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【TV】『M-1グランプリ2021』---やたら相槌の多い上戸彩が気にならない理由

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テレビ朝日系列
2021/12/19 放送

 

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上戸彩って何だろう。いや、わざわざ疑問にするようでもないのは承知の上だが、それでも問いたい。たしかに上戸彩には多くのイメージ要素がある。国民的美少女の審査員特別賞なのにグランプリより人気が出た、『金八先生』でのセンセーショナルな役柄、ベッキーの親友、EXILEみたいな人を夫に選ぶ女(みたいな、じゃないけど)、あのオスカーに今でも所属している忠義の人、などなど。あるいは『あずみ』『半沢直樹』など出演作品と紐づいているかもしれない。日本人であれば誰もが、心の中に自分だけの「上戸彩像」を持っている。

しかし、今挙げた上戸彩のイメージの多くは、既に古い。上戸彩が新世代のトップスターであった時期をリアルで知らない若い人たちにとって、上戸彩のイメージで真っ先にくるのは『M-1グランプリ』のアシスタントではないだろうか。出産や育児もあるのだろう、たまに出演する単発ドラマと昨年の『半沢直樹』を除けば、ここ数年で上戸彩をTVで確認できるのは、おそらく『M-1』くらいなのだ。

『M-1グランプリ』において上戸彩に課せられている仕事は、優勝者発表直前の「今年も、CMの後です」など台本に書かれた進行のための文を読み上げるのと、出場芸人の漫才中に時おりインサートされる笑顔である。今年でアシスタントも8回目なので、どちらもソツなくこなしていた。ランジャタイの時は目を見開いたうえに大口を開けて笑顔+驚愕の表情を作っていたが、それでも顔が崩れないのは、さすが国民的美少女審査員特別賞である。

さらに上戸彩は、求められている以上の仕事をこなしている。意外にも、自分からよく喋るのだ。今田耕司など誰かの発言に何かしら一言付け加えることが多い。多いのは相手の発言の一部を繰り返すパターンで、たとえば今田耕司が「早くも半分の組が終了しました」と言えば、「早い」と一言入れる。この一言が、現場では助かるのかもしれない。

そして、これが今回の本題なのだが、上戸彩はとにかく相槌を打つ。芸人のネタについて審査員がコメントするとき、上戸彩の「へー」とか「ふーん」という声がずっと入っている。何か面白いことを言ったら「ハハハハハ」と笑う(上戸彩は「ハッハッ」と弾けるような特徴的な笑い方をする)。TV番組のアシスタントのポジションの人で、ここまで相槌を打つのは珍しい。

このため、少しおかしな状態になる。オール巨人とかが漫才の技術的な部分をコメントしているとき、反応しているのは上戸彩だけのように、視聴者には思えてしまうのだ。審査員に論評されている若手芸人が相槌を打つのは状況からして無理だろう。ちゃんと拝聴していますよという表情の顔になっているだろうが、カメラはその芸人を映さない。結果、オール巨人のコメントに感銘を受けているのは上戸彩だけ、という謎の図式になる。

ラジオのアシスタントだと、こういう相槌は必須なんだけど、TVでは稀である。さらには、こんな異様な状況なのに、出演者も視聴者もまったく気になっていないのだ。それが一番気になる。通常だったら耳障りとされかねない相槌の連打も、上戸彩ならばスルーされる。それはなぜなのか。

冒頭で述べたように、上戸彩なる存在は、全盛期を知っている人と知らない人でイメージが異なる。全盛期を知っている人ならば、その後にほとんどゴシップが無い(結婚も好意的に受け止められた)がゆえ、トップスターのイメージが今でも残っている。スターが反応してくれるのはありがたいことだと無意識に許容するのは当然だ。一方、全盛期を知らない人にとって、上戸彩とは『M-1』の人だ。『M-1』の人が『M-1』で何をしようと、これまた無意識に許容する。

けっこうな数量の発言や相槌により、上戸彩は番組中で意外と自己主張が強いのだが、視聴者からは上戸彩の印象はほとんど残らない。かしこまった論評からアクセス数稼ぎの駄文まで、『M-1』関連のネット記事が今年も乱発されたが、上戸彩を俎上に上げたものがいくつあったか。ここまで視聴者から意識されないのは、前段で述べたように上戸彩が「無意識に許容」されているからだ。

上戸彩がインパクトのある話題を世間に提供しない限り、今後も年末に『M-1』が放送されるたびに、「上戸彩と言えば『M-1』」というイメージは上書きされて強固になっていくであろう。この状態が続けば、「『M-1』と言えば上戸彩」と、主従が逆転する可能性もある。上戸彩と『M-1』は、イコールで結ばれつつある。そんな未来が間近に来ている。
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