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【邦画】『わたしに××しなさい!』ネタバレ感想レビュー--リアル至上主義の大前提の中で繰り広げられるフィクション性

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監督:山本透/脚本:山本透、北川亜矢子/原作:遠山えま
配給:ティ・ジョイ/公開:2018年6月23日/上映時間:96分
出演:玉城ティナ、小関裕太、佐藤寛太、山田杏奈、金子大地、オラキオ、高田里穂

 

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53点
地味でメガネの女子高生・氷室雪菜(玉城ティナ)は、実は「ゆぴな」というペンネームで、同世代の女子に大人気のウェブ小説家という裏の顔を持っている。普段はヴァンパイアなどが出てくる伝奇小説みたいなものを書いているらしい(しかし、そのジャンルで女子高生に大人気ってスゴイな)が、次の作品ではラブ要素を取り入れようと考えている。しかし恋愛経験ゼロの雪菜には、ラブとは何か全く理解できない。

ここはひとつ、疑似恋愛でもしてラブとはなんたるか知るべきだと考え始める。だが、違うクラスなのにいつも教室まで来てくれる、彼女が「ゆぴな」であることも知っている従兄弟の霜月晶(佐藤寛太)には、自分勝手な理由による疑似恋愛などに相手をさせて迷惑をかけることはしたくない。そんな時、イケメン生徒会長・北見時雨(小関裕太)が落とした生徒手帳を拾う。そこには、彼が告白されて断った相手の名前と日付がズラリと書かれていた。そうだ、こんな人の心を踏みにじるようなヤツなら、どんだけ利用しても心が痛まない。生徒手帳を脅迫材料に自分の言いなりにして、疑似恋愛の相手をさせてやろう、と雪菜は思いつく。

わたしに××しなさい! コミック 1-19巻セット (講談社コミックスなかよし)

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はい、2段落使ってこの映画の導入部を追ってみました。いろいろ引っかかるんだけど、まずこの生徒手帳、そこまで見られてマズいものなのか。胸のサイズとか、あるいは悪意のある性格寸評(ぶりっ娘だとか)が書かれているならともかく、名前と日付だけなら単なる記録だろう。この時雨という人は、子供の頃のトラウマのせいで誰も信じられなくなって、想いを寄せる女子生徒の心を弄ぶ嫌なヤツという設定らしいのだが、向こうから来た告白を断ってるだけなんだから、ただの受け身からの拒否ってだけで別に酷くはない。もうちょっと生々しくしても良かったのでは

2人だけの放課後の教室で、生徒手帳をタテに雪菜は時雨を脅迫し始める。ここで雪菜は「もちろんコピーは取ってある」と、時雨に向かって生徒手帳のページをコピーした用紙をバサーっと放り投げる。この映画、全体的にこの調子で、ひとつひとつのアクションが仰々しい。雪菜は、コミュ障がちという演出なのか、「皆まで言うな」とか古臭い言葉遣いをするのも、仰々しさに拍車をかけている。リアリティとは別のところに重きを置いている。

(ところで、このあとで時雨は雪菜の持っている生徒手帳を取り返そうとする展開があるのだが、コピーを取っているんだから意味無いんじゃないか)

で、雪菜は「ミッション1 私を抱きしめなさい!」と命令するのである。この時、壁の掲示物に「MISSION 1」と書かれている。ちなみに体育館のときはバスケットボールが転がってきて、そこに「MISSION 2」の文字。急に緊迫したBGM(ミッション開始の合図)が流れるのを含めて、たぶんこれが一番やりたかったことだと思う。命令通り、時雨に抱きしめられることで、「2つの心音が重なって…」どうたらと、すらすらと恋愛小説の筆が進んでいく。そんな手垢のついた比喩表現だったら、その辺の恋愛小説を適当に読んでいればいくらでも知ることができそうだけど。

ともかく、全体的な仰々しさも、ミッション発動時の演出も、すべてひっくるめてリアリティを遠ざけてフィクション性の強い演出で通しているのだ。ミュージックビデオ的とでも言いましょうか。その演出部分だけを切り取れば、そんなに悪くない。ただひとつ、重大な問題があって…。

イケメンに抱きしめられた気持ちをそのまま描いた恋愛小説の第1章は、「ゆぴな、マジやばくねー」と学校でも大評判となる。つまりこれ、「現実に体験したことは、どんな創作よりも人の心を打つ」というリアル至上主義が大前提としてあるのだ。別に私小説というジャンルもあるわけで、その前提を一概には否定できないが、フィクション性の高いこの映画そのものを自己否定してしまっている。これが重大な問題だ。気づいてないかもしれないけれど。

この後は、疑似恋愛のはずなのにお互い意識し始めたり、恋のライバルが現れたり、従兄弟がやきもちを焼いたりと、お決まりの展開が続く。登場する男が何かあるとすぐに壁ドンするのだが、この手の映画の様式美みたいなもんなんだろうか。これもまたフィクション性の一部か。あと、小説の第何章だかで急に男キャラを「未来からやってきたヴァンパイア」にしていたのは何だったのだろう。急にSFを放り込んでは、リアル至上主義がブレるし、何より物語上にほとんど意味が無い(「私の首筋を噛みなさい!」というミッションのためだけか)。

さて、雪菜は担当編集者(驚くことに、WEB小説しか書いていないのにちゃんと出版社の担当がついている)から、サイト内で人気トップの小説は映画化されると聞かされる(その前に書籍化したら?)。ひいては、ランキング暫定1位の「ゆぴな」と、2位の作者(面倒なので説明していなかったが、時雨の腹違いの弟)で、最終対決をイベント化しようと提案される。観客が取り囲んで生中継もされる中、ショーアップしたステージ上で、2人向かい合って最終章を執筆する。そのパソコンの画面はスクリーンに大写しにされ、今まさに書き上げられた小説がリアルタイムで読まれ、その場で観客による投票を行ってトップを決めるのだという。

一応、義務としてツッコミは入れておきます。小説の執筆って、そういうもんじゃねえだろ! 推敲とか一切しちゃいけないのか! これ、少しでも文章を書いたことのある人(つまり、ほとんどの人間)なら、書いている文章の途中をずっと傍から見られるのが相当な苦痛だってことは解ると思うのだが。まあでも、これもまた徹底したフィクション性ならではだと思えば、やっていることの意味も理解できなくはない。こんなイベントが現実には不可能だってことくらい、創り手も当然解っていることだろうし。

実は、映画冒頭でこのイベントのシーンが先に見せられていたため(当初は雪菜の脳内イメージかと思っていたのだが)、この後に何が起こるのかも知っている状態でクライマックスを観ていたわけである。最初からオチをある程度明かしておくパターンだが、この作品に関しては無意味だった気がする。あと、最後の最後にとってつけたように脇役の男女2人を良い感じにするのは何なんだ。その2人、劇中でほぼ接点無かっただろ。

ともかく、この映画、フィクション性をもっともっと高めて、メチャクチャやっちゃっても良かったのかもしれない。雰囲気としては大根仁の監督作品みたいな域までいってしまえば、スクリューボールコメディとして成立したのかも。ただし、やればやるほど、雪菜が劇中で突き詰めようとしているリアル至上主義とは相反していくのだけれど。それもまた、哲学。

 

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