ヤガンEX

映画とか漫画とか似顔絵とか

【邦画】『翔んで埼玉』ネタバレ感想レビュー--同性に対する恋愛感情をここまでフラットに描いた邦画が、かつてあっただろうか

f:id:yagan:20190304235847p:plain
監督:武内英樹/脚本:徳永友一/原作:魔夜峰央
配給:東映/上映時間:106分/公開:2019年2月22日
出演:二階堂ふみ、GACKT、伊勢谷友介、ブラザートム、麻生久美子、島崎遥香、成田凌、中尾彬、間宮祥太朗、加藤諒、益若つばさ、武田久美子、麿赤兒、竹中直人、京本政樹

 

スポンサードリンク
 

 


77点
都道府県ネタに関しては、関東在住でなくても解るような定番のものが多かった。埼玉県民に対する揶揄として「海に異常に執着する」というのが何度も出てくるが、これは小学校で習う社会科の知識があれば理解できるわけだし。他にも草加せんべいや深谷ねぎなど、全国レベルで知名度の高いものばかりが登場する。『俺たちはまだグンマを知らない』のような、地元民でしか解らないようなニッチな小ネタは少ない。

このマンガがすごい! comics 翔んで埼玉 (Konomanga ga Sugoi!COMICS)

このマンガがすごい! comics 翔んで埼玉 (Konomanga ga Sugoi!COMICS)

 

 

埼玉の各都市の代表が言い争いを始めるシーンがあるが、浦和と大宮の喧嘩を止めようとする与野に向かって「与野は黙ってろ!」というのも、別に埼玉の知識は無くとも状況から大まかな関係性は予想できる。あくまで都道府県ネタは解りやすさを最優先させていて、架空の世界観の補強に努めている。ちなみに、埼玉県の中でも純粋に観光アピールできそうな川越や秩父はほとんど目立っていないのも計算のうちか。川越は、「小京都」って書かれた提灯を持っていたけど。

出自だけで身分が決定されてしまう世界観から、政治や社会に対する何かしらの寓意を読み取ることは容易である。その辺りは他の人に任せるとして、個人的に斬新だなあと思ったのが、この話って、同性への恋愛感情が当たり前のものとして描かれているのだ。これ、日本の映画では非常に珍しい。映画の中に登場する同性愛は、笑いのために茶化されるか、何かしらの苦悩の原因とされるか、どちらかでしかなかったのに。

本作の構造を簡単に説明する。冒頭にて、魔夜峰央(原作者)のいる抽象的な空間が大枠であると示し、原稿を書くシーンとともにこの話が全くの創作であると断りを入れる。次に、ブラザートムら親子3人がライトバンで埼玉県熊谷市から東京へ向かうシーンとなり、一応ここが観客と同じ現実世界という体で話が進む。その車中で流れるラジオドラマが、これが都市伝説であるという断りをいれたうえでの本編である。

魔夜峰央のシーンを含めれば、3層構造となっているわけである。我々のいる現実世界と地続きなのが2層目なので、1層目は魔夜峰央が世界を創造している神の領域ということか。白塗りのダンサーが踊っているので、まず天国で間違いないであろう。虚構の中の更なる虚構である3層目の本編は、絢爛豪華に創り込まれた多分にフィクション性の高い空間となっている。なるほど、劇中で虚構だと断りを入れることで、漫画実写化で発生しがちな違和感を打ち消しているのか。

さて、とにかく非常に珍しいのが、主演の二階堂ふみは男のキャラクターを演じているのである。たしかに日本の芸能では。歌舞伎や宝塚のように異性を演じることが前提とされる文化はある。現代劇でも、篠井英介や早乙女太一など、女形を得意とする役者もいる。でもこれらは、舞台の話である。役者の顔をスクリーンに大写しにする映画というジャンルでは、どうしてもリアリティの問題が出てくるし、そもそもそんなことをする必要性への疑問がある。

本作の場合は、原作のキャラクター「壇ノ浦百美」を忠実に再現するという大義名分があるからこそ、二階堂ふみへの配役に疑問が生じないのである。そうは言っても、初見の時は「実は女だったっていうオチだろ」と思い込んでいたわけだが。百美という役名に対して「女みたいな名前だな」と言われるなど、明らかなミスリードも多々あったし。だがそれ以上に、百美が男のキャラクター「麻実麗」に対して恋愛感情を抱くところから、「ということは百美は女なんだな」と勝手に決めつけているわけである。恋愛は異性相手にするものだという無自覚な偏見を持っていたことが露呈してしまった瞬間だ。

もはやここでは、ほとんど性別の概念が意味を持っていない。麗に対する極私的な恋愛感情によって百美は行動し、その結果として不平等な社会全体が崩壊していく。これ自体は大昔からある古典的なストーリーである。そこに都道府県ネタという装飾を施してオリジナリティ溢れるエンタメ性を高めている。そして、同性への恋愛感情は当たり前に存在して誰も疑問を挟まず、話を転がすための道具のひとつとして用いられている(百美の父親ですら、娘が恋をしている相手が埼玉人であることにはショックを受けるが、男であることには触れていない)。出自だけで身分が決まる前時代的な設定と、性別の概念を超えた革新的な自由恋愛の思想が同居しているのである。

※ 厳密に言うと、現代パートの島崎遥香が「これってボーイズラブじゃん」と2回ほど言うが、これは「本筋と話がズレていない?」と指摘しているに過ぎない。

最終的には、この手の入れ子構造ではよくあるように、2層目の現代パートと3層目の伝説パートが繋がっていると判明する(この直前に、第3層から第2層に場面転換されているのにBGMがそのままという瞬間がある)。そして大オチとして「日本埼玉化計画」が明らかになるのだが、正直ここがちょっと長い。ただここで、これまで控えめだった埼玉県に関するニッチな小ネタが頻出する。ファミリーマートやガリガリ君といった埼玉発祥で全国区となった企業や商品を出すことで、フィクションのはずであった埼玉県の脅威がそのまま我々のいる現実とリンクしていることを、くどいほど訴えかけてくる。

ギャグがメインの邦画で、ここまで現実世界に揺さぶりをかけてくる作品がかつてあっただろうか。虚構と現実の垣根の取っ払い方も巧みであるし、同性愛描写だけでも、日本映画史における革命である。

 

スポンサードリンク