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【邦画】『空蝉の森』ネタバレあり感想レビュー--酒井法子の「存在を認識されない苦悩」を最良のお膳立てによって引き出してくる野心作

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監督:亀井亨/脚本:亀井亨、相原かさね
配給:NBI/上映時間:117分/公開:2021年02月05日
出演:酒井法子、斎藤歩、金山一彦、池田努、長澤奈央、角替和枝、西岡徳馬、柄本明

 

注意:文中で終盤の展開に触れていますので、未見の方はネタバレにご注意ください。

 

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あの酒井法子主演映画がひっそりと公開されていた。撮影は2014年だが事情によってお蔵入りの危機にあり、7年の月日を経てやっと公開に漕ぎつけたらしい。あまりの遅れに出演していた角替和枝は公開を待たずして亡くなってしまった。まあ、角替和枝が公開を待ち望んでいたかは知らないけど。別に主演がのりピーだから遅れたのではなく、制作会社の倒産などが原因らしい。2014年の時点では、酒井法子は公の場にも復帰しているし、俳優活動をしても問題ないわけで。

映画のタイトルを軽くネットで検索しても、出演者にギャラが支払われていないなど舞台裏の散々な模様が見つかるのみ。宣伝活動がされていないのはまだしも、公式パンフレットにすら監督も出演者も一切のコメントが無いのはさすがに異常。映画の関係者でコメントを寄せているのは主題歌を担当した大黒摩季のみで、『碧いうさぎ』のバックコーラスだったという話は貴重だが、それにしても寂しすぎる。

公開してもなお存在が無かったかのように扱われており、「まるで映画自体が"空蝉"のようだな」なんて上手いことを言いたくなるがそれも無意味なので(まず、そんなに上手くもない)、作品自体はどんな感じかと観に行った。そしたら、まさに存在が他者から認識されない女性の苦悩を描いた作品で、図らずも作品自体の世間での扱いとリンクしていたのだった。まさか、宣伝活動しないのが逆にパブリシティの一環なのかと、ちょっと疑ってしまうほどに。

さて、簡単なあらすじ。舞台は静岡県の小さな町。行方不明だった加賀美結子(演:酒井法子)が突如として戻ってくるが、夫の昭彦(演:斎藤歩)は「妻は偽物だ」と警察に訴える。なんとか偽物の証拠を暴きたい昭彦と、本人だと訴える結子、そして警察の失踪課(そんなのある?)の假屋(演:柄本明)など周囲の人々の様子が展開されるミステリ仕立てになっている。

とにかく驚いたのが撮影と照明で、山奥でレインコートの人物が死体を埋めるための穴を掘る冒頭シーンからずっと同じ雰囲気を保っており、重苦しく張り詰めた空気感を一度も乱さず最後まで押し通している。屋外だろうと屋内だろうと、どんな場所でも同じ空気感を保つのは、けっこう難しいと思うのだが。足場の悪そうな山奥のシーンでも豪快かつ自然にカメラが動いていて、熟練の技が垣間見える。

そのような、技術班の力によって作り上げられた最高の舞台に、適度に地味で胡散臭い役者陣を配置することで、張り詰めた場の空気に拍車がかかる。なかでもやはり柄本明の力量は見応えがある。このような低予算の映画での柄本明は暴走してメチャクチャをやりがちなのだが、本作ではきちんと演出で押さえ込んでいて、なかなかの重厚さであった。一度も白目を剥かなかったし。ラストで例のヒーヒー泣く過剰演技をやっちゃってたけど、一ヶ所だけだし。

あと役者では、酒井法子を自分の妻ではないと疑う斎藤歩のギリギリ非現実にならない程度の狂い方も素晴らしかった。声の抑揚が少し変だったり、微妙に口角の曲がる口元や微妙に焦点の合っていない目に、あまり親密になりたくないなと思わせるヤバさが宿っている。キャラ設定上は複数の女性と不倫したり妻に暴力を振るったりする嫌なやつなのもあり、観客は肩入れするのを躊躇われ、酒井法子が本当の妻なのか別人なのか、判断を難しくさせる。

ここから先はネタバレを少し含みます。実は酒井法子は整形手術によって顔を変えた成りすましであり、刑事の柄本明と共謀して斎藤歩を追い詰めようとしていると、中盤あたりで明かされる。斎藤歩は昔からカメラで家の中を監視していて、その映像を傍受して本当の妻の様子を知っていた柄本明が、妻であるかのように酒井法子に演じさせていた。そんな一応の注釈はあるものの、ミステリとしての疑問は複数ある(なぜ酒井法子の弟は行方不明から戻ってきた姉に一度も会いに行かないのか、など)。

だが本作は、そういう論理的な部分に重きを置いておらず、あくまで演出による空気感による表現をメインとしている。技術班と脇の役者によって創造された重々しい舞台の中央に、やつれた細い線の酒井法子がポツンと佇んでいる。その空間状況によって、誰からも固有の人物として認識してもらえない存在(タイトルにもある空蝉=蝉の抜け殻が解りやすくメタファーとなっている)の苦しさを訴えてくる。

この状況は、現在の(撮影は7年前だけど)酒井法子自身ともリンクしている。刑期は終わっているので犯罪者と罵るのは間違っているが、かといって清純派の過去を持つタレントとして接するのも難しい、そんな扱いに困る状況。酒井法子は、演技や歌で突出的な才能を持っているというよりは、存在そのものがスターだったわけで、過去にしてしまった一部だけを無視して扱うのが困難なのだ。そのため、周囲にとっては触れないのが最良の選択肢になってしまう。

酒井法子の「存在を認識されない苦悩」が、本作におけるお膳立てによって最良の形で引き出されているのは見ものだ。正直、この映画のラストは、意味がよく解らない。肝心なところで酒井法子のセリフが聞き取りづらいのも一因ではあるが、それにしたってなんで山奥の廃屋でひとりあんな謎の動きをしているのか。だがそれも、劇中での役柄としての「存在を認識されない苦悩」と芸能人・酒井法子自身の「存在を認識されない苦悩」が重なり合うことで、なぜか説得力だけはビンビンに感じてしまい、圧巻なのである。
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