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【邦画】『妖怪シェアハウス 白馬の王子様じゃないん怪』ネタバレ感想レビュー--チープなものをチープなまま見せる技術の先鋭化における松本まりかの天才性


監督:豊島圭介/脚本:西荻弓絵
配給:東映/上映時間:104分/公開:2022年6月17日
出演:小芝風花、松本まりか、毎熊克哉、豊田裕大、池谷のぶえ、佐津川愛美、長井短、井頭愛海、尾碕真花、小久保寿人、片桐仁、安井順平、望月歩、池田成志、大倉孝二、山本雪乃

 

注意:文中で終盤の展開に触れていますので、未見の方はネタバレにご注意ください。

 

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2022年6月17日は、1年の中でもトップレベルの邦画渋滞デーで、この日だけで邦画の話題作・重要作が6本も公開された。テアトル新宿で公開された『鬼が笑う』やアニメ映画『怪盗クイーンはサーカスがお好き』などの比較的小規模の作品を含めないで、それでも6本ですよ。ちゃんと有休を取って、まずは小林敬一監督『恋は光』から観たところ、恋愛感情なるものを虚構的に一度解体してから再構築を行い、改めて恋とは何かと捉え直すという哲学的なアプローチを試みており、非常に素晴らしい作品で感動した。そして、次にテレビ朝日のドラマの劇場版である『妖怪シェアハウス 白馬の王子様じゃないん怪』を観たところ、『恋は光』と同じことをしていたので驚いたのである。

テレビドラマ版を一切観ていないうえでの説明なので間違いがあるかもしれないが、大まかなあらすじ。出版社みたいなところに勤める澪(演:小芝風花)は、経緯は知らないが、閻魔寺という寺でぬらりひょん(演:大倉孝二)や座敷童(演:池谷のぶえ)などの妖怪たちとシェアハウスして楽しく暮らしている。仕事では、恋愛本の企画を出すも古臭いからとボツにされ、市場調査のつもりかマックの女子高生に現代の恋愛事情を聞いてみると、どうも「アイラブ」なる恋愛アプリが大流行りしているらしい。

「アイラブ」とは、様々なデータから利用者が欲する「理想の恋人」をCGのアバター(だと思う)で創作して、画面越しに会話するなどして疑似恋愛を体験できるアプリ。ハマり過ぎてアバターと結婚式を挙げてしまった友人の歌手(テレビドラマでの登場人物)に勧められ、澪も始めてみる。すると澪にとっての「理想の恋人」が画面上に現れて、すっかり虜になってしまう。

そんな折、初来日した天才数学者のAITO(演:望月歩)の会見に記者として出席する澪。そのAITOが、「アイラブ」で澪が創造した疑似恋人とそっくりな顔であって驚く(それまでちゃんと顔出ししていなかった)。そして、カップラーメンをそのままバリバリと食べ始めるほど浮世離れしているAITOの面倒を見るうちに、いつしか澪とAITOはデートを重ねるようになり、すっかり良い雰囲気となっていく。

一方で、世間では大きな出来事が2つ起きている。1つは、「アイラブ」にハマり過ぎた人間たちの失踪が続発している事件。路上にたむろし、真っ白な一枚布を纏って花冠を被るという少し前にどこかで見たような格好で笑顔で踊る彼ら彼女らは、「ツルツル人間」と呼ばれ社会問題になっている。もう1つ、河童やアマビエなどの妖怪たちが次々と闇落ち(テレビドラマからある設定らしい)し、身体がドス黒くなったうえで消失する事件が並行している。

そこから闇落ちした妖怪たちが暴れる見せ場などがあり、話を少し端折るが、これらは全てAITOの陰謀であったと判明。実はネオ妖怪であるAITOは、システマティックな思考を突き抜けた結果、論理的ではない曖昧なものを世界から排除すれば戦争も無くなり平和に繋がるだとの結論に至る。そのため論理の範疇に収まらないこれまでの妖怪なる存在を消滅させようとし、これまた論理では説明できない人間の恋愛感情を制御しようとしているのだ。

興味深いのは、AITOは恋愛感情を一方通行にして、これこそが論理的に正しいだとしているのである。恋愛対象が自分に都合よく創造された架空の存在であれば、「相手からどう思われているか」を気にしなくて済むし、恋愛トラブルなど発生しようがない。その自分しかいない一方通行の感情には曖昧な要素は消失し、確かにこれは論理的に制御された恋愛であると言える。片思いこそ最強の恋愛とはよく言われるが、その究極の形がここに誕生している。

そんな一方通行による恋愛感情の心地良さに囚われた「ツルツル人間」は内なる世界に閉じこもり、草原で奇妙なダンスをしたり、森の木陰でただただ笑っていたりする。ここでも常に真っ白な一枚布と花冠の姿だが、これすっかり「外界の刺激から隔離された中での狂った幸福感」を表すアイコンとして定着したな。もはやPALCOとかの広告で、この格好できないだろう。アリ・アスターは偉大。

もちろん物語における当然の帰結として、論理的ではない曖昧な部分こそが恋愛の醍醐味なんだという価値観を澪がAITOにぶつけて倒す展開となる。作品全体を通して、恋愛感情を論理的に突き詰めて合理化するという「解体」と、そこから零れ落ちたものに着目して必要性を改めて認識するという「再構築」が行われており、その一連は『恋は光』と通じる哲学的なアプローチだ。それ自体は珍しいものではないかもしれないが、このような戯画的なコメディ映画で、こんな大それた哲学を試みていることには驚く。

いや、恋愛における曖昧さと、妖怪の存在における曖昧さとをリンクさせているわけだから、むしろ戯画的な世界観を構築して妖怪の存在にリアリティを持たせるところまでして初めて、恋愛感情の解体と再構築が行えるわけである。しかも、ハリウッド大作のようなVFXを駆使できる予算が無い以上、チープな造形の存在をチープなままで成立させなくてはいけない。この点において昨今の邦画は先鋭化しつつあるが、その中でも本作は頭一つ抜けているようだ。

衣装やメイクによる妖怪の造形と背景となるセットを同等のチープな質感で統一するのは、そんなに難しくないだろう。だが、その中に置かれる生身の人間が、そんな虚構的に作られたチープな空間の中で違和感なく居続けるのには、役者の力量にかかっている。その点で、お岩さん役の松本まりかはすごかったなあ。戯画的に誇張された演技の中に生々しい情念を含ませるバランス感覚が見事で、厚みのある存在感が常にある。ずっと両手を下に垂らす幽霊ポーズをしているのに違和感を覚えないのは只物じゃない。松本まりかって、こんなすごい役者だったのか。お岩さんは妖怪なのかという疑問はあるけど、まあいいや。

気になる点といえば、どうも澪が人間と妖怪の中間らしく、『寄生獣』『東京喰種』などと同じように、2つの異なる種族の両方に属する存在が「選ばれし主人公」となるいつものパターンに危うさを感じるところだが、まあそれは今後の展開次第でしょう。『妖怪シェアハウス』は完全に食わず嫌いで舐めていた案件であり、それについては謝罪をするとともに、とりあえずテレビドラマはちゃんと見ることにする。
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