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【邦画】『スモーキング・エイリアンズ』ネタバレ感想レビュー--ただただタバコのファッショナブルなカッコよさを追求していた

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監督:中村公彦/脚本:小松公典、中村公彦
配給:アリーライクフィルムズ=INNERVISIONS/上映時間:82分/公開:2018年12月15日
出演:倖田李梨、しじみ、津田篤、滝本より子、島津健太郎、岩谷健司、石川雄也、世志男、松井理子、藍田あかね、三元雅芸、亜紗美、那波隆史

 

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55点
世の嫌煙ブームの中で肩身の狭い喫煙者たちだったが、地球に飛来してきた寄生型エイリアンがタバコの煙に弱いと気づき、タバコを武器に戦いを繰り広げる話。なのだが、それだとタイトルがおかしい気がするのだが。『スモーキング・エイリアンズ』だと、エイリアンのほうが愛煙家みたいではないか。まあ、エイリアンも強制的に煙を吸わされていたので、間違いというわけでもないが。

これ、いくら低予算映画とはいえ看過できない粗が多すぎて、総合的な評価は低くせざるを得ないんだけど、瞬間的には痺れるシーンもあったので、嫌いにはなれない。おそらく何年経っても記憶には残る作品ではあると思うので、それだけで映画としての価値はある。この後に続く文章は文句が多めですが、そのことは先に宣言しておきます。

たとえば、顔に緑色の絵の具を塗るだけで「エイリアンに寄生されている」ということを表現するようなチープさは、別にいい。自主制作のような低予算映画は、そういったチープさをも楽しむことが流儀として確立しているから。そうではなく、お金ではなく頭を使うべき脚本が、どうにも引っかかるところが多すぎるのである。

シングルマザーの花沢香(倖田李梨)が台所でタバコを吸おうとすると、娘の桐子(藍田あかね)から「家では禁煙」と外に出される。路上で吸っていると知らないおじさんからすれ違いざまに「歩きタバコは条例違反ですよ」と注意され、作り笑顔で対応する。愛煙家の肩身の狭さを表す導入だと思われるが、娘はともかくおじさんもそこまで高圧的でもない。今だったら、タバコを絶対悪とみなして執拗に攻撃してくるキャラクターを出したってそれなりにリアルなんだけど。なお、花沢が夜道でずっと心の内を声に出して喋っているのはご愛敬。

花沢は、とある会社ビルの清掃の仕事を行っている。そこの副社長・東野栄進(那波隆史)は健康志向の嫌煙家で、社内の喫煙室の一室を潰してトレーニング室に変えている。副社長直属の部下で同じく嫌煙家の松本克巳(三元雅芸)は、受付嬢の長峰岬(しじみ)に露骨なアタックをしているが、相手にされていない。一方、警備員の高橋雄二(島津健太郎)は花沢のことを気にかけているが、子持ちの彼女と生活できるほどの給与を貰っていないことを嘆いている。

前段のエピソードは恣意的に取捨選択して取り上げたのだが、これらの日常パートで示される人間関係が、どれも伏線ではなく、その場限りの単発のものなのだ。エイリアンに襲われて以降は、これらの件は忘れ去られている。この手のモンスターパニック系だと、有名作品でも前フリが伏線でもなんでもないことは多いが、その場合は「日常の些末な出来事などどうでもいい」というメッセージだったりする。でも本作は、そういう感じでもないので、違和感を覚える。

さて、そんなこんなで会社の屋上にエイリアンが飛来し、さっそく副社長と部下の松本が寄生されて体を乗っ取られる。ここはかなり驚いたのだが、劇中ではっきりと嫌煙家だと示された人物すべてが、しょっぱなで寄生されてしまうのだ。つまりこれ以降、エイリアンとの死闘の中で、愛煙家vs嫌煙家という人間同士のバトルは発生しないと早々に解ってしまう。世の中のタバコに対する風潮に反旗を翻すような社会的メッセージが込められた作品ではない、とここで気づく。

エイリアン襲撃後に残された人間は喫煙者ばかり。禁煙中だったり喫煙者であることを隠している人もいたが、みんなでタバコを手にエイリアンに立ち向かう。会社の正社員と清掃員の給与格差などが少し話題になるも、同じ喫煙者という結束力の強さによって強固な仲間意識が最初から芽生えている。つまり、人間同士の確執は無いに等しい。

食料の確保が必要だと食堂まで移動した喫煙者一行。それにしても、とても社屋にジム室とか食堂とかがあるほどの大企業には思えないのだが。食堂には生き残ったおばちゃんがいたが、タバコアレルギーで煙を吸うとむせてしまう。やっと、喫煙者ではない生き残りが出てきたが、こんな後半で初登場の人物にドラマを任せるのは難しい。エイリアン襲撃前の日常パートで一度登場させるのが、通常の構成であろう。

エイリアンに立ち向かうにはタバコの本数が足りないと気づく喫煙者一行。そりゃ、さっきから関係ないところでもスパスパ吸ってたし。すでに死んだ若手社員がストックを持っていたということで、オフィスまで取りに行くことにする(ちなみに、ここで初めてオフィスのシーンが出てくるが、ここも日常パートで一度出すべきでは)。エイリアンは口から寄生しているので、相手にキスをしてタバコの煙を吹き込んで倒していくという作戦を立てる。

このバトルシーンは純粋にワクワクする。タバコを咥えてのキメ顔から、「キスで殺す」という状況における『暗殺教室』と通じる説明不要のカッコよさ。もちろん役者(特に女優陣)のポテンシャルもあるのだが、タバコを手に持つだけで勇ましさが5割増しになるという事実に気づかされる。拳銃や日本刀を持つことによる効果と、もはや大差は無い。そうそう、タバコって本来、こういうファッショナブルなものだったのだと思い出す。

ただこのファッション性は、タバコそのものの魅力による瞬間的なもので、ストーリーの流れから生まれたものではないのが致命的だ。後半に至っても脚本はおかしなままで、まずタバコアレルギーのおばちゃんが同行しているのが謎。食堂で待機しているべきなんじゃないか。そして、ついにアレルギーのおばちゃんがタバコを吸うというシーンで何かしらの成長を表すのは、いくらなんでも配慮が足りない。スタジオポノックの『サムライ・エッグ』でも思ったが、アレルギーは"克服"するものじゃないよ。

最後には、何も知らずに会社に来てしまった立花の娘がエイリアンに襲われているところを、立花が助けに行く。そこに助太刀しようとした岬の元には、副社長エイリアンが襲い掛かる。実は副社長とは愛人関係だったので、一瞬の躊躇をする岬。襲われそうになったところを間一髪で立花が間に入る。名シーンのようだけれど、この時点でも娘はエイリアンに襲われている最中だからね。優先順位がおかしくないか。

そして、立花は副社長エイリアンと、岬は橘の娘を襲うエイリアンと対決する。え、逆じゃね? なんで因縁の無い同士の組み合わせになっているのか。副社長エイリアンは体を鍛えているのでなかなかしぶとく(数少ない、ちゃんとした伏線)、立花は華麗なアクションの末にやっと仕留める。そして、副社長と死んだ夫の顔が似ているからとかで感傷に浸る立花。え、それが伏線だったの? たしかにそんな話をちらっとしていたけど、聞き流してもおかしくないセリフが伏線だったとは。それに、顔が似ているってだけで、そんなに盛り上がられてもねえ。

生き残った者たちはオフィスの外に出て、フォーメーションを組んでタバコを吸いながら道を闊歩する。途中で襲いかかるエイリアンはキスで撃退し、なかなかカッコいいラストシーンである。そういえば、おじさんは全員死んで女は全員生き残っているんだな。まあ、いいけど。昨今のタバコを絶対悪とみなす風潮に対する社会批評的な側面は表に出さず、ただただタバコのファッショナブルなカッコよさを追求したのは良かったし、主張しないからこその主張というのが読み取れる。いろいろあるけど、世に出たことに意味のある作品であることは間違いない。

 

 

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