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【邦画】『夏、至るころ』ネタバレあり感想レビュー--池田エライザ監督を含めて関わった人たちがウィンウィンの関係となる中に、観客だけが含まれていない

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監督&原案:池田エライザ/脚本:下田悠子
配給:キネマ旬報DD、映画24区/上映時間:104分/公開:2020年12月4日
出演:倉悠貴、石内呂依、さいとうなり、安部賢一、杉野希妃、大塚まさじ、高良健吾、リリー・フランキー、原日出子、後藤成貴

 

注意:文中で終盤の展開に触れていますので、未見の方はネタバレにご注意ください。

 

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公開に先立って、監督・池田エライザのインタビューがいくつもの雑誌に掲載された。『キネマ旬報』なんて2刊連続(2つ目はリリー・フランキーとの対談)でカラーページに掲載されており、雑誌社が配給に絡んでいるとはいえ、極めて珍しい事態だ。そんな盛り上がりの一方で、都内での初週公開は「WHITE CINE QUINTO」で1日1回の上映のみ(2週間後に、3館に増える)。妙なアンバランスさを感じる。

インタビューを読む限り、芸能人監督にありがちな「映画監督という肩書が欲しい」みたいな承認欲求が池田エライザにはあるわけではなく、「新しいことにチャレンジしたい」という純粋な気持ちが大きいようだ。おそらく本心だと思うのだが、これはこれで厄介で、本を書いたり写真を撮ったりするのと同じ感覚で映画監督に挑戦しているのである。趣味の延長というか。

本を書いたり写真を撮ったりするのは一人でもできる。だが映画は、基本的には集団によって成り立つ作品だ。映画を作ろうとするならば、どうしたって多くの人物が関わることになる。その時点で趣味の範疇には収めることができず、池田エライザ個人でどうにかするのは不可能だろう。そこで、何かしらの採算が取れると踏んだプロデューサーが、「池田エライザを監督として起用する」という手順を取ることで、池田エライザは映画監督に挑戦することができる。

こうして監督とプロデューサーそれぞれの思惑がウィンウィンの関係となった映画が『夏、至るころ』である。プロデュースしているのは、日本各地を舞台にした映画を量産している制作会社「映画24区」で、そこのプロジェクト「ぼくらのレシピ図鑑」の第2弾が本作である。

「ぼくらのレシピ図鑑」とは「企画の段階から市民が参加し、地域の食材や風景が登場する、世界に一つしかないオリジナル脚本によって映画を作るプロジェクト」だそうで「一本の映画をつくった時間が、地域にとってかけがえのない財産になる」のだと。なんとなく胡散臭いのだけれど、地元がロケ地に使われたりエキストラとして映画に参加できれば、住民も楽しい思い出にはなるのだろうし、糾弾するほどのものではないか。

前置きが長くなったが、あらすじ。舞台は福岡県田川市で、特に池田エライザとは無関係。主人公は高校3年生の翔(演:倉悠貴)と泰我(演:石内呂依)で、子供の頃から一緒に和太鼓の練習をしている。だが夏祭りを目前に泰我が受験勉強に専念するため和太鼓をやめると言い出し、進路を決めかねている翔は自分が何をしたいのか解らなくなる。そんな中で東京から来た謎めいた少女・都(演:さいとうなり)と出会い…。

とまあ、確立されたフォーマットに沿った話である。あまりに職人的というか、芸能人監督らしい自意識はあまり感じられない。強いて言えば、実は歌手だった都の言う愚痴が明らかに監督の本心であるところくらいか。その後の展開も「よくあるやつ」の範疇で、地域の外から来た"異物"に触れることで主人公2人の心境が変化し、ちょっとした仲たがいはあるものの地元を走り回ることで邂逅し、当然の如く最後には夏祭りで一緒に太鼓を叩く。中盤の「夜の校舎に忍び込んでプールに飛び込む」なんてのも、まさに王道。

もっとも、いわゆるご当地映画(命名:柳下毅一郎)にしては珍しい点も多く、まずプロジェクトの根幹であるはずの食材アピールが少ない。一応、パプリカのピクルスが何度も登場するけれど、食材をアップにすらしないし、劇中では邪険に扱われている。また、誰もいないのに異常に明るいため変に気味悪いシャッター商店街が、まるで心象を表すかのように何度も登場する。あの異空間な感じは演出としてはまあまあ面白いが、地元アピールとしてはマイナスになりかねない。

あくまでこれまでのご当地映画と比べてだが、そんなに撮影地に気を使っていない。プライドの無い職人監督であれば地元アピールを最優先して無理くり名産品の紹介とか挟み込んでくるけど、池田エライザにはそこまでの気配りはない(もちろん、それが正しい)のだろうし、プロデューサーも池田エライザには強く言えなかったのかもしれない。なので、やたら風景と食べ物ばかり押し付けてくるいつものやつと比べれば、格段に観やすかった。

最後の夏祭りのシーンでは、ここぞとばかりに地域住民がボランティアで参加。田川市長も屋台の店主に成りきって出演。主演の2人が猛特訓した和太鼓を披露して話を締める。その後、泰我は「市役所に務めて田川市のパプリカを全国区にする」と高校生らしからぬ堅実な夢を語る。一方の翔が田川市を離れるのは珍しい展開だが、鞄の中にはパプリカのピクルスが入っていて、地元との繋がりは忘れない。ただ、そこに至るまでにパプリカはそんなに重要アイテムって感じじゃなかったから、なんか唐突だったけど。

フォーマットに沿った王道の青春映画を監督した池田エライザにとっては、良い勉強になっただろう。次作以降で作家性を出すにしても、この経験は役に立つ。プロデューサーも、芸能人監督というネタによって普段よりスムーズに儲けを出せたかもしれない(知らないけど)。田川市にとっても地元アピール(効果があるかは別にして)ができたと喜んでいるだろうし、地域住民は映画に知っている場所が出てきたりエキストラ参加しただけでも思い出になる。遠目から池田エライザを見ただけでも自慢のタネだろう。

こうして関わった人たちそれぞれが得をして、ウィンウィンの関係になっている、幸福な作品ではある。だがこの完結した関係性の中に、観客は含まれていない。映画が制作された時点で全員の目的は達成され、それ以降の映画館にかけて観客に見せる過程はどうでもよくなっているような気もする。それゆえ、こんな小さな公開規模なのかと邪推もしてしまうのだ。
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