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【邦画】『劇場』感想レビュー--観た人が自分語りをしたくなってしまう共感搾取装置も必要である

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監督:行定勲/脚本:蓬莱竜太/原作:又吉直樹
配給:吉本興業/上映時間:136分/公開:2020年7月17日
出演:山崎賢人、松岡茉優、寛一郎、伊藤沙莉、上川周作、大友律、井口理、三浦誠己、浅香航大

 

注意:文中で直接的な後半のネタバレはしていませんが、未見の方はご注意ください。

 

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映画『劇場』は、観れば誰もが語りたくて仕方なくなる作品である。小劇団に関わった経験があったり、知人に売れない劇団関係者がいれば、登場人物の属性と絡めて実体験を誰かに披露したくなるだろう。そうでなくとも、肥大した自意識によって醜態をさらす主人公からは、多かれ少なかれ自らのイタい過去を記憶から引っ張り出され、共感を得るのは当然だ。過剰な自意識なんて、程度の差はあれど万人が持っているものなのだから。

劇場(新潮文庫)

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  • 作者:又吉直樹
  • 発売日: 2020/02/14
  • メディア: Kindle版
 

 

この映画を一言で表せば、共感搾取装置である。売れない小さな劇団主催者にありがちとされる性格設定の男を主人公にして、共依存を思わせる恋人との恋愛エピソードを並べる。いかにもなダメ男女の関係性を見せつけられれば「あー、わかるわかる」と共感させるのは容易いであろう。それだけを目的に作られているかもしれない。

エピソード自体はマンネリではなく、かといって特段に尖っているわけでもなく、オリジナリティはあるが想像の範疇からはギリギリ出ないような、絶妙のラインを突いている。常識から外れているのは冒頭の男女の出会いの部分くらいか。原作を読んでいた時は、けしてハミださない守りに入った姿勢に物足りなさを感じたが、映像によって立体的に具現化されると生々しさが際立つ。何より主演2人のきめ細かい演技力によって、どうしようもない恋愛エピソードが輝かしいものに錯覚してくる。

たとえば、主人公と同棲している彼女の実家から食べ物が送られてくるシーン。彼女が「お母さんがね、小包送っても半分は知らない男に食べられると思ったら嫌だって言ってた」と軽口のつもりで言う。ここで主人公のしていたTVゲームの音が消える。「俺、沙希ちゃん(彼女の名前ね)のオカン、嫌いやわ」とマジトーンで言い返す主人公。ここで外を走る車の音が入り、一瞬の静寂。彼女は「ダメだよ、そんなこと言っちゃ」と両親の大変さを熱弁するも「ごめんね。私の言い方が悪かったよね」と謝る。そしてすぐに彼女は明るくおどけるが、主人公は「わざわざ言うなんて性格悪い」と蒸し返す。彼女の2度目の「ごめんね」のあと、ヤカンの湯が沸く音が鳴る。

彼女を演じる松岡茉優が、明るく振舞ったりしおらしくなったりと秒単位で演技を変化させて戸惑いと焦りを演出し、その場の緊張感を創り上げている。さらには効果音が挿入されるタイミングに計算の高さが伺える。全体がこんな感じで細部までこだわった演出になっており、状況だけならダメカップルの単なるバカエピソードが、さも重大なものとして提示され、観客の脳裏から語りたくなる過去を掘り起こしてやろうと共感を仕掛けてくるのだ。

共感搾取装置というのは悪口でも何でもない。自分語りってのは心地よい娯楽なのだから、推奨されて然るべきである。でも、いきなり自分語りを始めると「なんだコイツ」と周りから敬遠される。そうならないために話のきっかけとして利用されるためにあるのが、映画『劇場』だ。映画の感想だと前置きしておきながら自分の経験談ばかり話す人、いるでしょう。そういう人にうってつけであり、必要とされているジャンルなのだ。

こうして人々の共感を得るのと引き換えに映画のタイトルを口に出すことが増え、ネット上でも感想という名目の自分語りが溢れて、結果として盛り上がるのならば、別にいいではないか。置いてけぼりにされるのは搾取される共感すらないような薄い人生を歩んできたごく一部の人たちだけなんだし。時代や時間経過が解りづらいとか、印象的に明示される東京の地名が物語にあまり作用していないとか、技巧面で気になるところはあるが、そんなの小さなことだし。

ちなみに、個々のエピソード単体では原作小説に割と忠実だが、もちろん尺の都合もあるので、いくつかカットされている。たとえば、肥大した自意識の爆発が頂点に達した元劇団員との長文メールの応酬は丸々削られている。個人的には小説の最大の見せ場だったので映画でも観たかったが、圧倒的な文字量という小説ならではの表現方法であったためかもしれない。あと、全体を通して主人公の恋愛とは直接関係ないエピソードはカットされる傾向にある。

最後に、これだけは触れなければいけない件について。実は、ラストに付け加えられた映画オリジナルの演出がある。ネタバレになるので具体的なタイトルは避けるが、過去作品にもある珍しくない手法ではある。ただ、なぜ本作でこれをやろうとしたか、よく解らない。原作に忠実な物語の最後でこれをやっちゃうと、原作に対する強烈な批判のようになってしまうのだが。職人監督に徹して共感作主装置の作成に加担していた行定勲監督の反骨精神が最後に発揮されてしまったってことなんだろうか。

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