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【邦画】『エッシャー通りの赤いポスト』感想レビュー--園子温監督による「既存システム」への破壊衝動は、本当に破壊なのか

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監督&脚本:園子温
配給:ガイエ/上映時間:146分/公開:2021年12月25日
出演:藤丸千、黒河内りく、モーガン茉愛羅、山岡竜弘、小西貴大、上地由真、縄田カノン、鈴木ふみ奈、藤田朋子、田口主将、諏訪太朗、渡辺哲、吹越満

 

注意:文中で終盤の展開に触れていますので、未見の方はネタバレにご注意ください。ネタバレしたからどうこうって映画でもないですが。

 

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園子温監督久しぶりのインディーズ映画にして、初の本格的なワークショップ映画でもある。園監督作品の大きな特徴としては、東日本大震災をきっかけに露骨になった反体制の精神と、それゆえの「既存システム」に対する破壊衝動が挙げられる。園監督作品では、いつもいつも役者が叫んだり走ったりして不条理な破壊を繰り広げているかのようであるが、しかしそれは本当に破壊なのか首をかしげるケースが多々ある。

本作『エッシャー通りの赤いポスト』も、そんな破壊衝動のみを拠り所に制作されていた。映画の内容を簡単に説明すると、とある新作映画のために芝居経験不問の出演者オーディションが行われ、そこに集う"変人"たちや、監督その他の映画に関わる人々の模様が並べられる群像劇になっている。オーディション結果は、映画業界における「既存システム」の介入によって理不尽なものになるが、撮影が開始されるとエキストラとして現場に集ったオーディション失格者たちが、「既存システム」を破壊せよとばかりに暴れ出す。

単純な筋だが、そこに数多くの登場人物のエピソードが付加されている。園監督がワークショップに参加した出演者51名と交流しつつ、人柄に合ったエピソードを足していくうちに脚本が分厚くなったらしいが、それで上映時間が約2時間半もあるのか。これは「エキストラでいいんか?」(劇中のセリフ)というテーマに沿ったものであろう。だが、大量の登場人物に同等のエピソードを与えたために、結果として全体が均質になってしまう弊害が発生している。

一例を挙げる。本作の中でインパクトのある存在は、たとえば「小林監督心中クラブ」であったりする。劇中でオーディションを行う映画監督・小林の熱狂的な女性ファン5人で結成され、全身を白で統一した服装で小林監督のテーマ曲をユニゾンしながら、縦一列に並んで歩く集団だ。非常にインパクトがあり、そのインパクトを持ってエキストラからの脱却のつもりなのだろうが、脚本のプロットとはほぼ無関係なために他のエピソードとの差異が示されず、ここまで奇抜なのに埋もれてしまっている。

パンフレットでの園監督のインタビューによると≪だいぶ前に一回だけ、俳優の事務所のワークショップみたいなものをやったことがあるんだけど、若者の夢を綿菓子のように食い散らかしてるだけみたいな気がして、どうせやるんだったら、お金を払って受講した分をちゃんとお返しするものにしたいと思った。≫と述べ、そのために実際に撮影現場を経験させてあげたいとの思いから、本作を撮ったという。「エキストラでいいんか?」の精神は、この思いとリンクさせてのものだろう。

今の映画業界における壊すべき「既存システム」の筆頭が、ワークショップという名の搾取の構造ではないだろうか。役者になりたいと純粋な夢を持つ人々を集めて、高い金を払わせて時間を拘束して、なんとなく自主的に参加してると錯覚するような演技指導っぽいことをやらせる。ちょっとばかしの達成感と引き換えに金を巻き上げるワークショップの問題点は、園監督が懸念している通りなのだろう。

だが園監督は、打開策として「映画を制作し、参加者に出演してもらう」という方法を取っている。これが致命的にズレている。今のワークショップは、実際に映画を制作して公開するまでセットになっているのが多数だからだ。ワークショップの締めとして映画を一本撮って、東京の小さいミニシアターの深夜に1週間くらい上映すれば、晴れて「劇場公開映画に出演経験のある役者」のできあがりだ。

ワークショップの最大の問題は、参加者から金を毟り取る対価として映画出演という既成事実を与えるために、副産物として誰も知らない劇映画がボコボコ誕生している点にある。参加者に映画出演の経歴をつけるのが最大の目的なので、ほとんど質は問われていない。関係者以外は誰も観ていないし、そもそも存在が知られていないのだから。なんとも不健全としか言いようがない。

ワークショップ参加者が思い出作りなどと割り切っているなら、まだ救われる。もちろん、主宰している側だって、良い作品を作りたいと真剣に考えているのも事実であろう。特定の悪人がいるわけではなく、その構造から自然発生してしまった「既存システム」こそを破壊しなくてはならない。それにしても、ユーロスペースやK's cinemaや池袋シネマロサに足げく通って、誰も知らないワークショップ映画を部外者の立場で数多く観てきた身からすると、関係者ばかりが集まった映画館のロビーで内輪でキャーキャー盛り上がっている人たちの未来を老婆心ながら心配してしまうわけだが。

ワークショップ映画の最高峰『カメラを止めるな!』の社会的ヒットが現状を打破するかと期待したが、「次はあなたの出演作がこうなるかも」と参加者集めの体のいい口実にされただけかもしれない。現に、『カメ止め』以降にヒットしたワークショップ映画があったか。『カメ止め』以外のENBUゼミナール制作の映画のタイトルをひとつでも挙げられるか。良質な作品はあっても(ここは強調するが、質の高いワークショップ映画もけして少なくない)、関係者以外は誰も観ていないので、まったく広がらずに埋もれてしまっている。

ワークショップの目的が「劇場公開映画に出演経験のある役者」の量産であれば、本作によって園監督が行ったことは、きわめて真っ当だ。「エキストラでいいんか?」と、51人のワークショップ参加者全てに見せ場を用意していて、しかも園作品という"箔"のおまけまでつく。注目度は万全で、少なくとも「誰も観ていない映画」にはならない。「園監督の作品に出演して、こんな変な役をやりました」という売り文句は、今後の役者活動にとっては有益かもしれない。

ただこれでは、たしかに現状の改善とはいえ、「既存システム」の破壊とは真逆の措置であろう。肝心なのは、作品そのものの質が伴わなければ、周辺事情がどうであれ、企みは失敗なのである。本作のラストでは、これまで鬱憤を貯めていた登場人物たちが撮影現場で暴れ回ってカオスな状況になるが、その撮影が最終的にどうなったかどうか、全く解らない(冒頭シーンが完成した映画の一部のようだが、どう捉えていいのか不明)。

『地獄でなぜ悪い』などもそうなのだが、園監督は破壊のみを目的としていて、再構築にはどうにも興味が無いのである。さらに本作の場合、破壊が成功したかどうかすら不明であり、ただ「私には破壊衝動がありますよ」と宣言しているだけだ。それでは単なる自己満足にすぎず、作品の質が問われる段階まで進めていない。そんな園監督の自己満足に突き合わされたワークショップ参加者の皆さんの未来に幸あれと願うしかない。
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