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【邦画】『私がモテてどうすんだ』感想レビュー--逆ハーレム状態ながら恋もせず欲望に正直なままのヒロインは現代的である

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監督:平沼紀久/脚本:吉川菜美、福田晶平、渡辺啓、上條大輔、平沼紀久/原作:ぢゅん子
配給:松竹/上映時間:90分/公開:2020年7月10日
出演:吉野北人、神尾楓珠、山口乃々華、富田望生、伊藤あさひ、奥野壮、上原実矩、坂口涼太郎、水島麻里奈、ざわちん、中山咲月、優希美青、宮崎秋人、戸田菜穂

 

注意:文中で中盤以降の展開に触れています。未見の方はネタバレにご注意ください。

 

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少女漫画が原作の映画『私がモテてどうすんだ』は、太った腐女子オタクの女子高生が急に激ヤセして超絶美人になったためにイケメンどもが寄り付いてくるという、設定だけ抜き出したらルッキズムの極みのような酷い話に思える。実際、冒頭からしばらくは、ルッキズム至上主義をポップに装飾したような、不快な展開が続く。だがそれは本当に最初だけである。

普段は学校のイケメン同士のBL絡みを妄想している腐女子オタクの芹沼花依(富田望生)は、推しのアニメキャラが死んでしまったためにショックで部屋に引き籠り、食事も喉を通らない。そして一週間後に部屋から出てきたところ、激ヤセして見た目が超絶美人(山口乃々華による二人一役)になっていた。こうして文章で説明するまでもなく、突拍子も無い話である。冒頭にこんな非現実な展開を用意することで、ここから先は何が起こっても「まあ、そういう世界観だし」と納得させられるように構成されている。

超絶美人状態の花依が久しぶりに学校に行くと、今までは脳内妄想しているだけで接点の無かったイケメン3人に次々と一目惚れされる。そのたびにCGのハートマークが出る親切設計だ。唯一、花依も所属する史学部の部長・六見悠馬(吉野北人)だけは以前と変わらず接してくれるのだが。全体を通して六見は「容姿に惑わされていない」ポジションを保っていて、ルッキズム至上主義へのアンチとして機能している。

なぜか六見を含めて4人同時デートをする羽目になる花依は、BL趣味を隠そうとするも、アニメイト池袋店で発売されていた限定グッズの誘惑に勝てず、推しの抱き枕を抱えて「リアル何てクソゲーだ」の一言を残して去る(このあと、もう映画は終わりだとエンドロールが流れるが途中で遮られる。このエンドロールギャグ、最近よく見る)。しかし花依の美貌に心を奪われたイケメンたち(六見を除く)は、BL漫画を熟読したりして、なんとか花依を理解しようと躍起になる。

一方、超絶美人状態の花依は演劇部から次の舞台でヒロインをやってくれと懇願される。しかし色々あって元の体形に戻ってしまい、役を下ろされそうになる。超絶美人の見た目に心を奪われているイケメンのうち2人は、もう一度あの姿になってくれと花依に無茶なダイエットをさせるが、五十嵐裕輔(神尾楓珠)は「本当にそれでいいのか?」と悩み出す。六見は遠くから見守るのみ。

しかし花依が「ヒロインを引き受けたのも私、太ったのも私」「いつも中途半端だったから、ちゃんと成し遂げたい」と、再び痩せることを宣言する。つまりプロット上は、必死で痩せる展開は花依の意志であってイケメンたちのルッキズム主義が原因ではないとするために、演劇部の件を利用しているわけね。たしかにストーリーテリングとしては巧く、脚本に5人(!)もクレジットされているとは思えないくらいまとまっている。

ただ、これだと最もルッキズムに毒されているのは演劇部になってしまうのだが。この後も演劇部は物語の展開のために都合よくルッキズム主義を背負わされてしまっている。最後まで演劇部だけは花依の容姿にこだわったままなので、部長役の坂口涼太郎(『ちはやふる』のヒョロ)によるせっかくの熱演も虚しくなってしまうのがなあ。あと、ざわちんは邪魔。

さて、ここからはイケメンたちがバックハグや壁ドンなどBL仕草を見せつけてダイエットする花依にやる気を出させるパートに入る。もちろんここはずっと富田望生が花依を演じている。意外だったのだが、花依役の2人の役者の映画の中での出演分量、印象としては、ほぼ等しい。で、結局イケメン達って、花依の欲望のためにいいように利用されているだけなのだ。惚れた弱みというよりも、美人にのこのこ近づいていったらエラい目にあった、みたいな感じ。

イケメン側の視点だと、ある種の寓話によってルッキズムに対するひとつのカウンターを示しているように思える。あえて身も蓋もない言い方をすると、容姿で選ぶとロクなことないぞ、と。一方、花依の視点から捉え直すと、まったく別の物語が誕生する。この二重構造がよくできている。

話を冒頭に戻す。超絶美人となった花依はイケメン達からデートに誘われる。ここでテーマ曲とともにポップなミュージカルが始まる。富田望生と山口乃々華がダンスをしながら何度も入れ替わる中で、この状況に対する花依の戸惑いが示される。そうこれ、花依にとっては急な状況の変化に戸惑っているだけなのだ。イケメンに囲まれる最高の日が来るなんて、ではなく、太っていたときは相手にもしなかったくせに、でもない。

花依自身は逆ハーレム状態に対して何も感慨がないし、そもそも自分の美醜についても何とも思っていない。花依が戸惑う一番大きな理由は、BL妄想の相手が自分に気づいて好意を見せてきたからだ。イケメン達の中に女である自分が入り込んだらBLではなくなってしまう、というBL原理主義的な思想で、タイトルの「どうすんだ」は、ここを表している。

傍観者であった花依は、こうして物語の当事者となってしまったあとも、ひたすら自分の欲望を押し通す。容姿に惑わされ狂わされたイケメン達は、そんな花依に合わせるしかなくなる。コミュニケーションは常に一方通行だ。そんな不健全に引っ掻き回された状況を第三者から指摘された花依は、初めて自分から動き出し、イケメン達との歪な関係性を清算しようとする。

つまりこの映画、花依の視点だと、どうしようもなく自分が影響力を持ってしまった世界に折り合いをつける話なのである。しかも驚くのは、花依は最後まで誰にも恋愛感情を発生させない。それより何より自分の好きなものを迷うことなく選ぶのだ(というより、他の選択肢に思い当たることすらない)。少女漫画のヒロインとしては画期的であろう。状況を俯瞰的に見ていた六見からは花依の狙いを見透かされて、作戦は一時的に失敗するが、そんな六見も花依の意思を尊重して身を引く。

※ 実はこの映画、エンドロールのキャスト順では六見役の吉野北人が最初で、花依の見た目に拘る自分に最初に違和感を覚える五十嵐役の神尾楓珠が2番手、続いて花依役の2人が並び、その後に残りのイケメン役の2人だ。どうやら六見が真の主人公らしい。なるほど、それだと色々と辻褄が合う。

ラストの展開まで含めて、自分の欲望に忠実な花依と、惚れた女に狂わされるイケメン達、という構図は変わらない。環境が変わろうとも自分を頑なに変えない花依に対しては、成長していないとの批判もあるだろう。だが、イケメンたちによる逆ハーレムという少女漫画の黄金パターンを持ち出しながら、当たり前のように既存の価値観を無視する本作には、大きなメッセージ性がある。

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