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【邦画】『JKエレジー』ネタバレ感想レビュー--まったく爽快さの無い青春は、ラベリングからの解放によって一筋の光を得る

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監督:松上元太/脚本:香水義貴、松上元太
配給:16bit./上映時間:88分/公開:2019年8月9日
出演:希代彩、猪野広樹、芋生悠、小室ゆら、前原滉、山本剛史、森本のぶ、阿部亮平、川瀬陽太

 

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59点
「JK」という言葉には、戸惑いを感じる。正確な成り立ちは知らないが、ある時期から「JK」なる単語は性的なニュアンスを含む商業的な意味合いとして用いられている。女子高生つまり「高校に通う女性」というだけの単なる立場に新たなラベリングをすることで、何か特別な価値があるように見せかけている構造への違和感が、「JK」に対する戸惑いの理由だ。さらに最近では逆輸入(なのか解らないが)するかのように当事者である女子高生が自身を「JK」と呼び、自らに付加価値があるように振る舞っている。

映画『JKエレジー』の主人公・梅田ココア(希代彩)は、勉学とバイトの合間に「クラッシュビデオ」と呼ばれる裏ビデオ(正当に流通していない、という意味で)に出演して、お金を貰っている。「クラッシュビデオ」とは、女子高生が裸足で空き缶を潰すなどの動画で、ニッチな愛好家がいるらしい。ココアは、まさに「JK」というラベリングによって生まれる付加価値によって報酬を得ているわけである。

冒頭ではっきりと地名が映されるため、ここが現実にある日本の地方(群馬県桐生市)であることがわかる。ココアの家は母親が亡くなっていて、父親(川瀬陽太)は病気を偽ることで生活保護を支給してもらっては競艇場に通い、3年で東京から出戻ってきた兄(前原滉)もニートである。つまり、いかにもニュースショーの素材になりそうな類型的な設定により、ココアは「貧困」というラベリングも持っている。この「貧困」というラベリングは、ココアにとって打破すべき対象であると同時に、たとえば友人関係の構築に利用するなど武器としても用いている。

地方の若者を描いた映画にありがちな流れで、ココアはこんなところから逃げ出したいという一心から、東京の大学に進学しようと決意する。母親の残してくれた貯金は(ほぼ予想通り)父親に使い込まれていたが、奨学金と「クラッシュビデオ」の出演料によって学費を貯め、同時に勉学にも励む。日夜勉強するダイジェストが挟まり、これはココアが希望に向かって進んでいくシーンなのだが、不思議なほどに爽快感がない。このあとの破滅を予感させるものが、すでにいくつも明示されているからであろう。

案の定、ココアは学校に「クラッシュビデオ」出演がバレたことで奨学金は取り消しになる。さらには友人から相談が無かったことを問われると「ずっと同じ関係でいたかった」と言い残して別れ、学校にも行かなくなる。父親は生活保護を打ち切られ、兄はココアの稼いだなけなしの金を持ち逃げする。「JK」と「貧困」のラベリングを利用したツケが回ってきているかのようだ。地元の祭の中にすら入れないココアは、自分の住む土地からも拒絶を感じる。

一方、「クラッシュビデオ」を撮影していた男・カズオ(芋生悠)が、ボスである半グレの男・横山(阿部亮平)から金を持ち逃げする。そして祭の輪に入れず路上をトボトボと歩いていたココアの手を引き、一緒に走り出す。シチュエーションだけなら、エモーショナルな青春の1ページになりそうなところだが、やはり爽快さは欠片もない。この2人、恋愛感情どころか心理的な関係性を示す何かはここまで全く示されていないので、唐突に手を繋いで走り出されたところで、戸惑うばかりである。まあ、カズオの視点からすればココアが女神にでも見えているのかもしれないが。

一応この後のシーンで、ココアが覚醒した瞬間がある。動きのほとんどない緊張感のある長回しによって、これまでの境遇からココアが何かしら成長したことは感じ取れる。だが、その成長がココア自身に返ってこない虚しさも同時にある。さらには、今後に起こるかもしれない、これまでとは比べ物にならない破格の絶望すら仄めかされている。この映画、最後の最後まで爽快さを与えてくれない。

ラスト、ココアは一度は自分から縁を切ったクラスメイトの友人たちとばったりと再会するところで、映画は終わる。同じ「JK」のラベリングを持つ者同士なら、「JK」の付加価値は通用しないということか。これから友人たちができるのは、ほんの小さな手助けだろうが、もはやここにしかココアの未来は託すことができない。結局ココアは何からも逃れられていないために後味の悪さはあるものの、ラベリングからの解放によってのみ、一筋の光を与えられている。

 

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