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【邦画】『プリテンダーズ』感想レビュー--カメラが捉えることに成功した"世界"は、とても無慈悲な姿だった

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監督&脚本:熊坂出
配給:ガイエ/上映時間:117分/公開:2021年10月16日
出演:小野花梨、見上愛、古舘寛治、奥野瑛太、吉村界人、柳ゆり菜、野田あかり、村上虹郎、津田寛治、渡辺哲、銀粉蝶

 

注意:文中で中盤以降の内容に触れていますので、未見の方はネタバレにご注意ください。

 

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熊坂出監督の映画は、デビュー作の『パークアンドラブホテル』と、『人狼ゲーム』『人狼ゲーム ビーストサイド』の計3作を過去に鑑賞している。その3作のみでの印象だが、とにかくカメラワークに意識的な人なのだろうと想像できる。固定カメラと手持ちカメラの使い分けに始まり、手持ちであればカメラを縦横無尽に動かし、役者の顔を極端なアップで撮ったりと、多分に撮影方法に意味を含ませているのが手に取るようにわかる。

固定カメラによる技巧は『人狼ゲーム』2作の不条理演出によって堪能できるが、今回の本題である『プリテンダーズ』はほとんどを手持ちカメラで撮影している。『パークアンドラブホテル』でも人物の周りをカメラが飛び回るように撮影されているシーンが何度かあるが、『プリテンダーズ』では、さらにエスカレートしてグワングワンと動き回る。完全に画面がブレている状態になってるところさえある。

撮影監督はドキュメンタリー撮影のベテランである南幸男という人。パンフレットのインタビューによると、細かいカット割りやサイズなどは事前に決めず、本番が始まったら現場にパッと入って撮影するような感じでと熊坂監督から指示されたという。それゆえドキュメンタリーの手法が多分に含まれ、劇映画としてはかなり異質なカメラワークが何度も登場する。

映画は高校の入学式のシーンから始まる。「前ならえ!」の指示に従わずあらぬ方向に手を広げたり突然歌い出す新入生・花田花梨(演:小野花梨)。教師(演:津田寛治)は、花梨を含む10名ほどを体育館に居残りさせて、何度も「前ならえ!」をさせるが、花梨は絶対に応じない。後ろでは、父母の中でひとり残った花梨の父・寛治(演:古館寛治)が、異常な事態を眺めている。

このシーンでもカメラはグワングワンと縦横無尽に動き回る。教師は途中で父親の元に行き、花梨も最後には歩き出すのだが、役者以上にカメラのアグレッシブな動きに意識を奪われる。体育館の室内を360度全て映しているので、他のスタッフがどこにいるのか疑問になるほど。1度目の鑑賞後は、長回しでワンカットのように記憶していたが、2度目の鑑賞時にて何回かカットを割っていたことに気づいた。長回しで一気に撮影して、あとから足りないカット(顔のアップなど)を追加で撮影し、編集で間に挟んでいったらしい。

そんなワンカット長回し風のシーンだが、印象として残るのは、白熱した演技を見せる小野花梨や津田寛治ではなく、後ろのほうで呆然と眺めている古館寛治や、理不尽に付き合わされている他の生徒たちである。特定の個人を追いかけるドキュメンタリーでは、その人物が存在する空間全体を捉えるのが常だが、その手法を劇映画で行っている。これが本作最大の独自性だ。

入学式から2年後、引き籠りなのに口ばかり達者な花梨は父親から勘当され、同級生で親友の風子(演:三上愛)が一人で住むアパートに転がり込む。「渋谷は世界だ」という風子に連れ出されて電車に乗っている中、具合の悪そうな男性に席を譲り、そこで感じた優越感に涙する花梨。その優越感を他の人にも味わってもらいたいと、花梨は足や目の不自由な人のふりをして道行く人に助けてもらい、その様子を隠し撮りするという行為を始める。

「ふりをする」という意味の英単語から「プリテンダーズ」なる名前で活動を始める花梨と風子。引き籠りサイトで仲間を募り、道端で血を吐いて倒れて通行人に助けてもらうとか、足の取れたゾンビとか電車に乗ってくる半裸の男の集団とか、いわゆる街頭劇を仕掛けては周囲の人の反応を含めて動画を撮る。ただし花梨自身は動画を非公開にしていて、それらをSNSで拡散するのは何も知らない通りがかりの人たちである。

花梨は「フィクションで世界を変える」とか「嘘でも誰かを幸せにしたい」とか青臭いことを主張するが、結局は自分の仕掛けがネットでバズることに快楽を得るのみ。そして、世界と戦っているつもりの小娘の過剰な自意識など簡単にへし折られてしまうのが映画の後半。非公開の動画はWEB雑誌の編集者(演:奥野瑛太)に知られ、そこから一転して世界から悪意の矛先をこれでもかと向けられる。この後半の展開は、あまりに悲痛であり、目を背けたくなる。

なぜ、目を背けたくなるのか。それは、フィクションの世界では正しいのだと我々が信じてきたものが簡単に否定されたからである。個性を押し通すこと、社会に迎合せず反発すること、オリジナリティのある主張を持つこと、楽天的で享楽的であること、そして何より若い女性であることが、何ら世界には通用しない無価値なものであると突きつけられる。特に低予算の邦画では、エキセントリックな若い女性であるだけで全てを肯定される傾向があるが、本作は非常にショッキングな描写によってそこに異議を唱えたのだ。

雑誌記者から最後通告を告げられ、全てを失うことが決定した花梨。その直後のシーンで、本作におけるカメラワークの真骨頂が見られる。実は非公開動画を雑誌記者に教えていた風子から「おまえごときの肩に世界は乗っかってねえよ」などと責められるワンカット風の長尺のシーンなのだが、それをゲリラ撮影しているのが渋谷スクランブル交差点の片隅で、周囲には何も知らない一般人が大量にいるのだ。2人の若き女優が大声で叫び合う迫真の演技が、南幸男のグワングワンと動き回るカメラであらゆる方向から捉えられるが、やはりここでも役者の後ろに移り込む、チラチラと様子を伺いながらも無関心を装う一般の人々のほうに意識が向く。

このシーン、まさに「プリテンダーズ」が劇中でやっていたのと同じようなことをしているのだが、若い女2人が白昼の街中で大声で怒鳴り合っているにもかかわらず、誰もが見て見ぬふりをしている。動画を撮ってSNSで拡散してやろうという人なんていやしない。それこそが世界のリアルであるが、映画館の座席に座ってフィクションの中に身をうずめている最中である我々観客は、そのリアルを素直に受け止められない。

このシーンでの被写体は、花梨でも風子でもない。その後ろに映る渋谷という街そのものであり、序盤の風子の言葉を借りるのならば、渋谷イコール"世界"こそが被写体である。カメラを向けられている"世界"は、なんとも無慈悲で冷酷な姿を晒している。別にゲリラ撮影事態は映画の歴史からすれば珍しいものでもないし、渋谷スクランブル交差点の登場する映画だって山のようにあるが、それをドキュメンタリーの手法を交えることで"世界"として提示したのが画期的だ。

正直、欠点を挙げようと思えばいくらでも挙げられる作品ではある。現実的に考えて「そうはならないだろ」という展開が多く、それによって興味が失せる人もいるかもしれない。「プリテンダーズ」の活動がたいして面白くないし完成度が低く、それゆえ拡散されるのが不自然なのは、たしかに引っかかる点である。だがそれらを認めた上でも、"世界"をスクリーンに映し出すことに成功したただ一点を持って、本作の価値は充分にあると思えるのである。
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ちなみに、熊坂出監督の『人狼ゲーム ビーストサイド』は和製スリラーの傑作だと思っている。

yagan.hatenablog.com

 

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