ヤガンEX

映画とか漫画とか似顔絵とか

【邦画】『亜人』--なぜ主人公を「普通の人」に変更したのか

f:id:yagan:20171010234526p:plain
監督:本広克行/脚本:瀬古浩司山浦雅大/原作:桜井画門
配給:東北/公開:2017年9月30日/上映時間:109分
出演:佐藤健、玉山鉄二、城田優、千葉雄大、川栄李奈、綾野剛

 

スポンサードリンク
 

 


48点
原作がある映画の場合、原作からどこをどのように変更したかによって、作り手の意思を読み取るというのは一般的な見方であろう。人気漫画を原作とする『亜人』はどうかというと、実は原作のある重要な要素をバッサリと切り落としている。しかもそれが、ポリシーがあってのことではなさそうなのである。

まず、単行本を11巻を出していて現在も連載中のストーリーを、あちこちカットして2時間以内にまとめて一応のラストをつけるという変更は行っている。これは、当然のことだ。ただ、重要なシーンにつながるための伏線もバッサリいっているため、特に「原作そのまま」のシーンのほうが、意味が解らなくなっていたが。

例えば、亜人だけが見える黒い粒子を部屋に充満させて視界を遮るという作戦が出てくるが、主人公の粒子が他の亜人と比べても格段に多いという事前情報が無いために、初見の人は戸惑う。一事が万事この調子で、ボクは原作をすでに読んでいたのでなんとかついていけたのだが、未読だったら意味が解ったかどうか自信がないシーンが山ほどある。

で、今回言いたいのはそこではない。何をしても死なない亜人同士が拳銃で撃ち合うという「お互い、どういう勝利を思い描いてるんだ?」といったようなマヌケさをツッコむのは別の人に任せる。原作からの変更点で最も問題なのは、主人公の性格なんである。

軽く設定を説明する。人間社会の中に、亜人と呼ばれる何をしても死なない不死身の存在が紛れ込んでいる、というよくある話である。亜人は人間を憎んでいるが、それは人間側が国家レベルで、亜人を実験体にした非道な人体実験を繰り返したからである。これは原作の時点で突拍子もないところだが、とりあえずスルーする。

人間社会の中に人間そっくりの別の何かが紛れ込んでいる、という話は多い。漫画では『寄生獣』『東京喰種』などあるが、これらの作品に登場するのは本能的に人間を殺す存在のため、人間側が排除しようと動くのにも理由がある。逆に『白暮のクロニクル』のように、存在自体が人間に危害を加えるわけではないときは、同じ社会で共存をしているケースもある。

『亜人』の場合は、人間との違いは「何をしても死なない」というだけだから、本来は同じ社会で共存できるはずだ。亜人が人間を攻撃するのは、人間による人体実験への恨みという後天的な理由だ。その脅威に対抗すべく人間も亜人を倒そうとする。物語上のマッチポンプとはいえ、ここは他の作品と比べてオリジナリティがある。

(なお、話がややこしくなるので、黒い幽霊みたいなヤツの件は放っておきます。あれが何なのか全く説明できていないのが、この映画を理解しづらくしている原因だと思う。もちろん、原作ではちゃんと説明されています)

さて、映画では佐藤健が演じた主人公・永井圭について。原作の永井は、損得勘定で物事の順番を決める合理主義者である。医者になるためなら、親友との付き合いをやめたり。誰かを助けるのは「この人を助ければ、あとで役に立つ」からだ。一般的に理解可能な感情を持ち合わせていない。そのため永井は、妹からも「クズ」と呼ばれている。

映画は、この性格設定を丸ごと無視している。佐藤健という爽やかイケメンを配役して、「たまたま亜人だったせいで悲劇に巻き込まれた普通の人」という、つまらない設定に変更している。特に理由もなく感情論で、妹を病院から連れ出したりしているし。原作の永井だったら、絶対にありえない行動原理だ。

一方の、永井と対立する快楽殺人鬼の亜人・佐藤にも、改変が行われている。「ゲームのように楽しんで人を殺す」というところは同じだが、「非道な人体実験を20年も続けられたため」という、そういう性格になった理由が明示されているのだ。原作では「子供のころから、そうだった」というだけで、理由なんか無かったのに(大体、原作の佐藤は人体実験を受けてすらいない)。

さらに、原作からの変更点として、永井と行動を共にする中野という亜人の少年の存在が消されている。実はこの中野というキャラクターが原作の中で最もぶっ飛んだ性格設定で、一言で言うと「単純すぎるバカ」である。すべての行動がその場の感情に起因する、永井と真逆の存在だ。永井にとって佐藤は相似形であるように、中野は対称形として、それぞれ対比されている。そういうの、映画では一切ない。

漫画『亜人』は、そいつが亜人であるか以前に、ちょっとタガが外れたかのような強烈な性格設定を持たせることで、物語に深みを出している。おそらく映画版の作り手はこういう性格が理解できなかったのであろう。永井は簡単に共感できる解りやすい凡人だし、佐藤は「人体実験のせいでおかしくなった」ということにしているし、中野に至っては出て来やしない。理解できないものを抹消してお茶を濁しているだけだなんて、ただの思考放棄であろう。

 

スポンサードリンク