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【邦画】『万引き家族』ネタバレ感想レビュー--「家族」関係の流動的な変換による救い

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監督&脚本:是枝裕和
配給:ギャガ/公開:2018年6月8日/上映時間:120分
出演:リリー・フランキー、安藤サクラ、松岡茉優、樹木希林、城桧吏、佐々木みゆ、樹木希林、池松壮亮、緒形直人、森口瑤子、柄本明

 

 

74点
表題にもある通り、このブログは取り上げる映画のネタバレを前提としています。これから扱う『万引き家族』も、次の段落でいきなりネタバレしますので、ご注意ください。具体的には、宣伝などではほとんど存在を隠されている、ある出演者の名前が出てきます。

 

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本作『万引き家族』において最大のフックとなっているのは、池脇千鶴演じる警察官である。後半、それまでずっと一緒だった「家族」はバラバラの部屋で、警察から個別に事情を聞かれる。その時、高良健吾と共に「家族」を取り調べるのが、池脇千鶴である。池脇千鶴の質問は、あまりに妥当だ。後から書面で「家族」のやってきたことを知った人が当然抱くであろう、シンプルな疑問を口にしているに過ぎない。「家族」のしてきた万引き、児童誘拐、年季不正受給、遺体遺棄といった罪からすれば、糾弾というには生易しいほどでもある。だが、実際に「家族」のドキュメンタリーのような生活ぶりをずっと観てきた観客からすれば「いや、そうだよ、確かにそうなんだけど、でも違うんだよ」と歯がゆい思いをすることになる。

(この映画、語尾がはっきりなかったりと、日本語ネイティブでないと聞き取れないような、普通なら撮り直しになるようなセリフとなっていて、ドキュメンタリーっぽさを加速させる原因となっている)

「家族」を舞台とした事件が起こった際に、報道などで完結にまとめられたものに触れただけの我々の視点は、池脇千鶴の視点と直結している。肌質感が欠けた情報からは、人様の「家族」なんてものを理解できるわけないはずなのに。祖母・初枝(樹木希林)の遺体が発見されたときのニュースで、「殺害された可能性もある」とレポーターが言っていた時、観客全員が「そんな訳ないだろう」と思ったはずだ。死んだら年金が入ってこないというのもあるが、この「家族」の事情を、観客であるこちら側も感覚として共有してしまっているから。疑似的にせよ、本作を通して報道される「家族」側にいる体験をした我々は、「紀州のドン・ファンの妻が怪しい」などとは簡単に口にできなくなる。

個人的に是枝裕和監督作品は、『空気人形』を除けば苦手な部類で、特に細田守監督にも似た「家族」への強いこだわりに距離を取りたくなることが多い。だが本作は、その「家族」という「なんか昔からある決まりだから」的な曖昧な脆さと、その脆さゆえの適応性を示してくれる。血の繋がりとか関係なく、「家族」なんてものは出入り自由の漠然とした共同体でしかないと、劇中で何度も示される。初枝が死んだときの「これからは5人家族だ」という言葉の、残酷でもある仕方なさ、とか。だからこそ、劇中で用いられる言葉をあえて使うが、変な常識を廃したからこその「絆」が発生する。

この「家族」の関係性は、血の繋がりに寄らないため、常に変化している。父・治(リリー・フランキー)は、年齢で言えば小学生の長男・翔太(城桧吏)よりも無邪気である。子供に万引きを指南するわけだが、その罪悪感に辿り着く程度の思考回路すら持ち合わせていない。治のその場限りの返事に、翔太のほうが矛盾に気づき、とりあえずの「家族」解体にまでつながっていく。

単純に「父殺し」の通過儀礼と言ってしまえばそれまでだが、治のほうが翔太より子供に見えてくるという点で、関係性の変換が行われている(血の繋がった親子では、なかなかこうはならない)。母・信代(安藤サクラ)からアクリル越しに新たなる道を示された翔太は、今度は父となって治に気づきを与える側となっている。関係性の変換と言えば、妹である次女・りん(佐々木みゆ)と翔太からも感じる。こちらも兄妹愛と言い切るには曖昧であり、ある瞬間では親子のようでもあるし、翔太の自らを犠牲にしてもりんに罪をさせないという思いからは、ある種の恋愛感情のようにも見えてくるから不思議である。

本作に込められたメッセージは多岐に渡るが、とりあえずボクの一番感じたことは、「家族」関係の流動的な変換による救いである。池脇千鶴が信じて疑わないような、血の繋がりだったり、あるいは年齢や性別によって型にはめられた「家族」の強制は、今の日本の貧困層からしたら死を選んでしまうほどの重荷であろう。そのひとつの逃げ道を、本作は示している。

 

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