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【邦画】『まほろ駅前狂騒曲』--タバコの「意味」が過剰な昨今

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似顔絵を描いていて、どうも顔だけでは面白みが出ないときは、昔はよくタバコを手に持たせたり、口にくわえさせたりした。もちろんモデルにもよるが。けれど今は、あまりやらない。手に何か持たせるなら、そのモデルにあったものにしたりする。最近は、タバコを描き足すだけで変に「意味」が発生しそうなものなので。

 

大森立嗣監督『まほろ駅前狂騒曲』では、タバコが重要な小道具として登場する。主人公の多田啓介(瑛太)と行天春彦(松田龍平)は、どちらもヘビースモーカーで、ことあるごとにタバコを吸う。便利屋を営む2人が、行天春彦の生物学上の娘・ハルを預かるというのがメインストーリーだが、多田は子供のいる部屋でタバコを吸うなと行天に言い、大の子供嫌いで預かることにも反対の行天は、抵抗の意志を示すべくタバコを吸おうとする。

 

そんな風にメインプロットの補完にタバコが使われる他、様々なシーンでタバコが登場する。なかでも印象に残ったのは、序盤で多田が行天にタバコを吸うためライターを借りたところ、火力最大にしていたため多田が驚くという、行天のイタズラのシーン。ややネタバレしてしまうが、ラストシーンでは、急に行方をくらませていた行天がいきなり多田の前に現れる。そこで今度は逆に行天が多田のライターを借り、火力最大なために驚く。2人の関係をうまく表しているし、行天がいなくなったあとも多田がいつも火力最大のライターを持ち歩いていたということは、そのうち戻ってくるという確信があったからだろうという多田の心象も読み取れる。タバコという小道具に、かなり深い意味が内包されている映画である。

 

だがしかし、昨今ではそもそもタバコには過剰な「意味」がついていて、物語の小道具として扱うのは難しくなっているのも事実である。嫌煙ブームが浸透しすぎたからであり、一昔前ならなんでもなかったタバコを吸うシーンに、否応なくノイズを感じてしまう。ビートルズのポスター修正とか、『風立ちぬ』騒動とかのせいで、タバコを出すだけで、何やら天皇とか原発とか出すのと同じくらいの社会的メッセージがあるかもしれないと一瞬思ってしまう、そういうノイズ。そんなわけないんだけどさ。

 

タバコなんて単なる庶民的な嗜好品だったはずである。ダンディズムのアイテムという地位からはずいぶん昔に降りたものの、「絵になる」小道具として重宝されていたはずだ。しかしこうも社会的、政治的な「意味」が過剰についてしまうとなあ。『まほろ駅前狂騒曲』においても、小さな子供の前でタバコを吸うというシーンが、物語上の文脈なんかとは別次元で「絶対悪」だと断定する人も今では少なくないだろう。やりにくくなったものである。

 

嫌煙運動は勝ったのかもな。タバコの害に関する知識が広まったことよりも、ガラスで遮断された喫煙スペースよりも、文化を疲弊させるほどの過剰な「意味」をタバコに植え付けたことが、もっとも大きい。でもなあ。ボクはタバコは吸わないけど、こうも文化を疲弊させ衰退への道筋をつけるようなやり方するんだったら、嫌煙運動には徹底的に反発するよ。

 

 

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