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【邦画】『ぼくらの亡命』--世捨て人のような存在をスーパーマンとして捉えてしまう、映画ファンの悪しき習性

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監督&脚本:内田伸輝
配給:マコトヤ/公開:2017年6月24日/上映時間:115分
出演:須森隆文、櫻井亜衣、松永大輔、入江庸仁、志戸晴一、松本高士

 

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59点
主人公はホームレスの男。ヨレヨレの汚れたシャツ、薄くなった頭髪にボリュームのあるヒゲ、獲物を狙うかのような鋭い目つき。まともな会話はできず、押し黙るか怒鳴るかしかできない、いわゆるコミュ障。ホームレスの造形として、あまりにテンプレ的である。都会の街中だったらよく見かけるタイプだ。

男は林の中にひっそりとテントを張って寝床としている。テントの外側には、「死ね」など物騒な言葉が書かれた夥しい数の習字用紙が貼られている。大量に貼られた習字用紙って、新興宗教っぽいところもあるが、なんでこんなに「ヤバい感じ」がするのだろう。彼の脳内の可視化ってことなのか。

そんなホームレスの男は、偶然出会った(というか、ちょっと接触しただけの)女に興味を持ち、尾行し始める。それにより、女は彼氏的な人に半分騙されて美人局をやらされていることが解ってくる。ホームレスの男は、彼なりに知恵を絞って女を救い出そうとする。その過程で女はホームレスの男に惹かれていく。

さあ、こうして設定だけ追ってみると、いかにもユーロスペースでかかっていそうな映画である。中盤での決定的な事件により、ホームレスの男が女の心を掌握することができると、2人で旅に出ることになる(彼ら曰く「亡命」)。ここで観客は、ホームレスの男に何かしらの期待を抱いてしまう。

映画ファンの悪しき習性なのだろうか、世捨て人のような存在をスーパーマンとして捉えてしまうのは。現実世界で街をふらつくホームレスのことなんて何とも思っていないか見ないふりしているくせに、フィクションだとすんなり受け入れるのはなんでだ。過去のその手の作品によって調教されているのか。

たしかにこの作品、特に前半は非常に映画的なシーンの連続である。そもそも尾行シーンというのは、カメラから別々の距離に2人の人間がいるので、それだけで映画的である。あと、狭いアパートの共用廊下の一角で、こんなにも多彩な位置関係が表現できるのかと驚いた。セリフが少ない分、目の力だけで感情を表すのも、映画的だ。

まあ、そういう映画的な撮り方を多用することでホームレスの男に映画ならではのスター性を与えているのだ。女が惹かれてしまうのは「こんな私のことを本気で救おうとしてくれるなんて」という説得力のある動機があるが、観客も一緒になって「こいつは他の人とは違う、何かするに違いない」と思い込んでしまう。

さて、いきなりラストシーンまで進める。最後の最後、ホームレスの男は、作品中で初めて「心の中で思っていること」を口に出して言う。これがまあ、陳腐で小さくて子供じみていて、愕然とする。彼の内面のあまりのつまらなさに、前半で纏っていたスター性がみるみる消えていく。そしてこれこそが内田伸輝監督の狙いだと気づく。

映画というフィルターを通して得られるスター性なんてまやかしに過ぎないのだというのは、映画ファンに対する強烈なメッセージであろう。こんな程度のギミックでスター性を感じることができるなら、普段から道ですれ違うホームレスにもスター性を感じ取れよってことか。映画の虚構性を言い訳にして都合よく楽しんでるんじゃねえよって話だったのかもしれない。

あと、後半で女と出会う別の男。生まれ持った善人性などからホームレスの男と対比されたキャラクターなのだろうが、どちらかというと相似形じゃないかと思った。だってコイツも紙に字を書いてベタベタ貼っているし。たまたま社会性を身に着けただけで、根っこは同じなんじゃないかと。まあこれは、余談ですが。

 

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