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【邦画/アニメ】『未来のミライ』ネタバレ感想レビュー--運命付けられた「家族」の形成を強制させられる絶望

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監督&脚本:細田守
配給:東宝/公開:2018年7月20日/上映時間:98分
出演:上白石萌歌、黒木華、星野源、麻生久美子、吉原光夫、役所広司、福山雅治

 

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54点
主人公が4歳の男の子ということもあり、主たる舞台は自宅となっている。4歳児にとって世界の半分以上は自宅であるから、妥当な判断だ。傾斜のある土地を活用し、各部屋の床の高さを変えることで間仕切りの代わりとした、いかにもなデザイナーズ物件である。建築家である父が設計したオシャレな家だ。

未来のミライ (角川文庫)

未来のミライ (角川文庫)

 

 

で、まずとにかく気になるのだが、この父親は、ダイニングの食卓にノートパソコンを置いて建築設計の仕事をしているのである。フリーランスでやっていくつもりならば、書斎なり自分の仕事用の空間を確保するのが普通であろうに。ダイニングの一角に資料用の本棚を置いているし、ハナから仕事の空間を別個に設ける気が無かったようなのだ。思えばこの家、完全プライベートな空間がほとんどない。夫婦の寝室も床高さを変えているだけでリビングとの間に壁は無いし、子供部屋は庭を挟んだ離れにあるのだが、壁一面をガラス張りにしてキッチンダイニングから中が丸見えである。子供が大きくなったら、どうするつもりなのか。

※ ちなみにパンフレットには、この家の詳細な間取り図が載っているが、なかなかの代物である。夫婦の寝室を通らなければ風呂とトイレに行けないクソ動線だし、室内に柱が無いので構造的にも怪しい。子供部屋は幼い子供2人だからこそ妥当な広さだが、成長して出て行ったあとはあの広い空間は無駄にならないか(どう考えたって、2世帯が住める家ではない)。ただこれは映画本編では判断できない部分であるし、そこまで厳密にリアリティを求める必要もないが。

この自宅は建築家の谷尻誠(建築の世界では、けっこう有名な人です)がプロダクトデザインを行っている。現実に建てるわけではなくフィクションの空間だからこそ、あえて利便性よりもコンセプトを優先したのだろう。ただ、この家のコンセプトが、そのまま細田守監督の家族観を表していると思うのだ。ひとつは、父親がダイニングで仕事をしているところから解るように、仕事と家庭に一切の切り替えは必要ないという価値観。幼い子供を見守りながら同時進行で仕事ができると本気で信じているらしい。そしてもうひとつが重要なのだが、個人のプライベートな空間が存在せず、夫婦の寝室から子供部屋まで目隠しとなる仕切りが無く繋がっているところから、個人よりも家族の繋がりこそが絶対だという保守的な考えを読み取れる。

簡単に物語の構造を説明すると、4歳男児のくんちゃん(そういえば、本名が出てこないな)が、ファンタジー的な世界に連れ込まれることで、合計5つのミッションをこなして成長していく(或いは両親らに成長を促す)という形である。ミッションごとに前段階でトラブルを起こすので、ひとつ前のミッションによる成長が無かったことになっているようだったが。それはともかく、一番最初のミッションだけは自宅が舞台で、未来からやってきた妹のミライ(中学生)と、人間の姿になった飼い犬とともに、仕事中の父親に見つからずに雛人形を片付けるというものである。

このシーン、ミライが勝手にミッションの難易度を上げていたりと行動原理が不明瞭で、アクションとしてハラハラすることができなかった。更には、主にミッションをこなしているのがミライと犬であり、くんちゃんはちょっとサポートするのみで、物語の構造的にもおかしい。と、そんなことより引っかかることがあって、未来のミライにとって、雛人形を片付けるのは「過去の改変」であるはずなのだが、その結果が一切示されないのである。それによって未来も変わるのか変わらないのか、あるいはパラレルワールドとして並行世界となるのか、そういったSF上のルールが全く持って不明だ。

こういったSF設定の曖昧さは、新海誠監督『君の名は。』にも通じる。今さらこういうところにツッコミを入れるのも空しいだけなので、納得したくないが飲み込むことにする。ただここで、過去や未来の変更が可能かどうか示されないことで、あることが際立ってくるのである。

いきなりラスト近くまで飛ぶが、実は中庭に立っている大きな木が、この「家族」の過去から未来まで代々繋がっている時間移動装置のようなものだという。くんちゃんはこの木を媒介して過去や未来に飛び、青年期のひいじいじや幼児期の母親、あるいは高校生になった自分と出会う。また、じいじとばあばのプロポーズシーンなど、「家族」のある瞬間を垣間見ている。恐ろしいのは、この木が内包しているのは森羅万象ではなく、「家族」という範囲に収まる存在だけに限定しているのである。そもそも「家族」がどこからどこまでか、誰が決められるというのか。この木の中にある時空では、過去はともかく、未来までもがすでに決定事項として存在している(くんちゃんの活躍によって、何かしら時空が変化することは一切ない)。「家族」という共同体が予め決定づけられていると確信していなければ、このアイデアは生まれないだろう。

ここで、雛人形の件がSF的に曖昧になされたことも意味が解る。未来のミライが雛人形を片付けようとするのは、出したままだと婚期が遅れるという言い伝えを回避するためであり、つまりは「家族」を形作る時空に対し、過去を改変することで積極的に介入を試みているわけである。これは『万引き家族』とも連なる、固定観念化された古臭い「家族」の形を破壊する行為であるが、結局はくんちゃんの第1ミッションとしてしか処理されない。未来のミライのおこした過去の改変による結果を示すことができないのは、「家族」の運命は変更してはいけないという細田守の思い込みによるものではないか。

改めて、あの家の間取りを思い出してみよう。プライベートな空間の無いあの家にいるからには、常に同じ屋根の下にいる他者=「家族」との関係性を重視しなくてはいけなくなる。そこでは、父親は父親らしく、母親は母親らしく、そしてくんちゃんは兄らしく振舞うことを絶対的な正しさとして、ミッションを通じて強制的に誘導してくる。あの木の中にある、既に決定づけられている「家族」の歴史に忠実に合わせるために。巨大な存在に追従するしかできないディストピア社会のような絶望を感じるが、細田守監督は、ここにどんな希望を抱いているというのか。

 

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