総監督:山崎貴/監督:八木竜一、花房真/脚本:山崎貴/原作:堀井雄二
配給:東宝/上映時間:103分/公開:2019年8月2日
出演:佐藤健、有村架純、波瑠、坂口健太郎、山田孝之、ケンドーコバヤシ、安田顕、古田新太、松尾スズキ、山寺宏一、井浦新、賀来千香子、吉田鋼太郎
55点
タイトルでも断っていますが、以下の文中では映画『ドラゴンクエスト ユアストーリー』のネタバレを含んでいますので、ご注意ください。個人的には、ネタバレしただけで魅力が半減する映画なんて所詮はその程度のものだというのが基本的な考えですが、この作品に関しては初見では何も知らないほうが「貴重な映画体験」にはなるのではと思っています。
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これ、ズルいんである。ラスト近くにある壮大なオチのせいで、劇中の欠点を指摘しようとも、もしかしたら伏線ではないかと強引に解釈できてしまうから。瑕疵を修正するのではなく、ただ圧倒的な言い訳を用意しているワケだ。なので、これから主に構造的な欠点をいくつか指摘しますが、「それは伏線だよ」というツッコミは聞こえていないことにします。まあ、そのツッコミが通用しない件もあるけど。
その前に、まず個人的なことを言っておくと、ボクは本作の元となった『ドラゴンクエストV』について、思い入れがないどころか、ほとんど内容を知らない。なんか途中で花嫁候補のうちいずれかを選ばなくてはいけなくなり、それによってストーリーが変わるというのを、ぼんやりと知っているくらいだ。さらには『ドラクエ』シリーズ自体も、VIしかプレイしていない。たしか「くさったしたい」が序盤で仲間になったので使い続けていたらレベルもめっちゃ上がって、パーティーの中でも最強のキャラとなり「くさったしたいと仲間たち」状態になってしまい、自分は何をしているのか解らなくなって途中でやめてしまった。ボクにとってドラクエとは、くさったしたいを育てるゲームのことである。
そんなわけで、映画『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』も、特に思い入れもなく観始めた。トルネコって名前の太った人が出てこないなあとか思っていたので、間違いなく想定外の観客であろう。冒頭は、実際のゲーム画面(なのかどうかも判別つかないけど)を並べて、主人公・リュカが生まれてから少年時代までをダイジェストで見せる。ここ、ぼんやりと流してしまったが、後の展開に繋がる重要な場面がいくつもあったことに後から気づくことになる。この辺りはゲームをしたことある人なら誰でも知っている前提ってことなんだろうか。それにしたって不親切だが。
いろいろあってゲマという名前のモンスターに目の前で父親を殺されたあと、どっかの国の王子とともに連れ去られ、奴隷として働かされることになる少年・リュカ。そして10年後、って、いきなり飛ぶな! 山崎貴監督の作家性である「時間の感覚の無さ」が本作でも如何なく発揮され、このあとも数年単位で何度も時間が飛ぶ。リュカと王子は、直前まで底が抜けていたのにモンスターが覗き込んだら底がある不思議な樽の中に隠れて逃げ出し、王子を城に送った後、とりあえず自宅に戻る。そこで父親の日記を発見していろいろ察したところで、かつての父親の仲間・サンチョと再会する。そして、サンチョの言うとおりにサラボナという町へ行く。
サラボナの大富豪・ルドマンは、勇者の剣だかを奪ったモンスター・ブオーンを倒した者は自分の娘・フローラと結婚して良いという時代錯誤な宣言をしている。もちろんフローラは気が進まないが、リュカと出会った途端に双方とも一目惚れする。あまりに唐突に恋に落ちていたので、ボクが気づかなかっただけで序盤のダイジェストにフローラが出ていたのかと思った。町の食堂では幼馴染のビアンカ(この人は最初のダイジェストにも出ていた)と再会し、一緒に戦ってブオーンを退治(とどめは刺さないが)する。
思いっきり端折るけど、リュカが心の底ではビアンカのことを好きなことを察した(どう見てもリュカはフローラにぞっこんで、そんな描写は無かったけど)フローラは、リュカに薬を盛って自分がフラれるように仕向け、リュカとビアンカをくっつける。これ、劇中ではビアンカともフローラとも恋心を育むようなシーンが何も無く、各人の恋心は初期設定されているかのよう。で、いきなりどっちか選ぶ話になっているから、原作を知らないと非常に戸惑う。招かれざる客の立場はツラい。あとビアンカが「武士の情け」とか言っていたけど、別に本作に限らないことではあるが、異世界ファンタジーで日本のことわざ使うのやめてくれないかな。
その後は、誰かに指定された場所まで行って、そこで何かしらクエスト(劇中で本当に「クエスト」と言っている)をクリアして、また新しい場所を指定されて、というルーチンを繰り返す。そんなRPGのシステムを忠実に再現されても。それでいて、フルCGの見せ場であろうモンスターとの戦闘シーンはあっさりダイジェストで済ませていたりするし。ほかにも、爺さんがドラゴンに変身するところとか、フルCGの見せ場かつ物語上も重要なところが完全省略されていたりするのは何なんだろう。山崎貴監督のこだわるポイントが、よく解らない。
なんだかんだでリュカとビアンカの間に子供が生まれて、でも再会したゲルによってリュカもビアンカも石にされて、いきなり8年後に飛んで大きくなった子供に助けられる。それでリュカではなく子供が勇者の剣を抜いて、「お前だったのかーい」ってなる。これ、元がそうなんだろうけど、けっこう斬新な展開で驚いた。あと、ビアンカには闇の扉を開く力があるかもしれないと気づきながら、なんでゲルはすぐに石にしちゃったんだろうか?
で、いろいろあってリュカとこれまでに出会った仲間たちが大集合してゲルの企みを阻止しようとした瞬間、世界の解像度が落ちていき、「この世界は全て作り物なんだよ」という衝撃の事実が明かされる。ラスボスはコンピューターウィルスで、ここがゲームの世界だとばらしてきたのだ。そこから、冴えない男がVR体験できる機械の中に入っていく回想シーンになるのだが、そこは絶対に実写だろ! この展開でCGの外側もCGだと、ものすごく深い意味があるか何も考えていないかのどっちかでしかないぞ。たぶん後者だし。
子供の頃に遊んだゲームの思い出にいつまでも浸っている青年に対し、「大人になれ!」と、ほぼ『天気の子』と同じセリフで諭してくるウイルス。ゲームの世界ではリュカと名乗る男は、これまた『天気の子』と同じく、特に逡巡することもなく徹底的に抵抗する。結論は最初から出ているんだよな。実はウイルス駆除システムであったスライム(声が山寺宏一なのだが、ここは堀井雄二にやらせるのがベストだった)の助けもあってゲームの世界に戻った主人公は、このCGで作られた虚構こそ自分にとってかけがえのない場所なのだと、あっさりと結論づける。
フルCGによる虚構の世界に懐疑を向けるのは、山崎貴監督にとっては自己言及的な問いかけでもあろう。その意味で、同じく山崎貴が監督を務めて現在公開中の『アルキメデスの大戦』と似ている。ただし、最後に菅田将暉の涙で終わることで問いに対する答えを示さない『アルキメデスの大戦』とは決定的に違い、本作では主人公は「ドラクエは自分を構成する重要なものだ」と迷うことなく虚構を全肯定して終わるのだ。エンドロールでもゲームを終えて日常に戻るシーンは無い。なんか、このままゲームの世界に居続けるつもりなんじゃないかと思っちゃうような終わり方だったけど、本当にそれでいいの?
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