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【邦画】『たまゆらのマリ子』ネタバレ感想レビュー--ありがちな話だが、パターン外しがことごとく裏目に出ていて・・・

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監督&脚本:瀬川浩志
配給:ロサ映画社/公開:2018年12月1日/上映時間:65分
出演:牛尾千聖、山科圭太、三浦英、後藤ひかり、加藤智子、福原舞弓、根岸絵美、西尾佳織、高橋瞳天

 

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53点
表現したいことは、痛いほど伝わってくるのである。周囲からの抑圧に耐え続ける日々を送っている庶民が、あるきっかけによって暴発することでカタルシスをもたらすというのが話の骨子である。これだけなら、インディーズ映画にありがちな、いつものやつである。もしもパターン通りに仕上げていれば、「ああ、またこういうのか」で終わっていたはずだ。だが、本作はそうはなっていなかった。良くも悪くも、だが。

主人公は一介の主婦。家では旦那が、職場のバッティングセンターでは上司や若い同僚が、とにかく誰もが自分のことを見下していると感じていて、常日頃から鬱憤が溜まっている。息苦しい日常ってやつだ。だがここで本作は、パターンを外してくる。というのも主人公は、心の中では関西弁で周りの人たちを毒づきまくっているのだ。この関西弁を延々と聞かされている観客からしたら、主人公が適度にストレス発散しているように思えて、彼女の心に黒い何かが少しづつ溜まっていっているようには思えない。

この主人公には、鬱憤のはけ口としている女性の友人がいる。というはずなのだが、映画冒頭から飲みの誘いを断られている。そしてさらに、その友人が自分の悪口を言っていることを聞いてしまう(というか、自分から聞きに行っている)。これもまたパターン外しの一環だ。通常だったら、友人と仲良くしているシーンを最初に持ってきて「彼女だけが心の拠り所なんだ」と思わせてからの突き放し→主人公の絶望、とするはずだろう。最初から疎ましく思われていて、そこから終わりまで関係性に変化が無いなんて。

創り手がどれだけ意識しているのかは解らないが、今挙げたようなパターン外しのおかげで、いつものよくある話にはなっていない。なので「ああ、またこういうのか」という気持ちにはならないのだが、だが一方で、パターン外しがことごとく裏目に出ているのも確かだ。心の中で周囲に毒づく主婦に共感は得にくいし、日常の息苦しさは最初から一定の値で増えも減りもしないのだから、ドラマとしても面白みに欠ける。

そして、きっかけもよく解らないまま、溜まったものが爆発して日常を壊し始めるのだが、その結果が「通りがかりの人にバケツを被せる」というトリッキーなものだと、もうどう捉えていいのかわからなくなる。これ、主人公が暴走してからも登場人物がどんどん増えていくから、散漫になっちゃっているんだよね。これまで主人公を抑圧していた人たちに矛先を絞ることでカタルシスが得られるのだが、やっぱりパターンを外していて、そしてやっぱり裏目に出ている。

最終的には他者から自分がどう見えていたかということを提示することで、人間の二面性を表現したかったのだと思う(舞台挨拶での監督の発言も、そんな感じだった)。ただそんなことは、映画から教えてもらわなくても、誰もが知っていることである。必要なのは、その先だったのではないか。

 

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