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【邦画/アニメ】『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』ネタバレあり感想レビュー--キャラの輪郭線を強調して複数レイヤーの世界だと割り切る斬新な手法

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監督:外崎春雄/脚本制作:ufotable/原作:吾峠呼世春
配給:東宝、アニプレックス/上映時間:117分/公開:2020年10月16日
出演:花江夏樹、鬼頭明里、下野紘、日野聡、平川大輔

 

注意:文中で物語の内容に軽く触れていますので、未見の方はネタバレにご注意ください。

 

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2020年は、世界史のうえでも特異点のような年であり、従ってどんなめちゃくちゃが起きても構わないし、むしろ痛快だと感じてしまうわけである。TVアニメの劇場版がひとつのシネコンで1日40回上映なんてのも、そのひとつであろう。平時であれば蛮行だと非難されるべきかもしれないが、まだ現状は世界の均衡が壊れた非常事態の真っただ中だ。今だから許される悪ふざけは、やっておくに越したことはない。

そんなわけで、祭には積極的に参加したほうが人生は充足するという考えのもと、『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』を公開初日のIMAXシアターにて鑑賞してきた。平日朝の有楽町だったので子供の姿は無かったが、客層は全体的に若く、男女比は半々くらい。スーツ姿の男性を複数確認したが、そのまま仕事に向かうつもりだっただろうか。上映後にあちこちから「感動した」「泣いちゃった」と満足そうな声が聞こえてきたのは、素直に喜ぶべきだろう。

さて、社会現象レベルで大ヒット中の『鬼滅の刃』だが、ボクは漫画にもアニメにもほとんど接してこなかった。一応、先週のフジテレビで放送されていたアニメ序盤のダイジェストを見たので、主人公とヒロインのプロローグは知識として入っているが、ほぼそれだけ。なので物語についてここで述べるのはおこがましいのではないかと躊躇してしまう。

今回の劇場版でちょっと引っかかったのは、主人公の仲間である主要なキャラクターにおける出演時間の配分が偏っている構成なのだが、聞けばこのエピソードは原作における本編の一部らしい。この手のアニメ劇場版って、オリジナルの話を作るか、そうでなくても原作の本筋から枝分かれして独立したエピソードを採用することが最近は多いのだが。たしかに本編の一部であれば、キャラクターの活躍の度合いなどにも、ある程度の制約がついてしまうのかもしれない。

具体的に「夢の中に囚われる話」について過去の名作映画などと比較したりするのは誰かがやるだろうし、そうなると物語について自分が語れることは無いので、それ以外で気になったことを。キャラクターの絵についてなのだが、一番外側の線が妙に太い。フォトショップのレイヤースタイルでアウトライン(輪郭線)を黒で塗りつぶした感じなのだが、えーと、意味は伝わっていますかね。

原作準拠なのか解らないが、キャラクターの主線は、一本の描くのにかなりの強弱をつけて太さを変化させている。そのため手描きを思わせるタッチなのだが、一番外側をより太く描いているので、そこだけ機械的な印象を受けて違和感がある。キャラ造形より優先して外側のアウトラインを強調しているため、なんだか背景から独立しているみたいなのだ。

最近のアニメは、作画技術の向上とともに、実写と見紛うような緻密な背景が採用されることも多い。だがここで新たな問題が発生していて、緻密な背景画とアニメキャラクターの絵がマッチしておらず分離しているように見えてしまうことがある。特に映画館の大きなスクリーンでかかる場合は、その違和感が目立ちがちだ。

それでも最近は作品ごとに解決法を見出しているのだが、そのひとつが「アニメキャラクターのほうも緻密にする」であろう。背景とキャラを同じタッチで描く方法の他に、細い線を何本も使ったり、秒当たりの枚数を増やすなど、キャラクターの作画に別方向の緻密さを与えて、背景との差異を紛らわす方法もある。だがこれだと、単純に作画の労力が半端なくなり、京都アニメーション並みの実力が必要となるのだが。

本作『鬼滅の刃』も御多分に漏れず緻密な背景を採用しているのだが、太いアウトラインのせいで、キャラクターが背景から浮いているみたいだ。完全にレイヤーが分かれているようで、昨今の風潮とは真逆である。だがこれ、わざとかもしれない。最初から「この世界は複数のレイヤーで構成されているのだ」と主張することで、違和感を違和感ではないと主張する、高度な作戦ではないか。

複数レイヤーの主張が意図的であると確信したのは、必殺技を用いた時だ。主人公は水の力を使うらしい(よく知らないので適当な説明です)のだが、そこで繰り出される水の描写は、キャラクターよりも更に主線の黒が太く、あとは青と白のベタ塗りを用いている。漫画的というか浮世絵を想起させるほど戯画化された「水の描写」だ。川のシーンなど、劇中では他にも水は出てくるのだが、明らかに必殺技で出てくる水とは別物だし。同様に、何かを燃やしている火と、キャラクターが技として繰り出す火も、まず画材からして違うみたい。

複数レイヤーのような違和感を消すために、複数レイヤーのような世界なんだと割り切るなんて、こんな逆転の発想があるのかと驚いた。なお、この手法の成果が最も現れるのは、いわゆるギャグシーンであろう。ギャグ展開になったときにキャラクターの作画を極端に簡単にする(目を点、口を棒にするような)ことがあるが、これを挿入することでシリアスな内容をぶち壊しにしてしまうことが多々ある。でも『鬼滅の刃』の場合、このギャグ絵もまた別のレイヤーなんだと納得することができる。なるほど、これはちょっとした発明かもしれない。

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