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【邦画】『アルキメデスの大戦』ネタバレ感想レビュー--山崎貴監督作らしからぬ最後の問いかけは、監督自身をネクストステージへと押し上げた

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監督&脚本:山崎貴/原作:三田紀房

配給:東宝/上映時間:130分/公開:2019年7月26日
出演:菅田将暉、舘ひろし、柄本佑、浜辺美波、笑福亭鶴瓶、小林克也、小日向文世、國村隼、橋爪功、田中泯

 

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70点
それほど山崎貴監督作品を追いかけているわけではない。また、本作がどれだけ原作準拠なのかも確認していないので、この物語に対する山崎貴監督の成分がどれほどの割合なのかも不明である。だが、この映画『アルキメデスの大戦』が、監督の過去作と比べれば段違いにレベルの高いことをしていることは解る。てっきり脚本は別の誰かかと思っていたら監督と同じく山崎貴だったので驚いた。

冒頭では、米軍によって集中砲火を受けて沈没していく戦艦大和を圧倒的なCG技術によってたっぷりと見せつけてくる。CGのクオリティはさすが山崎貴といったところだが、過去作にはない生々しさがある。船が傾くと血で赤色に濁った海水が流れてくるし、少し前まで人間であった肉塊もきちんと映す。さらには海軍兵士が甲板を転げ回り海に振り落とされることで、この状況では人間は極めて小さく無力な存在であることを示している。戦艦大和をCGで再現した技術力への興奮と、成すすべもなく命を落としていく人間に対する虚しさが同時にこみ上げ、複雑な心境になる。

この戦艦大和が沈む冒頭シーンから12年前に遡り、本編が始まる。時は昭和8年(1933年)、軍事路線を歩む日本の海運省は、極秘裏に巨大戦艦の建造を計画していた。これからは航空機の時代だと空母を提案する少将・山本五十六(舘ひろし)らに対し、山本と犬猿の仲でもある少将・嶋田繁太郎(橋爪功)らは全長300メートルの超巨大戦艦を提案する。山本らは、計画書で提示された巨大戦艦の建造費が安すぎることからここを突こうと、帝国大学の数学科の元学生で1000年に一人の天才と言われている櫂直(菅田将暉)に、巨大戦艦の本当の建造費を出すように頼む。

個人的なことを言うと、ボクは大学の数学科卒業である。なのでこれだけは言っておきますが、計算式を見ただけで一瞬で暗算して答えを出す能力が数学科の人なら誰でもできると思わないでください。むしろ理系の仕事をしていると些細な計算ミスが命取りになることを充分に解っているので、そういう時は機械に頼る。櫂は、一晩で本を読み込んで戦艦の設計図を仕上げたり(構造計算まで完璧に!)、最終的には1週間程度で船の製造に用いる鉄の使用量と建造費の相関関係を示す数式を発見するに至る。最初からずっと数学科の域を超えたことをしているのだが、数学科であれば数字に関することならなんでもできるとか思われているのだろうか。

まあ、ボクの通っていた大学の数学科が、入学初日に教授から「社会では何も役に立たない」と言われるような原始数学を学ぶところだったので、個人的経験と比べてもいけないのだが。ちなみにどうでもいいことだが、同期に神田愛花(現・バナナマン日村の嫁)がいて同じ講義を受けていたが、喋ったことは無い。本当にどうでもいいことだな。他の大学だと、数学科と名乗っていても実質は経済学を学んでいたりするところもあるらしいので、物理学や機械工学を一夜漬けでモノにする櫂の超人ぶりを頭から否定することもできないのだが。

さて、数学というよりノーベル経済学賞間違いなしの数式を引っ提げて、空母と巨大戦艦のどちらを建造するか最終結論を出す会議に乗り込む櫂。櫂によって安すぎる建造費の虚偽は露わにされるが、巨大戦艦を設計した中将・平山忠道(田中泯)に、本当の費用を公表すると外国へ情報を渡すことになり対策を取られてしまうと淡々と述べられ、巨大戦艦の建設が決定してしまう。冒頭シーンにより巨大戦艦が出来上がることは(たとえ史実を一切知らなくても)観客には示されているため、櫂は初めから負け戦であることは解っている。あとはどのような展開にするかであり、平山の言う「わざと虚偽の費用を公表する」ってのは説得力に欠けるなあと、その時は思ったのだが。

だがしかし、この直後に更なる逆転が起こる。櫂の完璧な設計図を見て、自分の設計案の不備まで指摘された平山は、設計師としての矜持から巨大戦艦の案を取り下げる。最終的に巨大戦艦が出来上がることを知っている観客は、ここで少し戸惑う。巨大戦艦が廃案になってしまっては、どうやってあの冒頭シーンに繋げるのかと。

山本五十六らの陰謀というフェイクシーンを挟みつつ、櫂は平山に招かれ、極秘裏に計画中の新たなる巨大戦艦の20分の1の模型を見せられる。櫂は、その造形から数学的な美しさに感嘆してしまい、そこを平山に突かれる。今、これを実際に建造して海に浮かべたいと思っただろと、櫂の「数字は美しい」という美的感覚に訴えかけてくる。この訴えかけは、冒頭シーンでのフルCGの戦艦に興奮した観客にも、直接的に響いてしまう。戦争には反対でも兵器には美的感覚を抱く人は少なくないが、映画はその矛盾を浮き彫りにする。ガルパンおじさんも無傷ではいられまい。

さらに平山は、「日本が戦争は負けるのは明らか」「その時に日本の象徴となった巨大戦艦を沈めて、日本国民に現実を解らせるのだ」と、そんなようなことを言い始め、そのために名前は「大和」にすると宣言する。戦艦大和を、沈むところまで含めて日本の象徴と捉える思想は、現代人の感覚であろう。山崎貴監督の作品には時代性が欠如していると前から思っていたが、こんな形で時空を超えてくるとは驚いた。そしてこれが本作の強烈なメッセージ性となっている。

櫂が完成した戦艦大和を見上げて「これが日本の象徴だ」と呟いて涙するところで、映画はエンドロールとなる。その時の音楽も有名なミュージシャンとのタイアップではなく、こちらの気持ちを煽るようなメロディのインストで、「それで、おまえはどう思うんだ?」と訪ねてくる。山崎貴作品では珍しく、問いかけで終わっている。

この問いは、フルCGで作られた壮大な戦艦大和から受ける高揚感と、無残に死んでいく極小の人間から受ける虚無感という、相反した感覚を同時に抱いてしまう冒頭シーンでの戸惑いと通じている。もっと突き詰めれば、フルCGを無邪気に賞賛して、快楽のために生身の人間の存在を無視すること自体にも疑問を投げかけているともいえる。それはつまり、日本のCG大作を牽引してきた山崎貴監督が「今までやってきたことは良かったのか」と自分自身にも問いかけているわけで、監督人生のネクストステージへと進んだ瞬間である。

 

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