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【邦画】『人数の町』ネタバレあり感想レビュー--中村倫也ファンの方々は、捻くれた変な映画ばかり観る羽目になっているが、満足しているのだろうか。

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監督&脚本:荒木伸二
配給:キノフィルムズ/上映時間:111分/公開:2020年9月4日
出演:中村倫也、石橋静河、立花恵理、橋野純平、植村宏司、菅野莉央、松浦祐也、草野イニ、川村紗也、柳英里紗、山中聡

 

注意:文中で終盤の展開に触れていますので、未見の方はネタバレにご注意ください。

 

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借金取りに追われる蒼山(中村倫也)は、突然現れた黄色いツナギの男(山中聡)に助けられる。男に「居場所を用意してやる」と言われてバスに乗っていると、謎の施設に辿り着く。フェンスで仕切られて外には出られないものの中での生活が保障されている施設は「町」と呼ばれ、多くの人々が気ままに暮らしていた。

前情報なしに映画を観れば、壮大な原作小説があるのだと勘違いしてしまうくらいには、きちんとした世界観である。けして多くないであろう予算の中で、社会から隔離された空間を創造したのは見事だ。特にロケハンは本当に素晴らしく、日本でもちゃんと探せば、こんなディストピア風味の空間にぴったりの場所が見つかるのかと驚く。

町で人が連れ去られるシーンのあとに「日本の年間の失踪者数」の数字がテロップで表示される。ほかにも自己破産の件数とか選挙の投票率などの数字がたびたび示される。また、「町」の住人たちは、たまに外に出ては、選挙用紙を渡されて指定された人物に投票したり、新規オープンの店に並んだりと、社会において数字で示される役割を担い、対価を得る。

つまり、この「町」の住人は固有の人間ではなく、「人数」として扱われているわけである。そのため名前は名乗らず家族などの関係性も不必要とされる。ニュースなどでは、投票者数だの事故の死者数だの、人間が「人数」として扱われているが、そのことについての寓意なのだ。たしかに、社会問題への提起を具現化した創造力は素晴らしい。ただ、その具現化だけで力尽きてしまったようなのである。荒木監督は50歳だがCM畑の人で、劇映画としては第1作なので、経験値からすれば過大な要求かもしれないが。

隔離されたディストピア空間を創造した場合、その次に行うパターンは幾つかある。1つは、その空間にリアリティを持たせて、何が起こるかをシミュレーションしていく、いかにもSF的な思考実験である。本作では、こちらは選んでいない。「町」で暮らす住人の一日の生活スタイルすら情報が曖昧でよく解らないくらい、リアリティの構築には手を回していない。そのため、現実面でのツッコミはいくらでもできるが、狙いがそこではない以上は野暮であろう。

では本作での狙いは何かと言うと、劇中でのあらゆる事象を寓意にして、ひたすら社会への問題提起を投げかけているのだ。たとえば「町」での食事は、ネットに賞賛だのディスだのを書き込み続けることで得られる。そのシステムの現実味は無視して、社会における「人数」(ここではネットでの書き込み数)の役割を果たした対価として食事が得られるという図式が、ここでも寓意として具現化されている。

ただこれ、「町」の人間が「人数」として扱われている寓意ばかりが連続するが、その先が何も無い。正しいかどうかすら俎上に上がらないなんて。「町」ではシステマティックに性交渉が行われ、ほとんどただひとつの住人の快楽となっているのだが、これは何を表現したいのか。性処理さえ満足できれば、そこは楽園ってことか。ちょっと理解が追い付かないが。

映画の後半では、失踪した妹(立花恵理)とその娘を追って、紅子(石橋静河)が「町」に潜入する。「町」の生活に馴染みきっている妹からはけんもほろろに対応されるが、紅子は蒼山と協力して娘を連れて、「町」から逃げ出す。この一連は、世間では常識人でも「町」の中においては価値観が通じない異物としての役割が紅子に与えられているはずなのだが、どうも説得力に欠ける。いや、こじつけはできるよ。蒼山が紅子たちと家族になりたい感情を表すことで、「人数」ではなく人間になったんだ、とか。

こんな感じで、観客の側が相当に都合よく解釈して、初めて寓意が成立するのだ。かといってリアリティの構築はハナから放棄されているので、スリリングな逃亡劇になるわけでもない。たぶん、結局は「町」の外でも彼らは「人数」でしかなかった、みたいな結論が一番座りがいいんだけど、この物語からそれを汲み取るのも無理がある。一応、ラストに衝撃の展開を用意しているけれど、管理する側とされる側の対比なんて、これまでの問題提起とは無関係ではないか。どうも狙いが一点に定まっていないような。

最後に、主演の中村倫也について。本作が上映されている新宿武蔵野館もそうだったが、出演映画が公開されるたびに映画館が女性客で埋め尽くされるのを何度も確認した。今、最も映画館に客を呼べる役者のひとりで間違いない。だけど最近は、ゾンビとか多重人格とか変な施設の入居者とか、まともではない(一般人とはかけ離れている、という意味で)役ばかりなのだが、ファンの皆さんは満足しているのだろうか。映画館で中村倫也ファンの方々に囲まれていると、こんな捻くれた変な映画につき合わせてしまって申し訳ないと、自分は無関係なのに思ってしまうわけだが。

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