちな感じで惹かれていく。鍋岡が無職だと知った百合は銭湯のアルバイトを勧めるのだが、まずここが意外であった。百合がたまに来ると知った鍋岡が自分から銭湯のバイトに応募するのが、よくあるパターンではないかと思ったので。

鍋岡が自発的に動かず周囲に流される人だからかと思ったが、たとえば百合に対しては積極的だったりする。あくまで巻き込まれる形にしたかったということだろうか。銭湯では同じ日に面接してきた金髪の若者・松本(磯崎義知)とともに働き始めるが、実はこの銭湯、深夜は殺人死体の処理場として使われていた。たまたま死体を目撃してしまった鍋岡は、意外と首を突っ込みたがるタチであったため、どんどんと取り返しのつかない世界に足を踏み入れていく。

夜中は殺人死体の処理をしている銭湯を舞台にすることで、日常と隣り合わせにある社会の闇を寓意的に表しているわけである。死体処理の方法が窯で燃やすだけとか、色々と気になるけれど、そこにリアリティを求めるのは無意味か。それより引っかかることがあって、日常と隣り合わせの闇を表すなら「死体処理の場所が銭湯として営業している普段の光景」が絶対に必要だったはずではないか。劇中において、銭湯が死体処理の場所だと鍋岡が知って以降、浴槽や洗い場に客がいるシーンは一度もない。鍋岡が番台で客の対応をするシーンはあるが、百合以外の客は顔すら写らないし。

より完璧にするなら、つい数時間前まで死体処理をしていた場所で恋人となった百合が何も知らずに身体を洗っているシーンなんか挟んでいたら、日常と隣り合わせの闇を表現するには非常に有効的だろう。諸々の事情で映像自体は無理でも、鍋岡がそれを想像して複雑な気持ちになる顔くらいならいけたはずだ。鍋岡、銭湯の客に対しては何か思っているシーンがひとつも無いんだよね。それが不気味だけれど、映画自体の流れからしたらノイズでもある。

実は手練れの殺し屋であった松本を演じるのがアクション演出の磯崎義知ということもあり、ヤクザ事務所へのカチコミシーンなんかは純粋に巧くて驚いた。そしてなんだかんだあって、松本が鍋岡の家族と食卓を囲むという「なんでそうなった?」的な展開になる。このときの、戸惑いとか感謝とか安らぎとか、そういうものが一緒くたになった松本の何とも言えない表情も面白かった。

唐突に鍋岡に銭湯のアルバイトを勧めたり、エスパー並みに相手の気持ちを察して自分から別れを切り出したりと、ずっと不自然な言動が多いがゆえに何か秘密があるんじゃないかと誰もが疑っていた百合が、ただのズボラな人だと解ったところで大団円となり映画は終わる。百合も鍋岡の両親も奇妙なほどに鍋岡が平穏になるよう尽くすので、日常のほうでは特にトラブルが起こらない。そのため、どうにも脚本に多層的な深みが出てこず、なんだかもったいないなあとは思った。

まあでも、脚本のアラ探しなんかしても仕方ないわけで。この映画の一番の魅力は、役者の顔とロケ地の雰囲気によって演出される個々のシーンなのだから

 

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