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【邦画】『パパはわるものチャンピオン』ネタバレ感想レビュー--プロレスの中の虚構と映画の中の現実が重なったとき、圧倒的な感動が生まれる

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監督&脚本:藤村享平/脚本:奥寺佐渡子/原作:板橋雅弘、吉田尚令
配給:ショウゲート/公開:2018年9月21日/上映時間:111分
出演:棚橋弘至、木村佳乃、寺田心、仲里依紗、オカダ・カズチカ、田口隆祐、真壁刀義、淵上泰史、大泉洋、大谷亮平、寺脇康文

 

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68点
おそらく、日本映画に登場するプロレスシーンの中で、史上最高のものが見られる。これまで日本映画の中でのプロレスといえば、手弁当で経営しているような超小規模の団体ばかりであった。言い方は悪いが、傍流である。「世界の片隅で健気に頑張る人々」という存在は、メインストリームが確固たる地位を築いているからこそ成立するのだ。だがしかし、日本のプロレスの主流が映画で語られることはほとんど無かった。

もちろん、プロレスの主流を映画に取り込むのは非常に難しい。そこで本作『パパはわるものチャンピオン』は唯一にして最強の手段を取る。新日本プロレスの全面協力の下、登場するレスラーを全て親日の現役選手にしているのである。そのため、試合シーンは限りなくホンモノで創りこまれている。会場は観客を満員にしたディファ有明であるし、選手だけでなく、レフェリーも実況アナもホンモノを揃えている。

パパはわるものチャンピオン (えほんのぼうけん)

パパはわるものチャンピオン (えほんのぼうけん)

 

 

主演は新日のエース・棚橋弘至。劇中の役柄は、10年前はエースだったが膝を壊した現在はゴキブリマスクという名前の悪役マスクマンとしてリングに上がっている、というもの。息子の翔太(寺田心)には、ブーイングを浴びてお金を貰う自分の仕事を言えないでいるが、ひょんなことから知られてしまう。

ゴキブリマスクはスプレーなどの武器を使ったり、セコンドのギンバエマスク(田口隆祐)と共闘したりと、卑怯な真似をする。リングに上がる時はゴキブリのようにカサカサと這いつくばって動くので、これを棚橋がやっていると思うと非常に楽しい。対戦相手もオカダ・カズチカだったり真壁刀義だったりと一般的な知名度もある一流レスラーなので、普通に試合を観戦しているようである。

物語に深く関わる選手には架空の役名が付いているが、他の選手(中西学とか後藤洋央紀とか)が実名なのがプロレスファンとしてはノイズになってしまっている。まあそれは些細なことだろう。新日の選手をカメオ的に目立たせて出演させるのが1カ所だけ(内藤哲也と高橋ヒロム)だし、本人役と思えるのが良かった。本作に関しては、プロレスラーのカメオ出演をたくさんやると、変なことになっちゃうはずだから。

懸念されていたのは棚橋の演技である。例えば武藤敬司主演『光る女』のように、プロレスラーを人間の基準値から外れた異物として見世物にするには、棚橋は顔立ちから何から真っ当過ぎる。特に現在の親日はプロレス界の主流ゆえ、規格外のモンスターが少ない。そんな数少ないモンスターの一人が真壁刀義であり、父親としての葛藤を抱えて迷走する棚橋をブチのめす役だったのは最適であった。ともかく、棚橋を異物にするには無理があるので、どうしても自然な演技を求めざるを得ない。

で、棚橋の演技に関しては、悪い言い方をすれば妥協を重ねている。パンフレットのインタビューによると、けして活舌の良くない棚橋が言えないセリフは、その場でどんどん簡単なものに変更していったそうだ。また共演する木村佳乃や大谷亮平や寺脇康文といった本職の役者たちは、いつも以上に抑え込んだ演技によって棚橋とレベルを合わせている。逆に、はっちゃけた演技で役者魂を見せた仲里依紗は、ほぼ棚橋と絡みが無い。最優先すべきはリング上での棚橋であって、そのためには平場に関しては演技力を伸ばすのではなく悪目立ちさせないように配慮する、という方向性は全く持って正しい。

むしろ気になったのが寺田心ら小学生たちの、セリフを大きな声で棒読みするいかにも子役然とした演技で、最近の日本映画は達者な子役ばかりだから逆に新鮮であった。本来の子役演技って、これくらいが標準だったはずなんだけどね。いかに是枝裕和監督がスゴいかってことか。

話としては、小学生が父親の仕事を通して社会の仕組みに触れて理解し、それゆえ成長するというものである(もちろん、同時に父親も子供を通して気づきを得る)。その葛藤だったり気づきだったりといった全ては、リング上での試合シーンによって説明されるという構成がよくできている。そのためにも、プロレスシーンがホンモノであるべきである。実際にポールの上から飛ばなくては、説得力がでないのだから。

プロレスが本来抱えている虚構と現実の曖昧さというものがある。一方、本作に関しては、虚構の物語の中でプロレスだけが現実を取り込んでいる。映画の中の現実とプロレスの中の虚構がリンクした時、何かが解き放たれたかのような感動が発生する。そういう力を持った作品である。

 

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