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【邦画/ドキュ】『さよならテレビ』感想レビュー--テレビ報道の裏側を見せるドキュメンタリーかと思いきや、ラストに全てが引っくり返る

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監督:ひじ方宏史
配給:東海テレビ放送/上映時間:109分/公開:2020年1月2日

 

注意:直接的ではないですが、文中でオチに軽く触れていますので、ネタバレにご注意ください。初見は何も知らずに鑑賞したほうが、より楽しめる作品だと思います。

 

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74点
東海テレビの報道フロアを一年以上追ったドキュメンタリー映画である。まずは監督・ひじ方宏史が、フロアのスタッフにA4用紙1枚の企画書を配り、カメラを回し始める。いきなり取材対象にされたスタッフ達からは「取材はお互いの同意の上でするべき」などと、「自分のことを棚に上げる」という表現がピッタリな文句が噴出して、2ヶ月間も撮影中断となる。

そんな一触即発の冒頭シーンの中で、あるスタッフから「そもそも何が撮りたいのか解らない」と言われる。ひじ方監督(「ひじ」は土に点がつく珍しい漢字)のドキュメンタリーは方向性を決めずに撮られるものばかりなので、監督の過去作を観ていないのかと疑問にもなるが。ともあれ、ひじ方監督は、撮影再開後も淡々と報道現場をカメラに収めるのだが、どうもいつもと様子が違う。

それは当然のことで、ひじ方監督は東海テレビの社員なのである。一歩引いて対象と向き合おうにも、関係性が近すぎて、ドキュメンタリーとしては違和感を覚える。テレビ局の顔でもある看板キャスターにフランクにタメ口で話しかけるところとか「ん?」となってしまうが、後輩なのだから仕方ない。

別に、内部告発を狙っているわけでもない。幾度かスタッフのミスや放送事故が起こるが、長い間ずっとカメラを回していたから撮れたに過ぎない。たまに『ガイアの夜明け』であるような、内部で当然とされていることが外から見たら異常なことで、結果として告発みたいになってしまった、という域でもない。他社より数時間早く事件の一報を伝えたことが賞賛されているのは確かに不思議な光景だが、その程度だ。

だが、この映画には、とある大オチがあるのだが、それを知ってから思い返してみると、急にゾクゾクする。看板キャスター、派遣の新人記者、そして普段は「是非ネタ」(商品PRなどのどうでもいいニュース)ばかり担当しているが気骨あるドキュメンタリーを企画しているベテラン記者が、メインとなる取材対象者である。この3人ともに報道の仕事をするうえで様々な苦悩や葛藤を抱えており、時にはその様子が笑いを起こす。だが、改めて思い返すと、いずれもが型に嵌った人物造形だったと気づく。

新米の派遣社員に絞ろう。警察からの「働き方改革」の指導によって残業時間に制限が発生してしまった対処として雇われたのが、24歳男性の新人記者である。たどたどしく食レポをしたり、ミスを連発しては怒られたりする様子が、哀愁を誘う。特に報道魂があるわけでもなく、休日は地下アイドルのライブに行き、自宅は散らかっていてテレビの前には美少女フィギュアが並んでいる。

こうして文字にしてみると、いかにもありがちなキャラクター造形ではないか。でもこれはオチを知った後だから気づくのである。残業時間を減らすために雇った派遣が使えなくてより酷い事態になるのは、企業で働いている多くの人が共感する普遍的な状況であろう。その共感が勝ってしまい、型に嵌ったキャラクター性に意識が回らない。冷静に考えれば「そんな瞬間、撮影できるわけないだろ」というシーンですら、スルーしてしまう。

型に嵌ったキャラクター性を持たせて状況を解りやすく説明するのは、いかにもテレビ的である。テレビの内部を見せるのに、テレビ的な娯楽の手法を用いているのだ。これでは、真実を映し出すというドキュメンタリーのタテマエは、もはや成立していない。そんなタテマエなどはなから無いのだと主張しているようでもある。

ひじ方監督は最後に、このドキュメンタリー作品自体がテレビの手法から抜け出せておらず、結局は自分自身もテレビに毒されているのだと、自己批評めいたオチをつけて懺悔としている。だがこれもオチの内容が強烈なために、どんでん返しの要素が勝ってしまい、「騙されちゃったよ~」という娯楽の一種として昇華されてしまう。

何重にも覆われた入れ子構造の作品だが、いくら突き詰めてもテレビ的な娯楽から抜け出せないところに、監督の自分自身への絶望と、それでも現状から這い出したいという大いなる意思が感じ取れる。エンドロールの最後の表記までもが、意味深だ。

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