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【邦画】『翔んで埼玉 琵琶湖より愛をこめて』感想レビュー—実在の地域を勝手に敵に仕立て上げて醜く描写するのダメでしょう


監督:武内英樹/脚本:徳永友一/原作:魔夜峰央
配給:東映/上映時間:116分/公開:2023年11月23日
出演:GACKT、二階堂ふみ、杏、加藤諒、益若つばさ、堀田真由、くっきー!、高橋メアリージュン、アキラ100%、朝日奈央、山村紅葉、川崎麻世、藤原紀香、片岡愛之助、和久井映見

 

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映画の序盤の時点で、嫌な予感がよぎったのである。前作『翔んで埼玉』では主要キャラクターの1人であった阿久津が登場しないことを指摘され、仲間が何度も顔をそむけるシーンで。もちろんこれは、阿久津を演じていた伊勢谷友介が諸般の事情で出演できないという楽屋オチである。都道府県ネタとは無関係な楽屋オチは、本作『翔んで埼玉 琵琶湖より愛をこめて』にとっては全てを崩壊させかねないほどの危険な劇薬となりかねない。

本作は前作と同じく、3つの世界線が並行する多重構造となっている。映画の本筋となる、埼玉解放戦線が活動する虚構に満ちた第3層。その物語がラジオドラマとして放送されている、”現実”のような第2層。さらにそれら全てをひっくるめて茶番劇だと明示する、原作者の魔夜峰央が登場する天国のような第1層。前作においては、ラストで”現実”のような第2層の世界線が虚構的な第3層と繋がることで、我々のいる本当の現実でさえも魔夜峰央の脳内で創られた茶番劇の一部ではないかと暗示する恐ろしいオチとなる。

このような世界線を3層に分けた構造は、本作でも踏襲されている。ここで重要なのは、第3層で繰り広げられる都道府県ネタは、現実からは過度にカリカチュアされ、あくまで虚構だと作り変えられている点である。そうしなければ、各層を分離することができなくなるのだから。

だがそこに、現実そのままの楽屋オチを注入するとどうなるか。片岡愛之助演じる大阪府知事の妻である神戸市長を演じるのは現実でも妻である藤原紀香だし、アキラ100%はお盆を持ち歩くし、ゴルゴ松本は「命!」のポーズをする。そういう小ネタの連続により、多層を形成する物語世界の中に「本当の現実」というさらなる世界線が混在するようになるのだ。各層のあちこちと「本当の現実」が中途半端に繋がってしまうため、第2層が暗示する”現実”が何なのか不明となるし、絶妙なバランスで成り立っていた多層構造は意味をなさなくなる。そのため観客は、名探偵津田のごとく自分がどの世界線にいるのかわからずパニックになってしまう。

そして、前作でも危うい作用を仕掛けていた出身有名人対決である。前作の第3層において、反町隆史市原悦子といった明らかにその虚構世界には存在しないはずの実在の人物を出すのは危険だった。もっとも前作の場合は、まだ「その場限り」の度合いが強い分、本筋からは切り離すこともできたのだが。あと前作だと、小島よしお(沖縄)とか、小倉優子(こりん星)とか、実際の出身県よりもイメージの強い出身地がある人が複数いることのほうが気になったし。

ひるがえって本作の出身有名人対決だが、おそらく許可取りが大変だったと思われるビッグネームの写真が多く使用されている。その都道府県から真っ先に連想されるような有名人が次々と登場し、たしかに前作よりはグレードが高い。しかしそのせいで、「ではこの人たちは、この虚構世界ではどういう人なのか」という疑問も強く抱くようになってしまう。さらには、出身有名人対決の大オチによって、本筋である物語にも変化が訪れるのである。これはもう、「その場限り」と無視することはできない。

このように、サービス精神で前作から膨らませてたり付け加えている箇所が、ことごとく「そっちじゃない」というような悪い方向に行ってしまっているのが、本作『翔んで埼玉 琵琶湖より愛をこめて』である。ここまでは作品世界全体の構造についての指摘だったが、物語自体にも、サービス精神が原因で大きな問題が発生している。

日本埼玉化計画を推し進めている埼玉解放戦線のトップ・麻実麗(演:GACKT)と、その恋人の壇ノ浦百美(演:二階堂ふみ)。しかしそれ以前に、埼玉県人の心をひとつにしないといけない。そのネックとなっているのが、横のつながりのない埼玉の5つの路線だ。そこで麗は、埼玉を東西に横断して各路線をつなげる武蔵野線を構想し、発展のために越谷に海を作る計画を持ち出す。

注意:このあとの自由課金部分(払わなくてもOK)で終盤の展開に触れていますので、未見の方はネタバレにご注意ください。

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