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【邦画】『脳天パラダイス』ネタバレあり感想レビュー--計算高く脈絡を排除するのは本当にデタラメな世界なのか

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監督:山本政志/脚本:金子鈴幸
配給:TOCANA/上映時間:95分/公開:2020年11月20日
出演:南果歩、いとうせいこう、田本清嵐、小川未祐、玄理、村上淳、古田新太、柄本明

 

注意:文中で終盤の展開に触れていますので、未見の方はネタバレにご注意ください。ネタバレどうこうって作品でもないですが。

 

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東京郊外で暮らす笹谷一家だが、父・修二(演:いとうせいこう)の借金によって大豪邸を手放すことになり、引っ越し作業を進めている。娘・あかね(演:小川未祐)は生気の抜けた表情の父に愛想をつかして「今日、パーティーをします」とTwitterに投稿する。すると、修二と別れた元妻で、あかねらの母・昭子(演:南果歩)を始め、様々な人々が集まり、自宅の豪邸は次第にカオスな状況となってくる。

と、このあらすじを読んだだけなら「なるほど、非日常などんちゃん騒ぎを経て家族が再生する話なのだな」と誰もが思う。しかし、そんなことにはならない。中盤、自宅のリビングでヤクザ集団が賭博を始め、修二は自宅にあった高価な壺を賭ける。ここで観客は「ああ、ここで大勝ちして家を売らなくて済むようになるか、負けたとしても何か金とは違う大切なものに気づくのだろう」と展開を予想するが、ただ負けて壺を取られて終わり。どんちゃん騒ぎから距離を置く父が物語に積極的に関与するのはここくらいなのだが、一切のカタルシスは発生しない。

本作において、物語の説明は無意味であるが、その無意味さを明らかにするために、劇中の挿話をひとつ挙げる。ブランコから降りられなくなった少年・ススムは、木の棒になってしまう。ススムの母は棒を持って豪邸に辿り着き、そこで野良猫から「常滑の湯をかけろ」と言われる。ススムの母は一旦死んで、ススムの友達のアヤメが棒を持って豪邸の中を彷徨う。そして風呂の中に棒を投げ入れたところ、ススムと湯の中に沈んだまま行方不明だったイサムが現れる。

入浴剤の名前が「常滑の湯」だったのだが、そんなのはオチにもならない。このようなデタラメな挿話がただただ並んでいるのが本作である。血しぶきの中の結婚式、"白い粉"が舞い散る葬式、同時多発的に行われる性行為、モンスターと動く石像のバトル、南果歩の唐突なワイヤーアクションなどなど、互いに脈絡のない挿話が脈絡なく並んでいるのみだ。

雑誌インタビューなどでの、山本政志監督やいとうせいこうの発言から明らかなように、本作は泣くポイントまで懇切丁寧に説明された解りやすい物語へのアンチテーゼであり、このデタラメさは明らかに意図的である。そのため、なるべく脈絡が発生しないように、たとえ脈絡があったとしてもなるべくデタラメなくっつけ方になるように、あちこちで苦心されている。

一晩かけてのパーティーが終わった後には、(広い意味で)家族関係に当たる者だけが偶然的に残り、記念写真を撮る流れになる。あわや家族再生の話としてオチをつけるのかと思いきや、シャッターが下りる瞬間に無関係の柄本明がカメラの前に現れて台無しにする。最後の最後まで脈絡の排除には気を抜いていない。こうして創り上げられたデタラメさがあってこそ、特にミュージカルシーンなどから享楽ゆえの高揚感を産み出しているのだ。

ただ、ここまで計算高く創作されたデタラメさは、本当にデタラメなのだろうか。宮藤官九郎のように全てを計算高く繋げて脈絡まみれにするのと、計算高く脈絡を排除するのは、ベクトルの正負が逆なだけで結局は同じではないか。どうも鑑賞中は、脈絡を排除するための計算能力が際立ち、ドラッグ的な高揚感よりも作り手への関心が先に立ってしまったのだが。つまり本作は、「無作為にするための作為」が高度ゆえに目立つため、却って作品世界は平板になってしまうジレンマを抱えているのである。
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