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【邦画】『MOTHER マザー』感想レビュー--大森立嗣と長澤まさみの自意識がぶつかり合って粉々になった残骸

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監督:大森立嗣/脚本:大森立嗣、港岳彦/原案:山寺香
配給:スターサンズ、KADOKAWA/上映時間:126分/公開:2020年7月3日
出演:長澤まさみ、奥平大兼、阿部サダヲ、夏帆、皆川猿時、仲野太賀、土村芳、荒巻全紀、大西信満、木野花、郡司翔、浅田芭路

 

注意:文中で直接的にネタバレはしていませんが、未見の方はご注意ください。

 

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改めて映画を振り返ってみると、印象的なシーンが何も思い出せない。現代日本の暗部を抉り出した重厚な物語のはずなのに、心に突き刺さるものがひとつもないのはなぜなのか。いや、阿部サダヲが急に謎のダンスを踊るシーンとかは記憶の片隅に残っているが、そこに本作のメッセージは含まれていないだろう。

大森立嗣監督の作品が好きではない。社会問題を自意識の発露のために利用しているのが気に入らないから。直近だと『タロウのバカ』は、貧困層の子供に叫ばせたり暴れさせたりするだけで、何かを表現した気になっている。表層的な刺激が羅列されるのみで、この手の話であれば必須の映画と現実社会を繋げるための肉付けすらされていない。

『MOTHER マザー』もまた日本社会への問題提起が監督のマスターベーションとなっているだけの不快な作品である。毒親と子供の共依存がテーマらしいが、ざっと検索した限り、これは一般的な共依存とは別物だと思う。母親は、たまに子どもを抑えつけるセリフがあるものの全体としては抑圧している感じは無く、子供のほうも「自分がいなきゃ母さんはダメになる」的な描写は非常に少ない。定型を外すのはいいのだが、それに代わるものが用意されていないので、表層でこねくり回している印象しか残らない。

だが本作の場合、これまでの大森監督作品と少し様子が違う。今回は、刺激すら控えめなのだ。劇中で起きていること自体、やけにマイルドな仕上がりである。そのためラストの残虐行為は唐突な印象だし、それすらもはっきり映像で見せない体たらくぶり。ここまでマイルドなのは、おそらく長澤まさみの意思が働いているからではないか。

個人的にはそう思わないけど、世間一般では未だに清純派のイメージが強い長澤まさみが、本作で「体当たりの演技」を見せて演技派への脱皮を図りたかったのではないか。出演者のインタビューでは、誰もが監督はほとんど演技指導せず役者に任せていたと語っている。であれば、長澤まさみも好きに自分を表現できるわけで、格好の機会だ。

それで出来上がったのが、唐突に大声を出したり、半端なベッドシーンでお茶を濁したりする、とにかく無難なシーン。長澤まさみを責めるのは可哀想だ。そもそも「体当たりの演技」が何たるかを知らないのだから。彼女に何も求めず任せっぱなしにした監督が悪い。

「体当たりの演技」によって役者としてのステップアップしたいのなら、せめて観客に覚悟が伝わらないといけない。最近だと『Red』の夏帆とか、事実はどうであれ「自分はもっとできるんだけど周りから止められて」と思わせる程度のことはしないとイメージの刷新は難しい。『宮本から君へ』『ロマンスドール』の蒼井優も同様。だが本作の長澤まさみは、やけに遠慮がち。まだ『モテキ』のほうがずっと攻めていたような気が。

脇の役者も同じで、阿部サダヲはいつもの戯画的な誇張演技だし、木野花が大声で泣き叫ぶところなんて「本当に『愛しのアイリーン』に出てた人か?」と思うくらい酷かった。いずれも演出が放棄されたがゆえの惨事だ。唯一、先ほども名前を出した夏帆だけが「悲惨な親子を外から見るしかできない立場」を遂行すべく完璧に振る舞っていた。

本作は、大森立嗣と長澤まさみの自意識による思惑がぶつかり合った結果、双方ともきれいに砕け散った残骸のようなものである。長澤まさみは、本当に「体当たりの演技」をしたいのなら、きちんと演出をつけてくれる監督のもとに行くべきあろう。大森立嗣は、これからも自意識を発露したいのなら構わない。ボクが避ければいいだけだ。

でもやっぱり、長澤まさみは天性のコメディエンヌだと思うのだが。『MOTHER マザー』のどのシーンよりも、その前に流れた『コンフィデンスマンJP』の予告での「史上最大の、お宝よ~」のほうが魅力的だし。そっちを極めてほしいんだけどなあ。
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