ヤガンEX

映画とか漫画とか似顔絵とか

【邦画/アニメ】『映画 五等分の花嫁』ネタバレ感想レビュー--原作漫画はハーレム型のラブコメ漫画が潜在的に内包する呪縛を解放した記念碑的な作品だが


監督:神保昌登/脚本:大知慶一郎/原作:春場ねぎ
配給:ポニーキャニオン/上映時間:136分/公開:2022年5月20日
出演:松岡禎丞、花澤香菜、竹達彩奈、伊藤美来、佐倉綾音、水瀬いのり

 

注意:文中でアニメ劇場版と原作漫画の大オチに触れていますので、未見の方はネタバレにご注意ください。

 

スポンサードリンク
 

 

いわゆるハーレム型と呼ばれる、主人公の男の周囲に好意を寄せている女が多数いる構図のラブコメ漫画には、大きく分けて2つの種類がある。ひとつは主人公の男が鈍感すぎる朴念仁で、周囲からの恋心にまったく気付いていないパターン。気づいていたとしても、本人が特定の誰かに恋心を寄せる素振りを見せない場合も、ここに含まれる。このパターンは基本的に人間関係が固定したまま変化しないので、日常描写を繰り返す作品に向いている。「少年マガジン」だと四コマ漫画の『生徒会役員共』とか。

もうひとつが、主人公の男には特定の誰かに対する明確な恋心があり、その2人の恋模様を主軸とするパターン。こちらは物語の展開によって人間関係が変化していくので、長い連載の中で緊張と緩和の波を生み出すのに最適な構図であり、「少年マガジン」では『山田くんと7人の魔女』などのラブコメの王道として多く採用されている。ただこのパターンは、主人公が恋心を向ける相手が作品の正ヒロインとして上のポジションを与えられ、その他の女キャラクターたちは一段下の存在として、絶対に実らない片思いをし続けなくてはいけないという呪縛に囚われるという、潜在的な問題を抱えている。

 

※ ここから先、漫画『五等分の花嫁』のネタバレを盛大に含みます。

 

「少年マガジン」で連載された春場ねぎの漫画『五等分の花嫁』は、先に挙げた朴念仁パターンとして始まる。五つ子の女子高校生に対して同級生の男が家庭教師を任されるという導入から、物語が進むにつれて五つ子のうちひとりまたひとりと順番に男への恋心を自覚する。一方の男のほうは、自分に向けられる好意は認識するものの、自身の恋心は子供の頃に一度だけ出会った「写真の少女」に向けられている。読者からはこのように見える構図が、作品の3分の2あたりまで続く。

単行本は全14巻だが、五つ子のうち4人が男に好意を向けている(ように思える)状況となった10巻のラストで、「写真の子」の正体が明かされ、それが五つ子の中で唯一の、ここまで男に対する好意を感じ取れなった人物であると判明する。この直前では「最初に男を好きになったひとりを、他の皆が応援する」という展開があったが、ここまで恋愛模様に関しては蚊帳の外だった人物が、子供時代からずっと好意を寄せていた(つまり、片思いの期間は他の誰よりも長い)という一発逆転の状況になる。

そして13巻のラスト、ついに男のほうが、五つ子の中のひとりに思いを伝える。この相手が「写真の子」であるが、男はそのことを知らない。あくまで、家庭教師になって以降の交流による恋心だ。そして、この男の恋心は8巻ラスト以降から意識していたとも明かされる。なんと、この漫画は途中から「主人公が特定の誰かに恋心を抱いている」パターンに、いつの間にか変化していたのである。

ハーレム型ラブコメにおける、正ヒロイン以外の「絶対に実らない恋心を背負わされたキャラクター」は、物語の都合で体よく動かされがちである。主人公と正ヒロインにとってのエピソードを作るための駒として利用され、しかもその行動の原因も「彼を好きだからこそ、彼の好きな人と幸せになってほしい」みたいな雑な理由だったりする。で、「これで良かったんだ」って呟きながら微笑んだり悲しんだ顔をさせられて、はい終了。その健気さや不憫さから正ヒロイン以上の人気を勝ち取ることもあるが、そもそも作者が物語を紡ぐために運命を決定づけられている非情な存在なわけである。片思いを自身の武器にする千石撫子のような存在は稀だ。

『五等分の花嫁』は、「絶対に実らない恋心を背負わされたキャラクター」と見なされていた人物を両思いにさせることで、ハーレム型ラブコメの呪縛から解放した。男と姉妹の誰かしらとの恋愛を応援するという自己犠牲ゆえの行動が、男に恋愛感情を産み出したのだから。物語のために動かされる駒ポジションが、ここまで報われたことがあっただろうか。そして全てを知ってから読み返すと、同じ物語なのにさっきまでの駒ポジションが正ヒロインとして君臨している別の物語が展開されるのである。『五等分の花嫁』における「絶対に実らない恋心を背負わされたキャラクター」の呪縛からの解放は、これまでのハーレム型ラブコメで体よく駒とされたキャラクターたちへの救済にもなり、その意味では記念碑的な作品であろう。

というわけで、ここまでは漫画の話だったが、アニメ劇場版についても少しだけ。原作の12巻から14巻までを基本的にはそのままアニメ化しているが、あまりにメリハリが無く単調。その一番の理由は、原作では肝となるシーンやセリフと、その他の部分に差異が無いからであろう。劇中で何が起ころうとも、ずっとスローテンポのBGMが流れているし。漫画では見開きなど主にコマ割りによって工夫して物語にメリハリを持たせるが、アニメではさらっと流される印象を受ける。顔をアップにしたところで、スクリーンの大きさ自体は一定だから、漫画のコマを大小させるような効果は無い。

それより単純に酷いなと思ったのは、劇中の時間操作が下手すぎる。エピソード間の繋げ方もなのだが、特に気になるのは、セリフの間に"空白"が無いのである。一例を挙げると≪私たちのことは気にしないで付き合っていいんだよ≫≪なんて言うと思った?≫という連続するセリフ。ここは原作漫画では、2つのセリフは発言者の正面顔を描いた同じアングルのコマを並べて、その間に聞き手の目のアップが入る細長いコマが挟まる。漫画の読者は実際には一瞬で読むが、その細長いコマに長尺の時間を体感する。

劇場版アニメは、このコマの画をそのまま並べているのだが、セリフ間の"空白"が時間としては0.2秒くらいしかない。原作における意図的なコマの配置を考慮していないので、重要なセリフなのにさらっと流されてしまう。これ、セリフの間に2秒くらいの空白を設けて、聞き手の表情をはっきりと認識させるだけで、だいぶ印象が変わるのだが。どこもかしこもこんな感じで、一瞬の余韻に浸る"空白"が用意されていないため、全体が極めて単調になってしまっているのだ。原作の重要なセリフやシーンが軽く扱われているようで、そこはかなり残念であった。
-----

 

【お知らせ】

邦画レビュー本「邦画の値打ち」シリーズなどの同人誌を通販しています。

yagan.base.shop

-----

 

スポンサードリンク