ヤガンEX

映画とか漫画とか似顔絵とか

【邦画】『犬、回転して、逃げる』ネタバレあり感想レビュー--不思議な上映ラインナップの「シネ・リーブル池袋」は東京で最も尖った映画館ではないか


監督&脚本:西垣匡基
配給:アイエス・フィールド/上映時間:82分/公開:2023年3月17日
出演:長妻怜央、宮澤佐江、なだぎ武、中村歌昇、三戸杏琉、ワタリ119、仁科亜季子、登坂淳一

 

注意:文中で終盤の内容に触れていますので、未見の方はネタバレにご注意ください。

 

スポンサードリンク
 

 

「シネ・リーブル池袋」という映画館は、どれほど認知されているだろうか。池袋駅西口にあるPARCOビルの8階、レストランフロアに位置する2スクリーンの小さな映画館。ここは東京都内の映画館で、おそらく最も不思議な上映ラインナップを有している。テアトル系列なので独立館ではないし、商業ビルの一角を間借りしているがゆえの制限もあるはずなのに、なぜか異様なほど独自色が強い。

と言っても、アカデミー賞受賞作などメジャーな大作も上映している。その一方で、国内外のミニシアター系の作品や、『きかんしゃトーマス』など子供向けの作品なども並行しており、とにかく種々雑多なラインナップだ。そしてそんな「シネ・リーブル池袋」では、他ではお目にかかれない謎の邦画が多数上映されるのである

都内(あるいは全国)1館のみで上映される邦画、というだけならば、さして珍しくはない。「ユーロスペース」や「K's cinema」「ポレポレ東中野」など、無名の監督による自主制作映画や政治色の強いドキュメンタリー映画など、他では上映が難しい邦画作品の受け皿となっている映画館は多数ある。だがこれらの映画館は、明確なポリシーを持って上映作品を選定していると思われる。ポリシーがあるから、「ユーロスペース」は『REVOLUTION+1』を上映するのだ。

だが「シネ・リーブル池袋」には、そのようなポリシーは希薄だ。というのも、「シネ・リーブル池袋」だけでかかる邦画は、「ユーロスペース」などの上映作品とは全く異なるからだ。ざっと思い出してみると、市川美織主演『放課後戦記』北原里英主演『HERO2020』山口真帆主演『ショコラの魔法』などなど。たまたま48グループ元メンバーの主演作品ばかりになってしまったが、推察するに「何かしら大人の都合で撮られた映画」が非常に多い。「映画を撮ること自体が目的の映画」、と言い換えてもいいかもしれない。

失礼ながらトップクラスとまでは言えない全盛期を過ぎたアイドルが主演では、一定数のファンは観に来るとしても、それだけでは採算を確保するのは無理であろう。事実、前述した作品群をボクが観たのは公開週の週末だったが、いずれも観客は一桁であった。上映したところで、客の入らない映画にスクリーンを占拠されるだけで、映画館にとっての旨味はほぼないはず。そんな厄介な映画の受け皿となっている「シネ・リーブル池袋」には、ポリシーとは別の何かしらの力学が働いていそうだ。尖っていることを自覚しているうちはまだまだ、とするならば、その異常さに無自覚な「シネ・リーブル池袋」ほど尖っている映画館は他に無いのかもしれない。

さらに「シネ・リーブル池袋」でのみ上映される謎の邦画には、内容にも傾向がある。大きく2種類あって、「設定ゆるゆるのダークファンタジー」もしくは「世界観が放棄されたスラップスティック・コメディ」なのだ。本当に毎度毎度、このどっちかなのである。順当な青春映画とか恋愛映画のほうが主演アイドルのファンは喜ぶ気もするが、なぜか奇抜さを狙っているものばかり。一体何なのだろう。この謎を解くのを今後の課題としたい。

前置きが長くなり過ぎたが、そんな「シネ・リーブル池袋」で現在上映中なのが、7ORDERの長妻怜央と元AKB48の宮澤佐江が主演の『犬、回転して、逃げる』である。傾向としては「世界観が放棄されたスラップスティック・コメディ」に属する。まあ、三木聡監督作品から更に世界観を除いたものだと思ってください。もっとも内容は三木監督作品とは雲泥の差だったが。『大怪獣のあとしまつ』のせいで世間での評価がガタ落ちの三木監督だけど、やっぱり偉大なのだと再認識した。

カフェ店員の木梨(演:長妻怜央)は、泥棒という裏の顔を持っていた。怪しまれないようにパンダの着ぐるみを着て他人の家に侵入している。アパートの共用廊下でパンダの着ぐるみをすれ違うのが日常の光景、という世界観である。つまり「何でもあり」なわけだが、これだと却ってコメディは難しくなるんだよね。「おかしなこと」が当然とされている世界観で「おかしなこと」をして笑いにするのは至難の業だ。

木梨は、婦人警官の眉村ゆずき(演:宮澤佐江)のアパートに忍び込み、通帳と印鑑と小学校の頃に書いた習字などを盗み出す。その際、印鑑と通帳が会話を始めるという理解に苦しむシーンが挟まれる。モノが喋り出すのはここだけなので、おそらく単発のギャグらしいんだけど、これで笑う人っているのだろうか。印鑑と手帳を動かすための棒を隠す気が無いのとかも、狙っているつもりか?

あくる日に木梨がバイトから戻ると、自宅に置いていたはずの盗品は丸ごと消え去り、さらに飼い犬の天然くんも居なくなっていた。まさか眉村が取り返しに来て、ついでに犬も盗んでいったのかと、再びアパートに忍び込む木梨。しかも今度は家主のいる最中だ。室内を歩き回る眉村の死角になるようにソファーの反対側に回り込むなど、ドリフのコントみたいなことをしている。

この映画、全てにおいてそうなのだが、「のれは面白いのか?」を判断する以前に、「これは笑わせるつもりでやっているのか?」を、観客が見極めなくてはならない。パンダの着ぐるみがアパートの共用廊下を歩いているのを当然とする世界では、絶対に見つかる位置に隠れるなどのような「現実の常識とはズレていること」をしただけでは、この映画における世界観の範疇でしかないのだから。自分で定義した世界観の中で更にズレを発生させることで、初めて笑いは生まれるはずなのに。

「世界観が放棄されたスラップスティック・コメディ」とは、つまりそういうことである。メインの登場人物でもう一人、元因(「もとより」と読む 演:なだぎ武)という冴えない中年男が出てくるのだが、演じているのがキャラクターコントを持ちネタとする芸人であるため、彼の顔芸によって「ここは笑わせようとしている場面なのだな」と判断できた。面白いかどうかは別にして、元因のシーンはコメディの構造になってはいた。そういう指標が他にはほとんどない。ワタリ119にその役割を求めるのは酷だし。

あと、実はこの映画、特に前半ずっと登坂淳一によるナレーションが被さってくる。それだけでもなかなかに鬱陶しいが、途中で本人が登場したり、「失礼、昨日ちょっと飲み過ぎて」とか言ったりと、ナレーターなのに自己主張が激しい。この手の映画での楽屋オチは危険だぞ。実写映画『銀魂』などは、最初から「これは楽屋オチがありの世界観です」って宣言しているから成り立つのである。ドラマ『TRICK』なんかだと、楽屋オチは世界観を壊しかねない諸刃の刃にもなっており、かなり注意深く取り扱っていたわけだし。

物語については、連続爆弾事件と誘拐報道が発生する中で、関係する人たちの様子が同時進行し、次第に一点に収束していく構造にしたかったらしい。一応、鑑賞後に流れをノートに書き出して話を整理しようとしてみたけれど、無理のあるところが多々あった。それとは別に、誘拐報道されている子供が家に戻らないまま終わるのと、隠しカメラの件が最後どうなったのか教えてくれないあたりが、投げ出し感が強かったが。監督・脚本の西垣匡基は、物語の辻褄を合わせるテクニックでは抜きんでている劇団「ヨーロッパ企画」出身だという。この映画の脚本を上田誠に見せることができるのかどうか、ちょっと気になる。
-----

-----

【お知らせ】

・邦画レビュー本「邦画の値打ち2022」の通販を開始しました。既刊本もあります。

yagan.base.shop

-----

 

スポンサードリンク